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カテゴリ:タブー
あべよしひろ氏率いる反ロスチャ同盟が面白いキャンペーンを張っている。貨幣改革への第一歩 歴史的実験へというのがそれで、自治体に対して、いま話題の「定額給付金」を担保にして、マイナス利子付の地域通貨を発行するのを提唱している。1929年の大恐慌のとき、オーストリアのヴェルクルで観測したところによれば、通常の通貨の14倍の速度(回転率)で流通したという。経済活動が活発になって、雇用は安定し、地域は潤ったというからやってみない手はない。もちろん、円の担保はあるので、円転することは可能だし、14倍の流通速度だから、逆にいえば、担保価値の何分の1かの発行高で十分にいきわたる。まずは公務員の給料からはじめれば財政赤字にも役立つし、いいことづくめである。
さて、きょうは、ベストセラーとなっている、安部芳裕(あべよしひろ)「金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った」(5次元文庫)から名門ジョージタウン大学のマイケル・ハドソンの論文「今日の世界経済を理解するために」を孫引きしておく。これは非常に重要な論文だと安部氏はいうが、まったく同感である。われわれは眼を覚まさなければならない。しかし、マイケル・ハドソンは米国の大学の先生だから、米国の懐の深さに驚くばかりである。 (引用開始) …世界経済は純粋に経済上のものなのだろうか?(略) 経済上の現象には暗部があり、その一連の邪悪な動機は、経済に重大な影響力を持つにもかかわらず、権力と支配を求める不合理な目的から生じ、経済に逆効果をもたらすものなのである(略) 何世紀にもわたり世界は戦争によって形成されてきた。それにもかかわらず、戦争や暴力がいかに歴史を作り、世界の国境を書き換えてきたかという現実を子供たちに見せないように書くことは賢明な方法ではない。成功するためには道理をわきまえた行動をとることだと教えるならば、いつか屈辱されて深く傷ついたとき、子供たちを経済的な殺戮に対しても、平和裏にそして愚直に立ち向かわせることにはなるまいか(略) ヨーロッパの国境を定め、その政治・金融制度を確立し、さらに宗教上の忠誠心を形成したのはすべて戦争であり、若い国家にイギリスからの政治的、経済的独立を獲得させたのは、米国の独立戦争であった。日本に200年以上の鎖国を終わらせ、開国させたのはペリー提督率いる黒船であり、ナチ率いるドイツの反ユダヤ主義を解決したのは第二次世界大戦であった。また西側の金融資本主義に対抗するロシアの共産主義を崩壊させるには冷戦が必要であった。 このことからわかるように、歴史の流れを決めてきたのは公正な取引における合理的な計算などではない。経済的な権力は、武力や威嚇、詐欺、公然と行われた窃盗によって手中に収められてきたのである。しかし、経済学者は、正当な価格は公正な市場均衡点で落ち着くと説明し、世界が公正であったことなどなかったにもかかわらず、世界が架空のしかも「おとぎ話」のようなすばらしい世界であるかのように、公正な市場がいかに機能するかという研究を続けている。一方、世界が実際にどう機能しているかの研究はなされていない。世界がどう機能しているかを知らずして、日本を含む正直な国家が、自分達の国を操作し、威嚇し、騙そうとする世界規模の略奪者から自国を守ることはできないだろう。したがって、軍事的征服者や弁護士、煽動政治家、腐敗した政治家や官僚、財界の詐欺師が、いかに歴史を作り上げてきたかを学ぶことから始める方が得策である。彼らが有利な立場を築くことができたのは、社会から土地や他の生産手段を不当な方法で奪取する一方で、司法制度や裁判長の立場を支配してきたからに他ならない。 内部事情に詳しい人間や投機家あるいは小搾取者が、土地を独占したり、顧客を経済的困難に追い込んで借金をさせたり、さらには相続税なしで子孫に遺産を譲渡したりすることでいかに優位な立場を築いてきたかという点にこそ、経済の研究の主眼を置くべきだと思う。社会制度とは、始めに既得権益を手にした者たちがその権力を利用し、維持するために、警察、教育制度、宗教団体などを支配することに由来するものであり、それが社会を構成する人々の間の応分の取り決めだと考えるべきではないのである。 このような研究をしていけば、勝者が戦利品を維持し、さらにそれを肯定、正当化するために、武力による威嚇とイデオロギーを諸刃の剣として利用してきたことが浮き彫りになるであろう(略) 現実を形成しているのは、武力や他の圧力、または窃盗や詐欺行為なのである。さらに重要なことは、国家の支配によって権力が確立されるということである。国家支配のためには、不都合な政治ライバルが暗殺されたり、誘拐されたりすることもあり、それに協力した仲間には報酬が支払われる。しかし、こうした国家支配のための秘密工作の手口も、合理的なユートピアで生活していればどんなにすばらしい生活が送れるかということを示す経済モデルにはほとんど反映されることはない(略) 実世界で行われているのは、「いかに無償で利益を得るか」ということに集約される。政治内部に入り込むということは結局、何かを無償で獲得するための政治プロセスに加わることによって、社会からただで恩恵を受ける仕組みを作る立場に立つことなのだ。 無償の恩恵は、市場が耐えうる価格を設定することが可能になる「独占権」という形で与えられることもある。これこそ、イギリスの内部事情に詳しい者たちが17世紀から19世紀にかけて裕福になった理由であり、第三世界のエリートたちが20世紀に自らを富ませるために使った手法である。 