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カテゴリ:タブー
きょうも大きな話に戻る。大きな話はまだまだ尽きない。ネット時代のリアルにふさわしいネタだ。「武器商人 金融資本」、「武器商人 金貸し」でググるといいのが出てくる。「年次改革要望書」でググっても面白いのだが、それはまた別の機会に譲ろう。
これが「産業資本 金融資本」とか、「軍産複合体」だとかだとつまらないから、検索キーワードの選択は、ひとつのスキルですね。 さて、まずは阿修羅の記事ペイラントはオランダ商人で同胞がスペインに対して独立戦争を戦っているのに、スペインに大量の武器弾薬を売ったが勉強になる。元ネタは「株式日記と経済展望」らしい。全部引用すると大変なので、ごく一部だけにしておく。実は、省略した前段が具体的な史実で、省略したこの部分こそ、問題のエッセンスが詰まっているんだけどね。 …世界帝国の覇権はポルトガル・スペインから始まって、スペインの無敵艦隊が敗れたことでオランダに覇権が一時移った。しかしその覇権は数年しかなくて英蘭戦争でオランダは敗れて世界中のオランダの植民地はイギリスに移った。しかし大英帝国の世界覇権も第一次世界大戦と第二次世界大戦の結果、世界の覇権はアメリカに移った。 これらの世界帝国の興亡は海洋支配の歴史であり、海を制するものが世界の覇権を持つことになる。現在ではアメリカは押しも押されぬ大海軍国であり85隻の原子力潜水艦と12隻の原子力空母は他の国では持つことも不可能だ。ソ連も一時はゴルシコフ提督のもとに大海軍を創設しようとしたが、経済的に破綻してソ連は滅んだ。 アメリカもおそらくソ連型の崩壊をたどる事になるだろう。ドルの為替相場や国内石油の産出量や経常収支や財政赤字の増大はそれを予感させる。国家の経済的破綻は予測する事は出来ても何時起こるかは予測する事は難しい。アメリカ軍がイラクやアフガニスタンに何時まで留まるかでも違ってくる。 スペインやオランダは戦争に敗れて覇権を失いましたが、大英帝国やソ連は植民地が独立したり内部の反乱によって崩壊しました。アメリカの場合は経済破綻で大海軍が維持できなくなり、国内の政治的混乱などが重なって19世紀以前のアメリカに戻るか、いくつかの国に分裂してアメリカは東北部の一部に残るだろう… ペイラントが気になったので検索するといいのがあったので引用しておく。キーワードとしては、「ペイラントの自由」の方がよさげだが、まあいいや。 …安全保障を決めるのは常に情報と高性能兵器です。ヨーロッパ諸国からの技術売り込みに対抗してという側面はあるにせよ、日本は最も警戒すべき隣国にその両方ともを売り渡してきました。まさに「ペイラントの自由」を思い起こさせます。 「自由貿易を信奉するオランダ商人のなかには、敵国スペインに大量の武器弾薬を売って大儲けするものもいた。その一人ペイラントは、逮捕されても「貿易は万人にとって自由でなければならず、戦争によって妨げられてはならない」と主張して、裁判で無罪を勝ち取った。この主張を「ペイラントの自由」と呼ぶ。 政治家も、私利私欲のためには国家全体の危機も省みないという、「ペイラントの自由」の信奉者であった。 1665年の第二次英蘭戦争の前には、すでにオランダ船200隻が拿捕されていたにも関わらず、オランダ商人は英国に大量の軍艦用資材を売りつけて、倉庫を空にしていたという。これまた「ペイラントの自由」である。 政敵を利すまいと国家の危機にも目をそむける政治家と儲けのためには、敵国にも資材を売る商人たちと、国中に「ペイラントの自由」の信奉者がはびこっては、さしもの経済大国オランダにも勝ち目はなかった… 「武器商人 金貸し」でググるとアメリカ:闇の支配構造と略奪戦争―第2次世界大戦後の資本主義国家群と共産主義国家群との冷戦構造も、彼ら金融資本の支配戦略のなかで作り出された枠組み(ドル一本槍の支配戦略が転換した?)が出てきた。この記事もすでに知っていることなんだけど、ここまで具体的な話は再現できないんだよね。こういう話は具体的すぎて、陰謀論で片づけるのは逆に憚られるぐらいだ。引用は、やめておくけどね。 最後に、明治維新の再定義。東京政府の正体がよくわかる記事に出会った。教科書は、通説がベースなので、昔ならトンデモ説として一蹴されただろうが…。研究者と庶民を媒介するのに、こういうライターの存在が物言う時代に。どうやって生活をしているのか興味のあるところですが、バックに真実に対する探究心とか、使命感とかがあるんでしょう。勉強になります。 幕末~明治維新の背後にうごめく、ロスチャイルドのネットワーク …司馬遼太郎の歴史観を覆すような史実が、ここ数年で次々と明らかになってきている。竜馬や晋作の後ろ盾になり、支援した人々の正体がはっきりみえてきたからです。 欧米による植民地化、第一次大戦や、第二次大戦、ロシア革命など世界史の背後で、国際金融資本家(金貸し)が、儲けのために企画・誘導してきたということが分かってきています。 