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カテゴリ:旅行
30日、京都の清水寺へ行きました。桜の頃に清水寺のすぐそばを通りましたのに、駐車場が判らなくて、寄らずに帰って来ました。
家を出る時に「清水寺」とカーナビにセットして行きました。 9時半に出発して、京都の手前で12時だったので、『さと』でお寿司を食べました。」京料理」とか「京野菜」とか特別高級みたいに言われるのが嫌いで、京都の店屋は避けています。京都の言葉も好きではありません。車の通らない町の中も、歩いたことがありません。 カーナビが「目的地周辺です」と言ったところまで行くと、歩いている人が多い狭い道脇に「この先行き止まりです」と看板に書いた駐車場がありました。おじさんが一人、黙って立っていました。 「此処で駐めて、歩かなあかんのと違う?」 「こういうとこがヤらしいねん、京都は…」 おじさんの前を素通りして200メートルほど行くと、本当に「行き止まり」でした。石段の前に重い石を並べて綱を張って、「通行止め」という札をぶら下げてあります。両側の家の前には、「駐車場につき、此処へ車を置かないでください」と張り紙してありました。 「駐車場につき、車置いたらあかんねんて」 「なに言うてんねん。……ここが清水寺か」 ショータンは車をバックさせました。おじさんはまだ同じ所に立っていました。 「駐車場の人と違うのン?」 「違うな。駐車場の人やったら、ここへ入れと合図する」 「20分200円」と書いた駐車場の入り口で券を取って遮断機を上げ、駐車場へ入りました。係りの人はいません。空いた場所に勝手に停めて、出ました。隣の店の横に、首の無い人形が着物を着て立っていました。「舞子さん体験」という看板が出ていました。 また長くなりますので、写真を多く入れて文は省略します。 まだ綺麗な紅葉でした。参詣というより、紅葉見物の人がお正月ほどいました。 サイズの調節がまだなので、あとはまたにします。 1時間半、休みなしに歩いて、山門まで戻りました。ショータンは駐車料金が気になるから、先に降りました。私が駐車場へ行くと、車はいません。さっき、石段を降りた所にいたのがショータンの車だったかと、200メートル後戻りしました。違いました。足が痛いのに、先に車出さなくても…。この細い道へ入るとこまで歩くのはイヤやー。400メートルはありそうです。 仕方なく歩き始めると、ショータンの車が何処からか現れました。 「駐車代、1000円超えてた?」 「うん。はじめ、5000円札出してん。『お釣り、無い』言うねん。みんなが細かいお金出すんやったら、無い筈はないやろに。あとは1万円札しかない言うてたら、丁度車出す人が来て、『5000円くずれますか』と訊いたら『ありますよ』言うて両替してくれはった。1時間25分やったけど、800円」 「奈良の駐車場よりは安い」 「奈良は、一日で1000円や。京都はやっぱりガメつい」 夕飯は中華を食べて家へ帰りました。ショータンは8時に部屋へ引き上げました。車の中で40分は寝ていたのに、私も10時にはベッドに入りました。 夜中、左右とも脚が痛くなって目が覚めました。My酵素油を塗って、こむら返りも起こさずに寝られました。 翌朝、ショータンはいつもの時間に私の部屋を覗いて、「今日は頭がふらふらするから、寝とくワ」と言いました。 「夜中にトイレへ行こう思うてこけてん」 「アタマ、打ったん?」 「打てへんけど、ふらふらしてる」 遊ぶのも命がけになる年齢でしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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