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カテゴリ:タブー
副島隆彦「歴史に学ぶ知恵 時代を見通す力」(PHP研究所)を読んでいる。ネットで仕入れた議論がより深いところから掘り下げる形で取り上げられている。なぜこのような大切なことがいままで教えられて来なかったのか。占領軍のマインドコントロールのひとことで済まされる問題だろうか。時代が変わったからというだけの話にしては悲しすぎる。私が感服して聞き入っていた時代の権威っていうのは、いったいなんだったんだろう。自分が年老いたということを感じるとともに怒りがこみあげてくる。
…ここに集まっていた下級の藩士たちのうち、後に明治政府の高官になった者たちは吉田松陰先生の精神を大きく裏切っている。自分たちが幕府に殺されたらたまらん、負けそうだということで、裏からイギリスの支援をもらって、資金をもらって、表面では尊王攘夷と言いながら、裏でイギリスの手先となっていった。ここの大きな裏切りのところを今の私たちは見抜かなければいけない… …その20年後に1853年のペリー艦隊の来航があって日本国内は騒然となり、一気に尊王(倒幕)攘夷の「空気」になっていった。ところが表面上は攘夷と言いながら、裏ではイギリスとつながったのが薩長同盟の者たちだ。その中のズル賢く生きのびた者たちが明治維新(王政復古)を1868年に達成した。外側からの力で秘かにイギリスに操られて、日本のいわゆる明治維新は成り立った… …このあと明治時代の初期に、大国隆正(1792-1871)という、おかしな大神官がいる。彼は、平田篤胤の弟子(門人)である…薩長土肥(官軍)の指導者たちは内心では攘夷を既に裏切っていた。この維新の元勲たちのために、大国は「開国は正しい判断だった」という、復古派の神道家としては、言ってはならないことを無理やり言って理論化した張本人だ… …だから表面上は尊皇攘夷を唱えて必死で闘った日本の指導者たちの中に、すでにイギリスの手先となるべく密かに育てられたものたちがいたのである。それが、後に、”元勲”と呼ばれた人々だ。彼らは真の現実政治家たち(政治的人間、ワル)である。本物の、芯からの誠実な攘夷論者たちはすべて殺されていった… …すべては大きく仕組まれているのである。いったい、それらの軍事支援(西洋式軍艦と最新式アームストロング砲30数門と、7000挺の銃)と軍事資金がどこから、どういう手口で長州藩に調達され、獲得されたのか。今こそ私たちは冷静に考えなければならないのである。司馬遼太郎氏が著作「竜馬がゆく」や「花神」等で捏造したに等しい、嘘八百の「幕末・維新期の英雄物語」はすべて木っ端微塵にされなければならない。世界基準と合致する日本史の諸真実を、今こそ大きく表に出さなければならないのである… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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