|
カテゴリ:闘魂
副島隆彦の学問道場、重掲(おもけい)より引用。
(引用開始) …日米同盟の正体 迷走する安全保障」孫崎 享 著 講談社現代新書09年3月20日 発行 天木直人氏のブログで本書の紹介があり読んでみた。http://www.amakiblog.com/blog/ 陰謀論について面白い記述があったので以下に引用します。 引用始め 第一章で、日本人は戦略的な思考が弱いことを見た。特に謀略、陰謀論的な動きが出ると、「それはあり得ないでしょう」と思考を停止する。そもそも陰謀論的な動きは発覚しないことを目指している。謀略は通常人的犠牲を払い、その犠牲に対する怒りを利用して目標を達成する。犠牲者を考えれば、謀略を行ったことは口が裂けても言えない。当然責任者は否定する。百パーセントの確証が出ることはない。こうして信頼に足る人は陰謀論には手を付けない。ますます、日本人は陰謀・謀略を理解できなくなる。(p69) しかし、日本のどこに陰謀・謀を真剣に学んでいる所があるだろう。官庁にない。大学にない。研究機関にもない。ときどき、いかがわしい書籍が出て陰謀論を説き、知識階級はますます陰謀論を馬鹿にして遠ざかる。日本に対して「謀」を仕掛ける国からすれば、日本人が陰謀論、謀を一笑に付して、知識人がそうした戦略に何の考慮もはらわないことくらいありがたいことはない。(p84) 引用終わり また、米国の安全保障政策では、よく謀略が使われるとして、その理由を以下のように述べている。 引用始め 大統領を含め、安全保障関係者にはなすべき政策がある。第二次世界大戦に戻れば、米国は大戦に参加し、ナチスの暴走を止める必要を痛感している。しかし、米国民は戦争に反対した。ナチスを止めるという行動をとるには、米国民が参戦に同意する契機が必要となる。米国では国民の発言力がどの国よりも強いだけに、国民を誘導する謀略がどの国よりも必要となる。したがって、米国の安全保障政策では謀略は不可分の関係となっている。 引用終わり 本書は日本の安全保障問題について述べており、陰謀論が主題ではありません。米国との「協調」を進めることがいかに危険かについて書かれています。驚きなのはこれが外務省OBの方によって書かれた、ということです。 (引用終わり) 陰謀や謀略は、主流派知識人は近づかない。理由は、上記の引用が説得的だ。以前、大学時代の友人たちと飲み会を開いたとき、中に外交官の友人もいて、彼の口から「陰謀論」という言葉が出たのに驚いた。そのとき咄嗟に思ったのは、メインストリームの彼にしても陰謀論に対する意識はあるんだという事実だ。陰謀論との距離の取り方は、このブログで再三考えてきたけれども、次の中田安彦のブログ記事は参考になる。 引用は、ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報より、イルミナーティも漫画化された。 (引用開始) …イルミナーティというのは、ダン・ブラウンの小説では、カトリック教会に対抗した科学者たちというのが最初ということになっている。科学と宗教の抗争については、ホワイトの本が岩波新書から出ていた。 これに対して、科学者の啓蒙主義者と利害を同じくした、旧来の資本家(教会=修道院の銀行システム)に対抗した新勢力である、ユダヤ人の資本家が、既成秩序を壊そうとして、ついにその科学者たちの当初の「啓蒙」という意味でのイルミナティを乗っ取ったのが今の国際金融資本。 科学者達の実験なども篤志家や金融家に頼らなければ捻出できなかったわけで、やっぱりカネをもっている人が強かった。啓蒙主義者と金融家は持ちつ持たれつの関係にあったのだと思う。 カトリックが暴利を禁止していたとしても、その裏側には今のイスラム金融の「利子相当分」にあたるものが存在したはずだ。 欧米の陰謀史観にありがちな、「ユダヤ国際金融=悪、カトリック=善」という分け方は、私は思いこみじゃないかと思う。 同じように、日本で戦前の反ユダヤ思想が陸軍を中心に蔓延したのも、裏側にはふぐ計画のような親ユ勢力がいたのと対になる動きであり、その文脈で「シオン議定書」という文書を読み解かないと駄目でしょう。戦前における「日本の反ユダヤ主義」というのは、路線対立なんです。太田龍さんが高く評価している国際政経学会の運動も確かに真実をえぐり出しているけど、そういった路線闘争が背景にあって初めて存在し得たわけです。(最近、この団体の文書を大量にコピーで入手しました。そのうち論評します)親ユと反ユは二つで一つのはずです。 で、イルミナーティの漫画の話ですが、この漫画はダン・ブラウンの天使と悪魔とはまったく関係なく、ストー^リーは、かつての戦争はイルミナーティ(あるいはその団体を乗っ取った国際金融家)によって起こされてきた、という軸で語られています。この読みは正しいと思います。社交界で知的エリートと、科学者と金持ちが交わって、室内楽のサロンの中で会話した中から近代文明が花開いたんでしょうから。コーヒーハウスの文化の中で。この漫画では、アダム・ヴァイスハウプトのイルミナーティを乗っ取ったのが、アドルフ・フォン・クニッゲ男爵で、この男がヴァイスハウプトのイルミナーティに政治性を持ち込んだという解釈になっている。 ここからが本題。 この中で、アルバート・パイクが、イタリアのカルボナリ党のフリーメーソンのジョゼッペ・マッツィーニに送ったとされる手紙が紹介されています。パイクはアメリカ南部の白人至上主義の男で、KKKの創設メンバーでした。 