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カテゴリ:NAET
NAET、ニコチン治療2回目。
1回目が案外楽に済んだのに気を良くして、 今回はあわよくばこのまま卒煙・・・なんて思った私が甘かった。 卒煙どころか、制限時間15時間の禁煙すら危うかったのでした。 前回の20時間を乗り越えたという微妙な自信から 15時間なんて楽勝よね~フフフフン♪ぐらいの気分で帰宅。 今回は油断して、家事やなんかをやってもらう手配もしていなかった。 それがまずかったのかもしれない。 帰ってきたら、夫はまだ留守。 荒れ放題の台所を片付け、米を研ぎ、夕飯の支度を開始・・・ したところで、夫が子供たちを拾って帰宅。 そこで私は突然いっぱいいっぱいに。 タバコが吸えないストレスと、あれやこれやの「やらなきゃ」が 頭の中でぱっつんぱっつんに膨らんで、子供とまともに会話する余力もなし。 わーわー無理!ちょっと一人にさせて!と叫んで寝室に引きこもる。 すーはーすーはー深呼吸するが、気分は落ち着かない。 仕方ないので夕飯の支度を再開しよう、と台所の窓を開けようとしたら 滑りが悪くてうまく開かず、網戸が外れてしまった。 そこで私の中の何かがプッチーンと盛大に壊れる音が。 あ、これはまずい、もうダメだ、と思って寝室に駆け込み、 子供たちにバレないように密かに暴れよう、と扉を閉めて そこらへんにある枕や本なんかを壁に投げつけ、叩きつけ・・・始めたら 予想を上回るものすごい破壊衝動が爆発して、 凄まじい叫び声とともに、もはや発狂状態の私。 で、せっかくドア閉めたのに、子供たちわざわざ開けて入ってきて 目撃して泣いてるし。とほー。 夫が「もう吸っちゃいな、そんなに辛いのに我慢しても何にもならない」 なんて言うんだけど 「だって今吸ったら今日の治療が全部パーになる」とか言って泣く私。 「そんなことよりモモも眞手もこんなに脅えてるじゃん」 それは確かに・・・と思いつつ、割り切れない。 とにかく今は何かを「やらなきゃ」と考えるのが無理だ、 それさえ無ければとりあえず禁煙自体は乗り切れる、と思ったので 再び一人にしてもらった。 一人で布団に転がっていたら、爆発的に涙がこみ上げてきて うわーんうわーんと子供みたいに、声を限りに泣いた。 さっき暴れた時にぶつけたらしいあちこちが痛い。 泣いているうちに、いつの間にか眠ってしまったようだった。 気付いたらまた夫が入ってきて「3人で裏のラーメン屋行ってくるよ」 って、3人はいいけど私の夕飯はどうなるんだよう! と慌てて追いかける。 結局作る予定だった夕飯は中途のまま台所に放置で、 それがまた悲しくて泣ける。 そんなこんなで何とか夕飯を食べに行き、 食後の一服ができないことに悶絶し、 子供たちの寝かしつけと同時に寝てしまい、 朝方起きたらもう制限時間終了だったので、一服しました。 何だか分からないけど、前回の10倍ぐらい辛かったー。 卒煙への道のりはまだまだ遠そうです。 そしてそろそろ近所の人に「あそこの奥さん、頭おかしいのかしら」 とか思われてそうで怖い。 本当は何より、子供たちにこんな姿を見せてしまう自分が悲しい。 子供の頃、突然キレる父親が怖くて、いつも脅えていた私。 私はあんな風にはならない、安心できる環境で子供を育ててあげるんだ、と心に誓っていたのに。 というか、普通に大丈夫だと思ってたのに。 なんでこんなことになっちゃったんだろう。 下手したら父より私の方が狂ってる。 それが悲しくて、最近よく泣いている。 あんなに楽しみにしてた子育て、子供と一緒にいっぱい遊んで 幸せに暮らすんだーと思ってたのに・・・と思うと泣ける。 どんどん取り返しのつかない方向に育っていく子供たち。 私みたいに、もしかしたら私以上に辛い人生を送ることになったらどうしよう? 既に心はズタボロになっている気がする。 そうそう、今回NAETに行く前にふっと思いついたことがあって 私の「タバコが吸えないことへの恐怖感」に、 ホメオパシーのポースティーラが効くんじゃないかなーと。 ポースティーラは簡単に言えば依存→自立のレメディだし、 間違いなく私の中に強くある要素。 私はとにかく激しい依存体質なのだ。 時とともに依存の対象が変わりはするけれど、 常に何かしら「これがないと生きていけない、存在が崩壊してしまう」 みたいな凄まじい恐怖感を抱えている。 その感じは、海の中で酸素ボンベを奪われるような、 砂漠で大事に持ち歩いてた水筒を奪われるような、 うまく言えないけどそんな感じ。 