オルタナティブ通信のきょうの記事、
イスラエルの我が祖国・中国を読んだ。
へぇこういう見方もあるんだと勉強になる。
きょうもコピペしておこうかと思ったがやめておこう。話が少しややこしいし、ブログ記事にしては長すぎる。それに麻薬と諜報機関が歴史上大きな役割を果たしてきたというのもね。あまり気分のよい話ではないし、衒学趣味に走っているような気もする。歴史の闇と称するものもほどほどにしとかなあかんという気持ちになるよね。
そもそもこういう歴史観は未来へ繋げようがない。歴史の闇の部分に焦点を当てすぎると、我々の未来への道筋が見えなくなるのだ。
まさか、我々の未来を麻薬つながりの大富豪やCIAに託すわけにいかんし。こういうものの見方ばかりではちと悲しいなと思う。百歩譲って過去はそうだったとしても未来がそうであっていいと思うひとなんていない。だから未来に繋がる歴史的事実を紡いで、ストーリーテリングしたものもたまには見たいという気分になる。
そういうものの補完として、麻薬や諜報機関など歴史の闇を語るべきで、それがないと衒学趣味にはまってしまうだけだ。やはり、基本的には自分たちの手で歴史は変えられるんだという幻想の方がいいもんね。生活をするということはそういう感性を持つということだ。ザ・ポジティブ・シンキングである。
もはやまじめに働くものが報われる社会でないかもしれない。しかし、べき論は生きているし、べき論が広く行き渡るよう規範的に生きるべきだ。子供たちのためにも。現実をしっかり見据えなくてはならないが、理想は見失ってはならない。30年近く前、高坂正堯が授業で言ってた言葉だ。
生活第一。