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カテゴリ:新聞
まもなくメーデーということで、きょうの新聞、果敢にタブーに挑戦している。
資本や企業は国境を楽々と越えてしまうのに対して、人間は大地にへばりついて生き延びなければならない。したがって、国家に対して、越境をカードとして持っているかどうかで、資本や企業と労働者は好対照をなす。資本家は国家に対して要求をのむよう迫ることができる。のまないなら出て行くという脅しが効くからだ。 これがグローバリゼーションの本質的な問題点であり、労働者が政治的に敗北を続ける理由だ。 どこの国のことをいっているのかはわからないが、いまもっとも最底辺にいる労働者は外資誘致のための自由貿易特区で働く労働者であり、労働基本権もない状態で働いているらしい。それと鉱山や綿花畑で過酷な仕事に耐える労働者だそうだ。 ところで、日本は企業内組合が主流なので、自分の会社が儲かっていればそれでよしである。保守的になってしまって、非正規雇用から既得権に走るなと非難される始末。 他方、視線をぐっと後ろに引くと世界にあるのは、国家を超越する資本家とそれに利害の対立する労働者という構図。これはおよそ160年前、共産党宣言が想定していた構図の再来だという。そう、例の「万国の労働者、団結せよ!」というヤツである。 しかもいまやインターネットの時代だ。情報は容易に国境を越える。団結の機運はもっと盛り上っていくかもしれない。 温故知新とはよくいったもので、グローバリゼーションの時代に生活防衛してゆくための方向性をある意味的確に指し示しているように思える。 しかし簡単な道のりではあるまい。まず、日本国内で自足する状態を離れなければならないのだ。しかも、相手は越境をカードに国家をからめとる資本や企業である。おまけに世界の労働者と共闘するっていってもねえ。 結局、ひとりひとりが試されるということだ。貧困の根絶に共感し、行動に結びつけなければならないのだから。 人間が人間らしく生きるために共に闘わなければならない、要は、何よりもまず人間性を取り戻さなければならないということなのだ。160年前には確かにあった人間的な感情を取り戻す、それが大前提となる。だがそれはきっと、孤立した自閉症気味の現代の労働者にとって、言うほどにはたやすいことではあるまい。 さて、まもなくメーデー。日本のメディアはメーデーをどのような形で取り上げるのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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