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カテゴリ:本
先日書いた生まれ変わりの村(1)のモリケンつながりで
久々にこの本を読みました↓ ハンドルを手放せ たぶん3年ぶりぐらい。 当時読んだ時、ある部分が納得いかなくて なんとなく嫌な気持ちになり、古本屋に売ってしまったのでした。 この本の中でモリケンは ヘミシンクを使って色々な次元へ旅をしてるのだけど・・・ (はい、ついて来れない人続出な感じの話題です) その中で、とある高次元の存在に出会った時のエピソード。 これが何だか腑に落ちなかったんだよね、当時は。 その高次元の存在は、とにかく「愛しなさい」と言う。 だけど何故か冷たく無表情で、能面のような顔をしている。 そしてモリケンは彼女にどんどんエネルギーを奪われてしまう。 そこで分かったのは「彼ら(その次元の存在)は愛を食べて生きている」ということ。 三次元の私たちが食物からエネルギーを得るように その次元(何次元だっけ)の存在は愛からエネルギーを得ている。 だから「愛しなさい、ワクワクしなさい、全ては愛なのです」的なメッセージを発する。 私たちを「指導」したがる。 でもその実態は、そうして私たちが分泌する愛やらワクワク汁を 搾取するのが目的だったのだ・・・! というお話。 えーと、ついて来てる人いますかね? モリケンはこの次元の存在たちを「指導症候群」と名付けている。 彼らは愛や光を語り、人々を導きたがる。 だけど陽だけを良しとして、陰を否定しているので、やっぱり偏った状態。 本人たちは悟っていて完璧!と思い込んでるのだけどね。 3年前にこれを読んだ時の私は、バシャールとかアミとかが好きだった。 彼らはやっぱり「愛」とか「ワクワク」を連発している。 私は何だかその世界が心地よかったんだな。 私の中で全てが秩序立てられていて、目指すべき方向が決まっていて、安心だった。 集約すれば、ワクワクしてハッピーになればいいんだ!わーい!みたいな。 その秩序がぶち壊された感じで、不安になったのね。 バシャールの言ってたことは?アミは? 私、あれすごく納得してたんだけど・・・ あれ全部ウソ? そーかなー?んー、そんなことないと思うんだけどなー。 っていうか私がワクワクすると、その汁吸われちゃうの? いやー!返して!私の汁! と、何だか混乱して、それ以上考えたくなかったので モリケンの出会った存在の話は、忘れることにしたのでした。 でもね、当時も「アミ」なんかは微妙に引っかかる部分があったのよね。 あの本、全力で肉食を否定してるから。 著者のエンリケさんは普通に何でも食べるらしいが、あくまで文中のアミが、 死体を食べるなんて信じられない!キモい!みたいなことを言うわけですよ。 昔からそういう思想的ベジタリアンみたいなものに疑問を抱いていた私は そこだけ妙に引っかかってたの。 動物を食べるのがダメで植物ならOKって、その理由は? そこんとこ、どんだけ説明されても、いまだかつて納得できたことがない。 そもそも食べることに善悪なんてあるのか。 というか、肉食を否定して激しく攻撃する姿勢は一体、「愛」なのか? その点だけはねー、気になってました。 私のイメージする愛は、全てを受け入れることだから。 最近よく言ってる「全肯定」ですな。 あれならOK、これはダメ、とかじゃなくて 何でもいいじゃん、が愛じゃないの?と思ってたの。 あれから3年、久々に「ハンドルを手放せ」を読んだ私は 以前の10倍ぐらい内容が分かるようになってました。 それは何故か、というと。 まさしく「指導症候群」と思われる某ヒーラーさんの指導を受けたり アセンションを目指す群に迷い込んでみたりして そのあまりに息苦しい世界を実際に体験してみたから。 バシャールやアミを読んで「ふーん」と思ってるうちはまだ良かった。 実際に自分の生活を「ワクワクで満たそう」とか「愛愛愛」とかやってみて そう、いわゆる実践編ですね。 それをやったら、あーこりゃダメだと。心底思いました。 