参照:国際金融資本の覇権争いの行方 では明治維新は? 当時アヘン戦争で中国を手中にした国際金融資本は、当然次の標的として日本を狙っていました。彼らは、簡単にいえば武器商人ですが、イギリスが薩長という新勢力を育て、フランスが幕府に近づくことで、内乱化させ、武器を売りつけることで、一儲けしようと狙ってました。 ※イギリスとフランスといえば、別の勢力のようですが、国際金融資本(ロスチャイルド家)は、双方の国へ強い影響力を持っていました。 彼らは、幕府への敵対勢力としてまず長州の尊王攘夷派に近づきます。 ●ロスチャイルド→グラバーが、明治維新の仕掛け人? …1862年12月、品川の御殿山に建造中だったイギリス公使館を、長州藩の尊王攘夷の過激派武士7人が爆裂弾で襲撃しました。この襲撃に加わっていたのが、のちに初代内閣総理大臣となる伊藤博文や井上馨、それに高杉晋作、久坂玄瑞、品川弥二郎らです。ところが、この襲撃からわずか5ヵ月に、伊藤博文と井上馨らはイギリスに密航しています。 どうやら伊藤や井上は、イギリス公使館を襲撃した後、急激に思想の転向をしたようです。この時に密航したのは5人で、その費用は一万両、現在の価値に直せば約10億円という途方もない金額です。この密航を仲介したのが長崎の武器商人トーマス・ブレーク・グラバーであり、費用を用立てたのがアヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出で巨万の富を築き、清朝をアヘン戦争へと導いた貿易会社ジャーディン=マセソン商会でした。 21歳の時に来日し、23歳でジャーディン・マセソン商会と代理店契約を結び、25歳の時に現在でも観光名所となって残っている有名なグラバー邸を完成させました。このグラバー邸に、長州の伊藤博文、薩摩の五代友厚、亀山社中・海援隊の坂本竜馬、三菱財閥の岩崎弥太郎ら、幕末から明治にかけて活躍した人物が続々と訪れています。 グラバー商会は、ロイズ保険、香港上海銀行等の代理店でもありました。ジャーディン=マセソン、ロイズ保険、香港上海銀行は、いずれもロスチャイルド系列の企業です。 グラバーは長崎の外国商会の中で最大の武器商人であり、薩長のみならず幕府側にも武器を売っていました。戊辰戦争の帰趨を決めたのは武器の優劣の差ですが、薩長側は当時世界最新鋭の野戦大砲であるアームストロング砲を使って勝利を収めました。ところが、この大砲は、元々幕府がグラバーに注文していたものでした。しかしグラバーは、代金の未納を口実にして幕府に大砲を渡さず、これらを長州藩に横流ししたのです。 グラバー商会は、明治維新政府誕生と同時に、わずか10万ドルの負債を理由に不可解な倒産していますが、その資産と経営は、最終的にグラバーの弟子、岩碕弥太郎の三菱財閥に引き継がれます。 こう見てくると、司馬さんの本で、情緒的な説明でどうもすっきりしなかった疑問も解けてくるように思う。 ・高杉や伊藤など長州の急進派が、攘夷派がなぜ急転して開国派になったのか? ・高杉の奇兵隊が、ごく少人数でなぜ、長州藩の佐幕派を倒すことができたのか? さらに坂本竜馬のなんで?の部分、 ・一介の浪人竜馬が単独でなぜ、幕府・長州・薩摩という大組織の間で大きな仲介役を果たしたのか? ・なぜ株式会社を設立して、いきなり大きな仕事をしたのか? ●坂本竜馬はグラバーの代理人か? 1864年5月に亀山社中を設立したばかりのビジネス初心者である龍馬は、8月にグラバーから7800挺の銃を入荷し、それを薩摩藩に売却するという、信じられない大仕事を速攻で成し遂げています。 また、1866年、薩長同盟が結ばれた際、龍馬がこれを仲介したことは有名ですが、実際には京都薩摩藩邸で行われた協議に出席していなかったことが最近明らかとなりました。しかし、合意文書には龍馬も署名をしており、ある程度、薩長同盟締結に関わっていたことは確かでしょう。ただ、一介の脱藩浪人が、何の後ろ盾もなしにこのような大事業を成功させたり、政治力を発揮することは普通なら考えられません。 グラバーは、薩長同盟成立前に既に薩摩と長州の人間(のちに明治政府の主要人物たち)をイギリスに密航させています。薩長同盟は軍事同盟ですから、グラバーがいなければ薩長同盟はありえなかったでしょう。何らかの理由で前面に立ちたくないグラバーが、龍馬を代理人として表に立たせたのではないでしょうか? 倒幕はグラバーとジャーディン=マセソン、その背後に控える英国なくしてありえませんでした。そして、当時のイギリスはロスチャイルド人脈によって支配されていたと言われています… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 9, 2008 09:31:46 PM
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