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カテゴリ:うたうこと
声の世界を探求するのが面白くてたまらない。
まさに水を得た魚、という感じで日々もりもり楽しい。 毎日「声の時間」を作っていると、 日によってどうしても「魂の声」が出ないことがある、ことに気付く。 そういえば先日、山でのイベントの時もそうだった。 前半は全くグダグダで、半数の人が帰ってしまった後半、 やっと火がついたのだった。 だんだん分かってきた。 声は体がゆるんでいる時、 そのゆるんだ体の隅々に共鳴して、ぶわわわーんと広がるのだ。 声がうまく響くということは、 イコール全身のエネルギーの循環がうまく行っている、ということでもある。 声が響けば、魂が輝く。 どっちが先でもいいけど、声をきっかけに魂を輝かすことができたら、ステキじゃないだろか。 「人は親を選んで生まれてくる」という説を私は信じてきたけど、 具体的にどんな理由で私は私の親を選んだんでしょうね、と言うと 今までは「ん~よく分かんない」という感じだった。 が、声を出す喜びに出会って、一つ大きな納得が生まれた。 私の父はものすごく神経質で、とにかく子供の声やうるさい物音が大嫌い。 それは今でもそうだけど、アル中だった当時は、特にひどかった。 そんな環境で、私は息を潜め声を潜め、体もガチガチに緊張させて とにかく父の地雷に触れないようにそーっとそーっと暮らしていた。 体にしみこんだ緊張は、実家を出てもなかなか抜けるものではなかった。 今にして思えば・・・あの環境があったからこそ、 こうして魂の声をそのまま出せる喜びが、5倍10倍に感じられるんじゃないだろうか。 もし私がとっても自由な家に生まれて 子供の頃から思いのままにワーワーキャーキャー声を出し ドタバタ暴れて大はしゃぎ・・・できていたら、 それはそれで幸せだっただろうけど 今こんなに「声を出すことが幸せ」とは実感できなかっただろう。 闇がなければ光を認識できないように。 私はいったん自分の魂の声を抑圧し、封印することで こうして二十数年後、魂の声との「劇的な再会」をする人生を計画したんだな・・・ なんて思う。 そう思うと、あの父が わざわざ私のためにそんな環境を作ってくれたありがた~い人、 のように思えてくるから不思議です。 いや、どっちみち近年は何故だか父のこと、大好きになってきてたんだけどね。 今まで「生んで育ててくれてありがとね」程度の認識だった親に 具体的に感謝できる項目ができると、 我が子への感覚にも変化が出てくる。 あちこち病んでいて、何だか子供に多々悪影響を与えてしまいそうな自分 を今まで「こんな母ちゃんですまんのー」と思っていたが、 それもまあ、悪影響は悪影響でよろしいじゃないか、という感じに。 今までは「気にしてもしょうがないから開き直ろうぜ」という形で 無理やり開き直り、罪悪感をねじ伏せていたのだけど、 そうじゃなくて、そうじゃなくて。 私が「悪影響」と思っていることこそが もしかして子供にとって、自分の人生に必要な要素として わざわざ選んできてくれた部分かもしれないじゃん?って。 あー、そうしたら、そうしたら。 ほんとにほんとに自然体でいいんじゃん。私。ねえ? ああ、何だかここらへんの心境の細かいニュアンスは とても言葉では説明できない気がするので このへんで説明は終わりにしまする・・・。 で、話が大幅にそれたのだけど、そんなこんなで 「魂の声」は体がゆるんでいる時に出る、ということを 深~く実感した私の前に、こんな本が現れました。 じゃーん。 人生と運命を変える声の育て方。 ぐっと来るタイトルじゃないですか~! パラパラッとめくり「ふんがっ!」と叫び、すぐさま購入。 だってね、まさにその「体をゆるめることで声を響かせる」テクニックが これでもかこれでもかと書いてあったのですよー。 そして帰宅し、鼻息荒く読み、すぐさまこの著者の主催するスクール ブレイヴォーパラ(何度言っても舌噛みそう) に体験レッスンの申し込みを! そんでもって、今日行ってきたのでした。 んもー、んもー、充実なんてもんじゃない時間を過ごしてきました。 もったいないから内容は書かない。 何だかもう、めくるめく展開にマジで楽しくて倒れそうですよー。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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