本で読んだだけなら納得のいくステキな話だったんだけどー。 だってさ、幸せじゃなきゃいけないの? 愛に満ちてなくちゃいけないの? ワクワクしてなくちゃだめ? それって、ものすごく息苦しい強迫観念だ。 何かを目指すことって、とっても苦しい。 そうじゃない、本当に必要なのは、逆の作業だった。 不幸でもいいじゃん。 憎んでもいいじゃん。 つまんなくてもいいじゃん。 そういう全肯定。 なーんてさ、確かもう消しちゃったと思うけど、 このブログを始めたばかりの頃、私まさにそういう記事を書いてたんだよね。 愛とか光とか天使とかありがとうとかばっかり言ってる人キモい、 あの浮かれポンチ達は脳が若干やられてるんじゃあるまいか、的な。 まあ、あまりに口汚い記事だったので消したんですけど。 その私が、まさかいっぺんその愛と光のワンダーランドに旅に出て、 そしてまた帰ってくるとはね・・・ 何故旅に出たかというと、あまりに激しく不幸に陥ったため 幸せを目指したくなっちゃったからなのですが! 結局のところ、私が不幸になったのは 幸せを目指す努力が足りなかったからじゃなくて 薄汚いありのままの自分を肯定できていないからだった、 ということが分かって帰還したわけです。 結局戻ってきた地点は同じでも、 何だか前より理解が深まった気がするので、自分的には結果オーライな感じ・・・ あ、そうだ、こないだいつだったかの記事で書いた、 「なんか前より深みが増したありのまま」というのはこのことです。 そして今日も薄汚いありのままで「ちんこイェー」とか叫んでいる私。 はー長いね。いつもお付き合いありがとうございます。 ワクワクしてもいいし、しなくてもいい、 愛しても憎んでも笑っても泣いても怒っても、 何でもいいんじゃコノヤロー、誰も俺の邪魔すんな、という気分です。今は。 若干怒りサイドに寄り気味。 愛と光に当てられた反動でしょうか・・・ 盗んだバイクで走り出しちゃう感じだぜ。 しかしねー、指導症候群の人たちの言うことも、まったくカスなわけじゃないんだよ。 「こうすると楽しいよ!」的なアイデアは本当に使えるし 実際いろいろ楽しませてもらいました。 ある意味極めているだけあって(愛と光の方面をな)すごく納得できること言うし。 でも9割の「なるほど~」な話のカゲに、1割「ん?」な部分がある。 その「ん?」は・・・ 全ての話の根底に流れる「こうあるべき」という方向性。 裏を返せば「こうでないものはダメ」という、否定。 そこがいつも引っかかる部分なんだよねー。 アミを読んだ時は肉食の話だけ引っかかったけど 今になってじっくり思うに、おかしいのはそこだけじゃなかった。 食べるものだけの話じゃ全然ないのよね。 楽しいの、大いにOK。 でも「楽しくあるべき」になっちゃったら、苦しいだけじゃん。 苦しくてもOK、という土台の上でこそ、初めて楽しいことを楽しいと思えるよ、私は。 某ヒーラーさんの指導を受けていた数ヶ月間、 私は何故かいつもメールの文面から冷たいエネルギーを感じていた。 書いてあることは至極もっともなのに、何だろうこの違和感。 私の中の何かが、いつも拒絶反応を示していた。 ヒーラーさんとの縁が切れた時、すごくほっとしたのを覚えている。 そしてそれ以降、彼女の名前のうちの一文字を見るだけでも「うっ」となる自分がいる。 相当イヤだったんだねー、あの数ヶ月間。 生まれて初めて、自分の現状を「全否定」して、幸せを本気で目指した数ヶ月だった。 ただでさえ自己否定が強かったのに、それを更に極めてみたという感じ。 いやもちろん、役に立つ情報もたっくさんもらったんだけどさ。 モリケンの「ハンドルを手放せ」、3年ぶりに読んでみて 高次元の存在の冷たさ、愛を吸い取っているという話に、ピンと来てしまった。 私があの時感じた冷たいエネルギーは、そういうことだったんじゃないかと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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