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カテゴリ:方針
「ヘルパーさんは4日から普通に来てくれはる。朝30分、昼1時間、夕方1時間。今まで火曜日と金曜は夕方にお風呂へ入れに来てくれてはったけど、今度は毎日夕方に晩御飯の支度もしてくれはることになってん。2か所のセンターから来てくれるねんて」
「そんだけ来てくれはったら安心やん」 「老人ホームへ入ろか、言いだして、あっちこっち訊いて回ったけど、急に入れてくれるとこなんかないわ。何処も100人待ち、200人待ちやてぇ。2年前にうちの近所に新しいホームが建ったからパンフレット貰うて来たのに、申し込めへんかったやろ。『○本さんが入ってはった博愛社も訊いて来て。あそこは簡単に入れる筈や』言うから行ったけど、2年待たんならんて。行くとこなんかない」 母をホームに入れようと何年も前から考えていた姉は、暮に走り回ったようです。私はホーム反対です。母のような頭がはっきりしたおばあさんは、他の入居者やホームの人たちとうまくやって行けるはずがありません。 一人で気儘に頑張って、躰がダメとなったら病院へ行ってあっさり死ぬつもりだった母は、何度入院しても病院ではあっさり死ねないのだと納得したのです。 今回はかなりの量の下血があって、自分では家の薬を飲んで二日ほど食べずに寝ていたら治ると思っていたのに、ヘルパーさんが慌てて掛かりつけの先生を呼び、センセイが「病院へ行ってください」と言い、たまたま来た姉が急いで救急車を呼んだので、あっと言う間に入院させられたのでした。ナースが気に入らなくてハンストを起こしたのが母の誤算でした。それでなくても病院は、患者たちをみんな同じ状態にしておきたいのに、一人二人が自分でお箸を持ってご飯を3度食べるというのは面倒なのです。だから鼠蹊部にチューブを埋め込んで、薬入り水だけ与えて寝かせておくことにしたのです。死ななくてもいいし死んでもそう不思議ではないおばあさん患者というのは、血液検査でいろんな数値を見せてくれるサンプルなのです。 姉が帰って行ってから、母は言いました。 「世の中におばあさんが余りかえってて難儀やなあ。入ろう思うててもあかんらしい」 「白浜にええ施設があるらしいよ」 「遠いなあ」 「どの人も、家族は月一回ぐらいしか面会に来はれへん」 「まあ、ここで100の誕生日迎えたいとも思うねん」 「歩かなあかんで。テレビに出て来はる100歳は、みなしゃんしゃんしてはる」 「そうやなあ。頭ははっきりしてても、トイレに一人で行けんようではテレビに出して貰われへんな」 母の記憶を聞き出して「通天閣物語」を書いたのは、もう19年も前のことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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