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カテゴリ:摂食障害・たべること
昔、私にとって「がんばる」とは悪だった。
私は長いこと、がんばるということが、本当に全然できない人間だった。 がんばりたくない。 がんばれない。 だいたいがんばるって何だよケッ。 それって無理するってことでしょ。 がんばらなくちゃいけないことなんて、全部ウソだ。 がんばらなくても生きられる方法があるはずだ。 楽になりたい。 楽にしてくれ。 という感じ。 初めて「あれっ?」と思ったのは数年前。 ちょうどベリーダンスにドはまりして、異様に元気だった時期だ。 本当に生まれて初めて、生きてるのが楽しかった。 基本が楽しいので、今まで辛かったいろんなことも難なくこなせるようになった。 そしてベリーダンスの練習を「がんばる」のが、楽しかった! がんばるのが楽しい これは私にとって衝撃的な画期的な、完全に新しい感覚だったのだ。 ほんとに丸っきり未経験の。 わー何だろうこれ、すごいすごい! とその新しい感覚、新しい自分を興味深く楽しみつつ、 なんでそうなったのか、そこらへんは今ひとつ把握できずにいた。 なんでそうなったのか分からなかったから、 そうじゃなくなった時も、なす術がなかった。 ただ去って行った楽しい日々を惜しむだけ。 ほんとに惜しかったぜマジで!死ぬほど! それからまた暗黒の数年がやってきて、 何だかんだでとりあえず暗黒は抜け平和が訪れ、 そしてまた今回の「がんばるのが楽しい」時期! 分かった。もう分かったよ。 がんばるのは悪いことじゃない。間違ったことじゃない。 人は本当に、自分が心の底から楽しいと思うこと、やりたいと思うことなら 「気持ちよくがんばる」ことができるのだ。 あんなに辛い、体を引きずるような、拷問のような「がんばる」しか知らなかったのは それが私自身の選択でなく 誰かのため、何かのために仕方なく選んだことに対して「がんばっていた」から。 それも自分ではそうと気づかずに。 自分で選んだつもりで、それは本当の自分の選択ではなかった。 頭で、理屈で、ためになるはずだから、と選んだこと。 心が伴っていなかった。 気持ちよくがんばる感覚を知らなかった私にとって、 幸せというのは「ゆるむ」方向にしか見当たらなかった。 がんばる=力を入れる、緊張 ×これ苦しい リラックス=力を抜く、弛緩 ○これ気持ちいい という感覚。 そんなわけで、リラックスしたいという欲求しかなかったわけ。 単純に、そっちしか知らないから。 だから果てしなく「食べる」とか「寝る」とかに溺れていったんだな。 リラックス!もっともっとリラックス!まだ足りない!もっと!って。 でもそれじゃバランスが取れないわけ。 人間ゆるみっぱなしってわけにいかないでしょ。 ゆるんだら、締まらないと。 で、気持ちよく緊張する術を知らないだけに 気持ち悪い緊張の仕方でバランス取るわけです。 パニック障害とか。 育児ノイローゼとか。 ただひたすらキレるとか。 もう何だ、結局リラックスも気持ち悪けりゃ(過食) 緊張も気持ち悪い(パニック)っていう。最悪な。 ここ最近は気持ちよいリラックスの仕方をどんどん学習して 過食なんかもおさまったわけだけど。 ようやくここらへんで分かってきた。 気持ちよい緊張、すごい大事! よく適度なストレスは大事とか言うけど、そういう意味合いとちょっと違って。 「楽しくがんばる」ということ。 この感覚、多分すごく大事。 逆に言ったら、楽しくがんばれる何かを見つけるってことが大事なんだろうな。 私はいったんそれを見つけたのに、 その大事さに気付かず放り出してしまった、 だからこの数年また苦しんだんだなー。 リラックスの方角ばっか見てたからさ。 昔は「がんばれ」とか「がんばろう」という言葉を使う指導者を見ると もうそれだけで「この人ニセモノ」と勝手に切り捨てていた。 がんばらなくちゃいけないんじゃ、それって幸せじゃないじゃんって。 かなり勝手な勘違い。 楽しいがんばる、気持ちいいがんばるもある。 これ、私の人生にとっては、かなり画期的な発見でした。 今まで勝手にニセモノにしてた人、ごめんなさい。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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