公費を使い労せずして利益を得ることこそ、最も熟練した経済の勝者が行っていることの本質である。土地や独占権、その他の資産を実際の価値よりも安い価格で購入すること、しかも自分の存在を可能な限り隠してそれを行うことは、裕福になるための最も確実な方法である。その目的は自分自身でリスクを負わず、社会や政府、あるいは国税当局やビジネス・パートナーにそのリスクを押し付けることにある。 歴史を一瞥すれば、経済のゲームは決まって何かを無償で勝ち取るためであったことがすぐに理解できるだろう。米国で最古の富豪の財産が築かれたのは、独立戦争勃発の1775年から1789年に憲法が発布されるまでの十数年間、共和国誕生のどさくさに紛れて行われた土地の横領に端を発している。無節操な土地の横領、およびマンハッタンの南端部にあるトリニティ教会の不動産にまつわるニューヨーク市の腐敗によって、その後2世紀を左右する権力基盤が築かれたのである。 征服王と呼ばれたウィリアム1世が1066年に英軍を破り、ノルマン人の仲間たちと土地を分割した。それがその後のイギリスの歴史を形成し、また英国書議会上院の有権者を決定することになった。軍事力を背景にした土地の強奪は、いわゆる「原始的蓄積」であり、それは常に貰い得であった。 無償で何かを得るということは、無料で富を手にすることである。時にそれは、実際には発生しないリスクに対する代償という形をとる場合もある。リスクがあるように見えるが、実際には存在しないリスクを冒すことに対して高収益が与えられる(略) ニクソンは大統領時代、キッシンジャーや外交ゲームの理論家たちに、世界を舞台に自分の要求を押し通すには、他の国の指導者たちに、彼が狂っているのではないかと思わせることだと助言された。これでニクソンは有利な立場に立った。というのも他の指導者達は、米国の要求に屈した方が、ニクソンが癇癪を起こして世界の大部分を武力で破壊したり、秘密工作につながるような危険を冒すよりはましだと考えたからである。 社会生活は、経済的責任や市場の妥協とは性質が異なり、むしろチェス・ゲームに似ている。しかしそのゲームには変動要因が無数にあるため、必要な戦略をマスターするには一生かかる。いや、一生かかってもすべてを学ぶことは無理かもしれない。チェスとは違い、初心者が秘密工作や汚職、契約不履行といった戦略を学べる教科書はほとんどない。この契約不履行が、富を蓄積するための最も確実で費用が一切かからない方法の一つだということはあまり知られていない。今日では、不正を働いて不運な取引相手を裁判に巻き込んだ方が得策だというのが一般的な考え方である。告訴者が損害賠償を勝ち得るまでには裁判に長い時間を要するばかりか、高い弁護料を払った方が裁判の勝者になると決まっているからである。 窃盗が権力を得る最も簡単な方法の一つだとすれば、1989年以降(実際にはピノチェト将軍による1973年のチリのクーデター以降)行われている民営化は、歴史的に見ても最も重大な窃盗である。民営化については権威ある学術書が何百冊も書かれているが、それらはすべて民営化政策が社会にとっていかに生産的で良いものかという趣旨のものばかりである。そこには、チリの将軍、イギリスの投資銀行家、ロシアの元官僚といったエリートたちが、民営化によっていかに多くの略奪品を手にしたかについてはほとんど記されていない。 経済学の裏には権力が存在する。権力とは、権力中の、あるいは権力そのものの否応なしの拡大に対していかなる抵抗も認めないことである。古来、富の蓄積を駆り立ててきた動機とは、それを生産的な投資に向けるためではなく、権力強化のために使うことだった。権力強化のため、ローマの役人に賄賂を与えたり、略奪的な指導者である主人が私設軍のために隷属平民を雇ったり、有利子の融資を行った後抵当権を没収したり、土地を獲得するといった手段がとられてきた。 富や権力の追求は、とりつかれた霊魂の具現となる傾向がある。経済的利益は究極の目標ではなく、近代の産業経済および金融組織経済における力の指標にすぎないのである。 多くの人々にとってさらに理解しにくいのは、国家および公的所有を形成することは、これらの資産を民営化するのと同じように権力を獲得し得るということである。心臓が収縮と弛緩を繰り返すように、民営と公営の両面で力が蓄積されるのである。 社会そのものを道理にかなったものにするには、抑制と均衡の仕組みを作ることでそうした行動を食い止める必要がある。しかし、権力を持ったエリートはすばらしく大袈裟な目的の虚飾に満ちた声明を用意したり、近代の操作的市場の持つ利己主義的性質を隠した結果を約束したりすることで、そうした社会の努力を阻害しようとするであろう。 この種の詐欺が、現在世界的に繰り広げられている社会および経済のゲームの一部をなしているのである。経済理論そのものが磨耗しており、今日、学生たちが受ける経済教育は、世界が実際にどのように機能しているかを示す学術的な描写ではなく、特別利益団体を擁護するための粉飾的理論にすぎない。 したがって日本が行うべきことは、米国の大学に送る学生の数を減らし、将来の日本の政治家や官僚に、世界的ゲームという認識への妨げとなる「おとぎ話」を学ばせないことである。経済モデルの構築より、世界に対する穿った見方を含み史実を理解することが必要なのである(略) (引用終わり) なお、あべよしひろ氏のインタビューが面白い。参考までにリンクしておく。「お金とは何か?」あべよしひろさんインタビュー(全50分)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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