中田安彦氏のブログ「ジャパンハンドラーズと国際金融情報」の
「官僚たちの夏」が良かった。さっそく、新聞記者をやってる友人に紹介しておいたが、彼もブログで繰り広げられている「右翼対左翼」ではなく、「国益派対売国勢力」という図式を念頭に置きながら、情報を整理していることと思う。ジャーナリストは媒体を選ばないから、「ジャーナリスト宣言」、がんばってくれと応援で締めくくっておいた。
(貼り付け開始)
ところが重要なのはこの官僚バッシングは、国民の草の根からというよりは、アメリカに支配された日本の大マスコミから出てきた論調だと言うことである。石黒一憲教授の「不祥事利用型モデル」ともいわれる戦略である。事実、不祥事があるのだから反論ができないわけである。
アメリカは、おそらく官僚制度内部の内部抗争を利用し、官僚不祥事の内部情報を入手し、これを大新聞にリークすることで、官僚制度の中の国内派をたたきつぶしたのだろう。アメリカと共闘した官僚たちはアメリカ留学組だろうと推測される。彼らは、共犯関係、アメリカの諜報力などを対米通商交渉などで思い知らされている。「アメリカには逆らわないで共存しよう」というインセンティブが働いたはずだ。
アメリカは、通産官僚叩きのジャパノロジスト・リヴィジョニストを脇にどかした。「おまえらは近代社会じゃない」と批判する、リヴィジョニストよりも、日本は近代国家であるという好意的な主張をする、ライシャワー系のグローバリストを全面に出すことで、日本をソフト・パワーによって取り込むことを選択した。
ここで、新しいプリンシパル連合(高級官僚-アメリカ政財界CFR)と、新エージェントである「政治家」と「日本財界」の関係が成立した。これが90年代末のことだろうと思う。小泉改革にはこういう必然性があったのであろう…
…一般の公共選択では、「官僚(エージェント)をいかに政治家(プリンシパル)がコントロールするか」という問題を議論する。その政治家も、一般国民有権者の関係でみれば、建前上はエージェントにすぎない。
ところがこの理論は価値中立的だから、エージェントであるとされた官僚が何らかのインセンティブを政治家に対して持っていれば、官僚は政治家に代わってプリンシパルになることができる…
…プリンシパル-エージェント理論は、単に官僚を政治がコントロールするための理論枠組みと捉えがちであるが、単純なインセンティブの力関係のバランスを論じたモデルである。
したがって、支配勢力となりたい側の戦略としては、他者に対するインセンティブを作り上げたいという欲望が働く。官僚が予算を握りしめているのは、それが政治家や財界に対するインセンティブとなりうるからである。
そもそも日本の財界がアメリカとくっついたのは、「敵の敵は味方」であるというモデルを外部勢力であるアメリカ財界が説き続けた結果だろう。同様に竹中平蔵がアメリカの手先になったのも、東大法学部出身官僚の敵であるアメリカとくむのが彼にとっての合理性だったわけである。
これは戦略論であって、陰謀論じゃないよ。
でも問題は、本来のあり方としては、<政治家は日本国民のエージェント>なんであって、国内派閥抗争の勝利を目指すために、アメリカという外部勢力の外圧を利用したこと。だから、中川秀直や竹中平蔵のとった戦略は間違い。しかし、彼らがそういう戦略をとらざるを得なかったのは、日本国民のロッキード事件以来の民度の低さも問題だよね。政治家と金の問題でロッキード事件はマスコミを使って、国民をパブロフの犬状態にしたんだよね。政治に金が必要なのは当たり前なのに、「企業献金=悪」という条件反射を植え付けたんだよなあ。だから、立花隆はどうしようもないんです。
結局、正しいのは田中角栄とか鈴木宗男タイプのポピュリスト政治家なんだけど、これに対しては、霞ヶ関と結託したマスコミがつぶしにかかる。今の日本人、ポピュリズムと聞くと、マイナスイメージしか持っていない。これは大いに問題。それをやったのもナベツネなんだけどね。(『ポピュリズム批判』というアホなタイトルの本を彼は出している)…
(貼り付け終わり)
中田氏は陰謀論との距離の取り方が非常にいい。無視するわけでもなく、かといって、絶対視するわけでもなく、絶妙のバランスだ。トンデモ系の陰謀論は論外だが、政治・経済そして歴史を見るときに、陰謀論の視座を射程に入れていて、言うことよりも言わないことの方がたくさんあるはずなので、主張に奥行きと幅を感じる。まだまだ、これからのひとなので、将来を期待している。師匠がいいわな。