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カテゴリ:闘魂
●本山先生のところ(消された伝統の復権)で昨日からはじまった連載が非常にいい。新しい金融秩序への期待 日本のゆくえなるシリーズだが、どうやら先生がどこかでしゃべった内容なんだと思われる。しばらく追いかけていく楽しみができた。本山先生のような大学の先生に続く教員はいないんだろうか。いまのアカデミズムはもはや堕落してしまって、日本人の矜持や弱者に対する視線を持ち合わせていないのかも知れない。引用はしていないが、先生の今日の記事なんて、ほんと泣けてくるくらいだ。これくらいの器がないと大学の先生としては失格だ。
(貼り付け開始) …「経世済民」という意味ですと、経済学という言葉は、古代中国の時代からあります。ところが新しい意味においての「経済学」という言葉が日本語として定着したのは、福沢諭吉の恩恵であります。福沢諭吉が「経世済民」を説いたというのは間違いです。これほど可哀想な誤解はございません。「経世済民」的な、お上が民に命令するような学問であってはならないのだと、民が自分たちを律するという、そういうモラルに裏付けられた学問、これが「経済学」なのだと、彼は考えたのです。 これがJ・S・ミルの思想と結びついてアジアに広まったのです。その福沢諭吉の思想に基づく「経済学」という言葉が、日本語の新しい造語として、アジアに定着したということであります。「エコノミー」も「ポリティカル・エコノミー」から「ピュア・エコノミクス」という形で、一応人民の、人々の生活だという方向に流れていったのです。これはいろいろ誤解されておりますので、是非分かっておいていただきたいと思います。 金儲けの手段ではない「経済学」 ずばり「経済学」とは、金儲けの学問ではございません。少なくともアリストテレスが喝破したように、お金を儲けてはいけないのだと。人々にどうすれば雇用を与えていくかという形でお金は統制されなければなりません。だからアリストテレスは、お金のことを「ノミスマ」と言っております。人々の合意の産物だと。つまり、皆が納得することによってお金は使われているのであって、金儲けはいけないことなのだと。このような考え方、これが「経済学」の基本形だと私は思います。 ですから、あるファンドのマネージャーが「お金儲けは悪いことですか」と、目をくりくりさせ、可愛い顔で言いましたけれども、私は悪いことだと思います。いまのお金は暴走しすぎです。 分かり安く申しますと、私たちはコメの値段が五分の一になったからといって五倍のコメを食べるわけではありません。車が安くなったからといって何十台も自分たちで車を乗り回すわけではありません。少なくともモノに対する欲望には限界があるのです。 ところが、お金には限界がない。一億円儲けた人は一〇億円欲しいでしょうし、さらに一〇〇億円が欲しいと。バフェットのようにアメリカの全サラリーマンの給料をも上回るぐらいの大金持ちになっても、それでもまだお金は欲しいのです。 お金とはそういうものです。少なくとも私たちの「経済学」は、その歯止めのない、とてつもなく肥大化していく欲望をどう抑制していくかという役割をもって発達してきたはずであります。ところが、この二〇年間、いつの間にか「経済学」は、お金を儲けることが素晴らしいことなのだという方向に変わりました。その結果が今日の惨憺たる状況であります。 企業も大学もわけの分からない金融商品を掴まされ、あるいはそれを売った企業もよく分からないまま売ってしまったということで訴訟に怯えているというように、お金によって世中が振り回され、組織がずたずたにされています。こういう状態の、不幸な時代に私たちはいま、生きております。アメリカのお金持ちのトップ四〇〇人の資産を合わせるだけで、アメリカの全三億人の人口の半分である一億五千万人の資産に匹敵するのです。これだけの経済格差を作ってしまったということは、「経済学」の失敗であり、犯罪です。 かつての原爆の開発者たち、例えばアインシュタインたちは、悪魔の兵器を作ったという反省から原水爆反対運動に立ち上がりました。