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effelpist@ kilovermek.es effelpist <a href="https://kilovermek.es/…
坂東太郎G@ 小泉武夫 今回こちらのtitleです。 もしよろしかっ…
背番号のないエース0829@ Re:FNS歌謡祭 アルフィー 「君が通り過ぎたあとに-Don't Pass…
高橋銀針@ Re[1]:楽器が上達する時間(10/06) 初台ドトール照すマンさんへ いつでも準備…
初台ドトール照すマン@ Re:楽器が上達する時間(10/06) そろそろテラスで集う季節になったね🎵
2016.04.16
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カテゴリ:ハピネス

第107回「古代東海道に浮かび上がる治水の五芒星」 コイワタイムズ【156号】

葛飾区奥戸小学校に『古代東海道』の説明看板があり771年には古代東海道が、鐘ヶ淵の墨田の渡しから、国府台へ続いていた。

その線上には甲和里(こうわのさと=こいわ)という地名や土器出土などがある。

また、立石様という街道での道標や、安倍晴明公がBC1,000年頃に建立した熊野神社が五角形の土地に立つ。

IMG_2412.JPG

ご神紋は五角形に八咫烏(ヤタガラス)がデザインされている。

掲示板の荒俣宏さんの解説では、晴明公が邪霊や水害をはねつける五芒星の結界を張っているとある。

本殿の脇には樹齢350年のクスノキが2本あり、江戸川区、葛飾区で、このサイズの樹木は少なく、土地の安定を感じる。

その熊野神社の南側に、真言宗豊山派寺院の南蔵院、別称五方山立石寺がある。

寺の山号は五角形の意である。

あたりには巨石信仰や古墳などの痕跡がある。

縄文海進後、東海道が海路から陸路に切り替わった頃である。

安倍晴明公の仕掛けた日本版ダ・ヴィンチコードの謎解きがありそうだ。


IMG_2532.JPG
陰陽師 安倍晴明公 五方山熊野神社
東京都葛飾区立石8-44-31
電話 03-3693-5623

小岩で世界を体験しよう(日本も含む)第1回~第117回 コイワタイムズ連載 

記事作成の舞台ウラ。

コイワタイムズの畑編集長から、4月の原稿入稿が、一週間早くなりますというメールをもらったのが、14日木曜日である。
それを自分の中で間違って解釈し、4月16日までと思ってしまった。
ネタが無い、取材もしていない、と焦る気持ちと、絶対、突破してやる、との意志のせめぎあいの中で、数日前にブログに書いた古代東海道というネタが浮かんできた。

謎解葛飾立石 熊野神社の五芒星 安倍晴明の仕込んだダ・ヴィンチ・コード

古代東海道とは、大化の改新の当時の国・郡・里(郷)を設けることと、七道(東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海)を整備する一環として定められた。
その古代東海道は、771年には、海路から陸路に切り替わり、鐘ヶ淵から、下総国府跡に続く直線の道があったと推測される。

IMG_2411.JPG

甲和里(こうわのさと=こいわ)という里が確認されるのは、「正倉院文書」、「下総国葛飾郡大嶋郷」(しもうさのくにかつしかぐんおおしまごう)養老五年(721年)の戸籍に『甲和里(こうわのさと)』『仲村里(なかむらのさと)』『嶋俣里(しままたのさと)』という三つの里が記載されている。(甲和の由来http://www.kawaranban.com/hp/kowakai/origin.html
鐘ヶ淵から甲和里を通り、下総国府跡に続く直線上に古代東海道の人の往来が見え隠れしている。

そして、古代東海道の道標、石塚、石柱としてあったのが立石様という巨石だ。
IMG_2453.JPG

その立石様だが、現在はご利益を求めて削り取られてしまっている。
その近くには、安倍晴明公が建立した熊野神社がある。
陰陽師安倍晴明公が五角形の結界を張った土地に立つ神社である。

IMG_2429.JPG

現在の社殿は、新しいが、その両側のケヤキの巨木は樹齢350年になる。
あながち、結界は伝説に留まらず、魔物と水害を祓う結界効果が確認できる。

その熊野神社と近くの真言宗の寺に関して面白い話がある。
1つは、真言宗豊山派と陰陽師たちの霊力と治水工事の関連である。

日本の治水工事には、陰陽師の霊力や真言宗の密教による祈祷、地鎮、治水工事が関連していた。
そのため、日本の銘水が湧くところには、弘法大師や行基の霊力で水が湧くといった伝承がたくさんある。 

飛騨高山 国分寺(あちこちをうろついて、よく目にするのが、行基と弘法大師と若山牧水。)

IMG_2415.JPG

弘法大師がどれくらい全国を飛び回っていたのか不明だが水との関わりが深い。(荒俣宏先生は、密教、陰陽道が混在となった治水集団の存在を指摘されている。)

もう1つは、現在の熊野神社宮司の千島俊司さんから伺った話がある。
熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)はもともと熊野川の中洲にあった。
大洪水で流されて現在の山の上に社地がある。
その熊野の中洲風景が当時の中川に似ていたのではないか、という歴史ロマンである。
だから、晴明公はこの立石に故郷熊野の風景を重ねて神社を建立したという推測だ。
立石の熊野神社建立は、晴明公が80歳に近い年齢のころである。
当時としては、元気なおじいさん年齢だが、やはり、その歳で活躍できる霊力があったのだろうか。




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Last updated  2017.04.01 11:27:07
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