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カテゴリ:タブー
人文・社会科学の領域は、ほとんどが仮説で、たとえば、同じ経済学でも近経とマル経が同時に存在していたように、前提が異なれば、全く次元の違う論理の体系がその異なった前提の上に構築されたりもする。だから、どんな条件のときにそのような主張が真性に成立するのかを考えることが必要だ。
陰謀論は、検証可能な主張かというとその点は非常に弱く、実証主義の観点からいえば、まったくなっていない。逆に、学問的な厳密な裏づけとなじまない領域に属するので陰謀論と蔑んで呼ばれているのだともいえる。 しかし、このような認識は以下に引用したような議論を聞くとたじろいでしまう。陰謀論のインパクトは実に強い。素人は通説だけを信じていれば無難なんであろう。しかし、ネット時代のリアルがそれを許さない。 ところで、議論一般にいえることだが、特に陰謀論においては、論者が自分のよって立つ前提を自覚した上で、議論が真性に成立するための条件を自ら明らかにする努力をする必要はないだろうか。要するに力を入れるポイントを少しずらすべきではないかということだ。エスタブリッシュメントを議論に巻き込むにはこういう視点も大切だと思うのだが…。 さて、副島隆彦の学問道場「気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板」バードさんによる2/29投稿より、ネット時代のリアルを感じさせる一文。 …ユースタス・マリンズによれば、イエス・キリストは金髪碧眼のガリラヤの住人として、ヨセフとマリアから生まれた。決して、ユダヤ人ではなかった。そして「ユダヤ教」文化と「キリスト教」文化は共存できるはずは決してない。これらは明らかだ。なのに、「イエス・キリストはユダヤ人であった」とか、「ユダヤ・キリスト教」共存文化を讃える論文を書かなければ、どんな(宗教関係)学者も大学で職に就けないという。今はこのウソが大学で教えられているという。(ユースタス・マリンズ『衝撃のユダヤ5000年の秘密』p.95-96) 私はいろいろな情報、いろいろな面からみて、今のアメリカ学問は間違ったウソ学問だと思うようになっている。だから現代の世界基準は相当怪しいと思っている。それに惑わされないで生きなければならないと思っている。 ロックフェラー1世は、1901年、ロックフェラー医学研究所を設立した。それが後、1965年にロックフェラー大学になった。ロックフェラー家の現当主デイヴィッド・ロックフェラーは、現在もその名誉総長だという。またロックフェラー1世は、1903年、一般教育委員会(一般教育基金?)を設立したという。 ロックフェラー財団も、ロックフェラー1世によって、1913年、連邦準備制度が議会を通過した年、設立された。アメリカの財団では最古のひとつであるという。「この財団は、多くの財団を傘下におさめ、近年は開発をめぐる世界的問題を重視しており、地球環境、発展途上国、農業・健康・人口などの諸問題の研究助成をはじめ、芸術や人文学、および教育の機会均等にも支援をおこなっている。そのほかアメリカの学校改革や国際安全保障問題のプロジェクトもある。」(エンカルタ百科事典より)このように、ロックフェラー財団は学校改革など、ありとあらゆることを行っている。 だから、現在のアメリカ医学などアメリカ学問のほとんどは、ロックフェラーとロスチャイルドが指導して出来たのだと考えるべきだろう。アメリカ学問にあちこちウソが潜んでいるのは、そのために違いない。 ● 識者と学者 つぎは、槌田氏の学問論である。 (引用はじめ:槌田敦『新石油文明論・砂漠化と寒冷化で終わるのか』) 自然現象であれ、社会現象であれ、問題のあるところには学問の種が転がっている。この問題を探す能力は、他人の説に反対するところから始まる。そして、自分の説にも反対しなければならない。自分の説に反対できなくなったところで学問は止まるからである。そして、他人に対しても、また自分に対しても、反対するには、現象をよく観察しなければならない。この反対する能力と観察する能力を失い、常識の解説だけをするものは、識者であっても学者ではない。(p.88) (引用おわり) これは、名言である。これによって、現在のエスタブリッシュメントは、「識者」を好み、「学者」を毛嫌いする集団であることが理解できる。 アメリカは現在ものすごい学歴社会である。学歴のない人間の意見はまちがいなく軽視され、無視される。アメリカの本やビデオなどでIMFや御用学者たちなどの発言を注意してみればそのことがよく分かる。 アメリカの学者やエスタブリッシュメントは、学説や常識の解説だけを行っている。学説や常識の解説だけである。それと現象との関わりについては極力避ける。すぐに「学説解説」に戻っている。そして際限なく、解説をひけらかす。つまり彼らは「識者」である。「学者」ではない。アメリカ学歴社会の高学歴者には、明らかに「識者」が求められ、「学者」は求められていないのである。ロックフェラー家やロスチャイルド家が大学の支配を広げたからだ。(彼らは完全支配を目論んでいることだろう。) 彼ら「識者」は、憶えた学説は正しいとする。自分はそれを語るのであるから、正しいはずだとする。もし万が一、その学説が間違っていたとすれば、その責任は学説にあり自分には責任がないとする。「識者」はそういう無責任な輩である。そういう識者が集団になり、「識者」無責任階級をなしている。政界、財界、学界、マスコミ界に群れをなしている。「識者」政治家、「識者」財界人、「識者」評論家などだ。これが現状だ。 ロックフェラー家やロスチャイルド家は、そういう「識者」無責任階級を作り、育て、利用しているのだ。「識者」無責任階級に人並みの報酬を与え、「識者」であるかぎり、学歴や地位を失うことがないように守ってやっているのだ。彼ら「識者」を大学に配置し、彼ら「識者」に学説(常識)を解説させて、どんどんウソを教えさせている、すなわちどんどん宣伝(プロパガンダ)させて、「識者」をさらに大量生産しているのだ。そして、彼ら「識者」の大群を使って、学歴のない人間の意見を軽視させ、無視させているのだ。そしてプロパガンダを広めさせているのだ。 ところで、彼ら「識者」が「学者」になろうとすると、厳しい仕打ちが待っており、甘い生活は許されなくなる。ロックフェラー家やロスチャイルド家は守ってくれなくなり、裏切り者だから命さえ危なくなる。一度「識者」の道を歩み始めると、もうほかの道は許されないのだ。それ以後は終生、懸命にプロパガンダして、世界の一般庶民を騙し続けるしかないのである。それ以外の自由は許されないのである。 いずれにしろ、「学者」か「識者」かを見分けることができれば、すなわち多くの現実(現象)を観察した上で(場合によっては自説を含め既存の説の否定も覚悟)の学説かどうかを検討すれば、それを基準にして、その学説が有効かどうかを判断できる。われわれはそういう視点に立って、騙されないようにしなければならない… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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