パイクは、マッツィーニに対して、「これから起こる三つの世界大戦」について予言する。これが1871年の事であるそうです。第一次世界大戦(1914)、第二次世界大戦(1939)の後に起きる世界大戦は中東を舞台にした世界大戦だと予言していると。 そこで気になるのはパイクの手紙の原文ってのはどこに保存されているのか、ということです。私は現物をみないと信じません。陰謀史観では、史観としての一貫性を保ち、かつ、話をおもしろくするためにねつ造やストーリーの挿入がしょっちゅう行われているのです。 その中には話の単純化のための「300人委員会」という補助線のようなある意味での「善意」で解釈できる脚色もありますが、明らかにディスインフォの「ポールソン射殺説」とか「ワンタ事件」のようなものや、「アセンション産業」のようなものがあるわけです。デイヴィッド・アイクのいう「は虫類人」も後者のディスインフォだと私は思います。比喩ではなく本当に地球が異星人支配のもとにあると理解させようとしているわけですから、ファンタジーの名を借りたディスインフォです。 そこで、私は気になっているのです。アルバート・パイクの書いたマッツィーニの手紙は原文がどこに転がっているのか、あるいは展示されているのか。原語はイタリア語らしいのですが、イタリアのマッツィーニ研究者も、鑑定した上での文書なのかどうか。つまり、一次資料としてそれが存在するかどうかという問題です。 私は、この手紙が後世に加えられた「脚色」であるとはじめから決めつけるつもりはありません。しかし、英語版wikiにも、はっきりとした所在については書かれていなかった。 しかし、こういうものは話が勝手に一人歩きし始めると、次々と引用の連鎖が行われていくのです。ソースをたどるというのはきわめて重要な作業ではないでしょうか。 どなたか、パイクの原文の所在をご存じの方が居られましたら、情報を提供して頂けないでしょうか? よろしくお願いします。 とりあえず、カナダのフリーメーソンの公式サイトには「偽書」であるとの説明はありますね。 Pike and Mazzini http://freemasonry.bcy.ca/anti-masonry/pike_mazzini.html それによると、パイクとマッツィーニの文通について初めて言及したのは、Occult Theocrasy Lady Queenborough (Edith Star Miller)だとなっています。ただし1925年刊行であります。また、この本をPDF内検索しても、手紙の原文は登場しません。 また、さらにLe Palladisme : Culte de Satan-Lucifer dans les Triangles Maconniques, by Domenico Margiotta というフランス語で書かれた本があるそうです。これが1895年刊行で1871年の手紙の全文を公開しているといいますが、残念ながらこの本からの引用は見あたりません。ゼロックスも存在しなかった時代です。 一応、http://www.theconspiracyexplained.com/IntroductionAmend.html というサイトにフランス語の原文が引用されていますが、それ自体を見ても、「世界大戦」についての記述はないようです。(グーグル翻訳で英語にしてみた結果) そうなると、いったいこの手紙は誰が「見つけ出し、複製し、世界中の陰謀史観研究家」たちに情報を提供したのか。この問題を解決しないことには、マッツィーニの手紙の真贋性、存在したとしてその内容が本当にそういう予言について書かれたものかという疑問は解決しません。 この問題は911事件のように物理学の問題ではないのです。強いて言えば、歴史学の問題だろうか。陰謀史観には史料批判の視点が少しはあっていいと思う。もともと史料が少ないので、切り札を捨てたくない、という気持ちは分かるけどさ。 (引用終わり) 自分自身を回想すると、陰謀論に接して、最初は単純に反ユダヤ主義に陥ったが、その後、アンチ「ユダヤ的な過剰さ=寄生性」みたいなスタンスに変わった。中田氏のように実証主義的な態度は、メインストリームからの反撃に耐えていくためには必要なことだと思う。京都大学で政治史を教えている旧友など、昔、久しぶりに再会したときに、体力で勝負しているみたいな感じで、げっそりやせていたのを思い出す。学者というのは、そこまでせなあかんのか、みたいな感想を抱いた。 さて、陰謀や謀略は、表にあらわにならないのが宿命だ。しかし、時代は変わった。いまや孤独に耐え、想像力を凝らしながら、文献にあたって、点と点を線にしていく、フロンティアの仕事ではない。みんなで手分けして、匂いのするところをあちらこちらで掘っていけば、効率的にことは運ぶし、また、プロセスも表に出していけば、やがて共通認識が開けて行く。歴史学という学問は、力学のような再現性ではなく、多分、実証主義をベースとしながらも、突き詰めると説得力=レトリックがコアになるんではなかろうか。それは記号が織り成す意味の体系であり、表現のよって立つ約束事やルールの世界に属する。同じディスプレイに映っても0か1かのコンピュータの世界とアルファベットや五十音といった記号の世界の間には、恣意的な飛躍があることを対比して認識しておけばわかりやすい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|