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カテゴリ:息抜き
うちの会社も天下りを受け入れている。見返りを期待してのことだ。
伊藤修の「日本の経済」(中公新書)は確かに力作だった。しかし、公務員の数もコストも欧米に比べると日本の水準は低いという主張がいまだにひっかかっている。 もしかして、伊藤修が官僚出身だとかなにか公務員を擁護する特別な理由があるのではないかと勘ぐってみたりもした。と思っていま新書を取り出して略歴を見ると大蔵省の研究所研究員をしていたことが判明。アホらし。 以下、公務員に関して。 日本の公務員は特殊法人や民間への天下って、天下り先で退職金太りを繰り返していく。たとえば、この間、ボランティアの説明会で話をした札幌市の財団法人国際プラザの次長は財団法人にずっと出向している。どこかで観光課をやめて、財団法人に天下るのが自然な成り行きだ。 できる役人は組織を作ってポストに就く。普通の役人は先輩の作った組織に天下って老後に備える。 そもそも減点主義で保守的になりがちなところへもってきて、自らの保身を考える。そのときに頼りになるのは先輩たちが作り上げて来た天下り先だ。彼らは集団で、役所の利益を確保するために結束する。自らの老後がかかっているからだ。 国民はまずそれが我慢ならない。 彼らの目は国民の方を見ているわけではない。自らの保身のため、政治家に対してWIN-WINの関係を持ちかける。財界に対しても同じ。自らの保身のため、天下り先のイスと引き換えにWIN-WINの関係を持ちかけられて受け入れる。 もちろんまじめな役人だっている。まじめにこつこつが彼らの徳目だ。しかし、それがろくな結果をもたらさない。なにかにつけ無責任で他人事なのだ。1000兆円の財政赤字はそれを物語っている。 小生の親は木っ端役人だった。いまは引退しているが、年功序列で最後の方は年収は1000万円を超えていたし、退職金だって法外な退職金だった。民間と比べると明らかに不当な感じがする。明日をも知れない民間のギリギリのストレスと比べると何かにつけ、ゆったりとたおやかなのだ。 年金だって、民間と違う。早く統合すればいいと思うのだが…。 ほんとに伊藤修がいうように公務員の数とコストは欧米の水準より低いんだろうか。統計に出てくる公務員の定義が違うんではないか。 ちなみにリバタリアンに傾いた世相からいけば、役人を叩けば票になるような気がするんだがね。国家主義者には出来ないことだろうけど、リバタリアンなら出来る。役人叩きが国家主義とリバタリアニズムを分かつリトマス試験紙になる。 役人は信用ならない。今回の年金問題でプチッと切れた。いっておくけど行政の長は内閣総理大臣だからね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 13, 2007 11:46:59 PM
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