「無理!それがないと無理!お願いだから返して!」 と全身全霊で泣き叫びたいような感じ。 依存の対象は、小さい頃は母親だったし 一時期は大恋愛の彼氏だったり 食べ物だったりタバコだったりね。 私はとにかく何も持たずに丸裸でそこにいることが、 どうしてもどうしても怖くて発狂してしまう。 で、ポースティーラはそれ単品では、さほど私のこの 気違いじみた依存にマッチする感じとも思えないのだけど 実は一回大ヒットした経験があって、それで「もしかして」と思ったのよね。 というのは、二度目のお産の時。 二度目なのに何故か初回より進みが遅くて、 眞手は子宮口に降りてこないまま、宙ぶらりんの長い時間が過ぎようとしていた。 痛みも結構ピークなのに、降りてこない。 「お願い、降りてきて」なんて話しかけつつ、もういい加減疲れ切っていた私は 何だかもう逃げ出したい気分になっていた。 夫や助産婦さんたちが「辛いね、痛いね、もうちょっと頑張ろうね」 なんて励ましてくれても、実際に痛いのは私だけ。 誰が代わりに産んでくれるわけでもない。 でも私はもう逃げ出してしまいたかった。 他でもないこの私が「やらなきゃいけない」という事実が怖くて怖くて、 宇宙で一人ぼっちみたいな気持ちだった。 とても乗り越えられないように見える痛みや恐怖、 誰も助けてくれない、頼るものは何一つない、一人で立ち向かわなきゃいけない。 逃げ出したい。 そんな心境の時、ふっと頭に浮かんできたのが「ポースティーラ」という言葉だった。 痛みの中、頭なんてぐるぐるなので、この場合にヒットするのかどうかなんて判断は 一切できる状態じゃない。 でもとにかく「ポースティーラください」と何とか声に出して 口の中に放り込んでもらった。 その途端だ、もう本当にどうしようもなかった恐怖感や孤独感、 やり場のない怒りや逃げ出したい気持ちが全て消え 「よっしゃ産むぞ!私がやらないで誰がやる!」という 前向きな気持ちにスイッチが入ったのだ。 それと同時に眞手はぐいぐいと降りてきて、 そこからはあっという間、5分ぐらいでの誕生となったのでした。 あれは劇的なヒットだったなー。 あの時思ったのだけど、これって結構私の人生のテーマかもなーって。 私はいつも誰かや何かに頼って、陰に隠れて、手をつないだ子供みたいで 自分の人生を自分で切り開いて生きることができない。 一人で立って生きていくことは、酸素ボンベを奪われるのと同じなのだ。 臍の緒をいきなり切られるみたいに。 私の心はまだ、母親から酸素を回してもらう、胎児と同じレベルなのかもしれない。 あのスイッチが切り替わった瞬間に分かったけど 依存状態と自立状態の違いは「丹田に力が入っているかどうか」だ。 同じことを同じように実行するでも、 自分で納得して、やる気になってやっている状態(=自立)と 義務感や恐怖感に駆られて仕方なく(=依存)では全然心境が違う。 どんなことをするのも、自分がその気になっていない限り、ものすごく辛い。 やりたくないのにやらされるのは奴隷と同じだもの。 私はいつも「やる気になる」「楽しんでやる」ことができず やらされる恐怖でいっぱいになって生きている。 本当に人生のテーマだと思う。 整体の講座でも指摘されたけど、私ほんとに丹田がスカスカみたいだしね。 いかにこれまでの人生、やらされ感に押し流されて生きてきたかということ。 苦しみから逃げることだけをひたすら考えてきた。 生きることを引き受ける度胸がなくて、逃げ回る人生という感じ。 タバコを手放す恐怖感にも、ポースティーラがいいかもしれない。 と思ったので、治療の時に聞いてみた。 筋反射を取ったら、すごくいいみたいとのことだった。 がしかし、実際帰宅して発狂してた時はポースティーラのことを思い出す余裕もなく。 結局飲んだのは寝る前だったんだけど。 朝起きたら病気の猫みたいに、目が開かないぐらい目やにがびっしり出てました。 なんかとりあえず、ヒットしたみたいだよねー。 結局タバコは吸っちゃったけどさ。 長くなりましたが、ニコチン治療は今回では終わらないみたいです。 あと何回やるのか分からないけど、それが終わったら今度はまた砂糖だってー。 砂糖もかなり根深いよね・・・。 NAETとは別に、ポースティーラを毎日摂ってみようかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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