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カテゴリ:タブー
ネット空間における陰謀論はインパクトがある。以下、それについて考えた。
ネット上では匿名記事が一般的だ。また、レトリックを凝らした言説が支持される傾向がある。 もちろん、その主張の質は玉石混交だ。しかし、ネット上では玉も石も等価である。つまり、見出しの大きさや放映時間の長短というような、編集による重みづけがなされない。 ネット空間とはこのように一切の制約から自由な言説が等しくせめぎあう世界だ。 このような世界において、白か黒か、敵か味方か、善か悪かという二分論は、そのシンプルな論理ゆえ、インパクトが強く、大衆ウケしやすい。 ネット上で陰謀論が流通するのはこのような背景があるからだ。 ネット上で特定の言説が流通するには、真偽などあまり関係なく、大衆ウケする説得力さえあればよい。そして、その説得力は、二分論のようなシンプルさと客観的な外観さえ整っていれば、あとは衝撃的な事実をあれでもかこれでもかと並べ立てることによって、容易に獲得できる。 一旦、そういう言説に憑りつかれてしまうとまるでゾンビのように、今度はそういうフィルターを通して、ものごとを見てしまうようになる。しかも憑りつかれた本人には通常そういう自覚がない。次々とゾンビがゾンビを産んでいくのだ。こうして、陰謀論はネット上で加速度的に流通しはじめる。そしてある閾値を越えるとリアルの世界に伝播する。 しかし、陰謀論が主張する事実は、全てがウソだとして、全否定しているワケではない。完全に根拠のないデタラメなのか判断がつかないというのが正直なところだ。100%否定してしまって、陰謀論の烙印を押して、無視していればいいという楽天家ではない。全否定するのは多分行き過ぎで、拾い上げるべき真実はきっとあるような気もするからだ。 そこのところを評価し、切り分けるプロの出現が待たれるところだ。こうしたプロ待望論は、やがてリアルの世界にも影響を及ぼして行くような予感がしている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 30, 2008 10:33:22 PM
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