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カテゴリ:タブー
米国がくしゃみをすると日本は吹っ飛ぶ。だから世界経済が崩壊しないように行く先を案じるのもいい。
しかし、地球環境が壊れてしまわないように、そしてミクロでは日本の疲弊した地域経済が立ち直るように、そんな方向にものごとを進めるために、誰でも始めることのできる地域通貨が焦点を浴びている。 地域通貨を始めるには、お金について考えることが必須だ。世界経済が崩壊したときに備えて地域通貨を考えておこう。 さて、お金には財産として貯めておけるという邪悪な性質があるが、それを助長するのが利息というシステムだ。 イスラム教は利息を禁じているが、これではユダヤ資本と相容れない。 ユダヤ資本は英米と結託して、世界経済を支配しているというトンデモ世界観があるようだ。が、そうした話は一旦脇に置くにしても、確かにいまの調子で資本主義に内在する過剰なドライブを放置しておくと地球環境はもたない。 だから、資本主義の過剰さ、すなわちお金が利息が生むという過剰につながる原理は否定せざるを得ないところに来ている。 説明をすっ飛ばしたが、お金が利息を生むと何故過剰な生産に走るのかというとそれはすでに述べたように利息がお金の蓄財機能を助長する事実が貧富の差をもたらし、お金に対する欲をかきたてるからだ。 お金さえあれば大抵のことはなんだってできるので、富める者は富みを独占しようとするし、貧しい者は生存のためにお金を渇望する。そんなお金の性質を助長する利息というシステム。 お金は貯めるものではなく、使うものだという発想で、お金を長く保持していると損になるシステムを考えたひとがいた。シルビオ・ゲゼルだ。彼の思想は、TV番組「エンデの遺言(続編)」で取り上げられていた地域通貨の源流となった思想だ。 ところで、ドルはいま決済通貨だから刷り放題である。 輸出して入手する現金はドル。そして手にしたドルをどうするかというと米国債を買う。米国債は高金利だからだ。 強いドルは米国の国益だというのは、米国債が売れるからだ。決済通貨の地位を米国ドルが占めている限り、どんなに双子の赤字が大きくても構わない。まったく米国のやりたい放題である。 なお、世界中の国が輸出して外貨を稼ぐためにあくせくするのは地球環境にとっても悪い。これは決済通貨がユーロになったとしても同じことだ。 米国がドルを刷りたい放題刷る自由というのは論外だし、だからユーロにはがんばってほしいが、もし利息という邪悪なシステムではなく、反対にお金を保持していると価値を減じるシステムがビルドインされたとしたら…。 ひとびとはお金を蓄える動機を失って、お金は常に循環することになる。 生活するためには労働の対価はもらわねばならない。しかし労働に対する正当な対価に自足すれば、蓄財のための過剰な生産に走る必要はなくなる。お金は分業によって生産された製品を交換する仲介機能を果たせばよい。つまり純粋なメディアの地位に収まる。 地球環境のためには、利息というシステムをやめ、保持することで価値を減じるシステムをビルドインするしかない。 こういう見通しを立てて、まず自分のできるところからというと地域通貨である。こういうシステムをビルドインした地域通貨は、1929年の世界恐慌のときに大いに機能したという。世界恐慌になってもこういう地域通貨が機能するから怖くないということだ。そもそも生活必需品を買うお金と株式に投資するお金は同一である必要なんて全くない。 しかも過剰な労働ではなく、ディーセントな労働で生活できるらしい。いまの金融資本主義下の労働が異常だということなんだなぁ。 家内が読んだ、倉都康行「金融史がわかれば世界がわかる」(ちくま新書)、内山節「貨幣の思想史 お金について考えた人びと」(新潮選書)を読む。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 29, 2007 12:52:17 AM
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