私たちはどうなのでしょう。金融商品を売りまくった連中、またそれを理論化した連中、そういう連中の中から、中谷さんはちょっと反省していますが、金融工学を駆使して金融商品を作った張本人たちから、第二、第三のアインシュタインが、私は出るべきだと思います。口を拭って黙ってしまっているということは何事かと言いたくなります。 そういう意味で、「経済学」はもう一度、基本形から叩き直さなければならないのだということを、まず冒頭にお話しさせていただきます… (貼り付け終わり) ●さて、国際戦略コラムががんばっている。陰謀系のブロガーは米国の危機を強調する。国内のメディアは、経済危機の報道がにぶくなっている。欧米の状況を丹念に追いかけている余裕もないので、国際戦略コラムのこうした記事はありがたい。今日もいい記事が出ている。バブルで世界を救うか? (貼り付け開始) …米国のゼロ金利で、ドルから商品市場と資源国や新興国通貨にキャリートレイドが起きている。米国のFRBと財務省のじゃぶじゃぶな資金緩和で、ドルが流れ出ている。この影響が石油価格や食料品価格を押し上げ始めた。 川下の消費者価格は消費不況からデフレであり、川上の資源は商品取引市場に投機資金が入り、インフレである。1980年代のスタグフレーションになり始めている。不況下での物価高騰という事態である。資金緩和で景気を活性化しようとするが、消費者の需要は回復しないために、米国内の投資先がなく、余った資金が海外の通貨や米NY株、商品市場に流れ込むという事態になった。 バブル崩壊はより大きなバブルを生み出して、バブル崩壊での経済を立て直すという投資会社流米国金融政策が、今回も世界を救うことになるのであろうか?? 私は疑問があると思う。この金融緩和を止めた時に、バブル崩壊が起こり、より大きな経済不安を世界にもたらす事になる。このため心配している。 しかし、ガイトナー米財務長官も問題点を認識しているようではある。金融の改善について「米政府の戦略を危機対応から景気回復に、経済の救済から将来の成長基盤の確立に移すべき時期だ」と語ったので、出口戦略に向かうのであろう。バブル発生を見過ごすと、グリーンスパン氏のような非難を受けることになる。バーナンキ現FRB議長も同様である。 このため、財務省は10日、貯蓄型の投資信託(MMF)の元本保証を月内に打ち切ると発表。連邦預金保険公社(FDIC)も銀行債務の保証制度を10月にやめる。 また、アトランタ連銀総裁も「米連邦準備理事会(FRB)が決めた最大1兆2500億ドルの住宅ローン担保証券買い取りを、総額買い取り前に終える可能性がある」と述べている。 もう1つ、全米銀行協会(ABA)は、米財務会計基準審議会(FASB)や国際会計基準審議会(IASB)が有価証券の時価評価の適用範囲を広げている点について「必要と考えられる程度を超えている」と主張しはじめている。時価会計の緩和で銀行に不良債権が温存されている事態を変えないと、今後、大変なことになるということを業界団体が言い始めた。 もう1つ、ドルの下落が起きている。安定的な米国債を売る動きが出ている。 このように米国債の動向を含め、米国は正常な金融政策になるのであろうか、今後を見る必要がある。 現時点で世界でバブルが一番大きいのは中国である。金融緩和の大きさで言えば、米国以上である。この余った資金が中国国内の不動産や上海株に流れて上昇している。しかし、輸出は大幅な落ち込みになっているので、商品は国内需要を拡大するしかない。 このような事態で、一度金融緩和を中立にする可能性があったが、温家宝首相が金融緩和堅持と宣言して、緩和政策続行になっている。ここでもバブルが生成されている。 この資金を狙って、米投資銀行は中国での営業を強化しているが、どうも詐欺まがいというレッテルが張られて、追放になる可能性がある。欧米では許されている営業手法でも中国では難しい。このため、販売した金融商品自体が損をすると、その賠償を請求される可能性が出ている。文化の違いを見ないで乗り込んだことによるトラブルであるようだ… (貼り付け終わり) ●テレビはニュースは国内政治ばかりだし、あとはバラエティが相変わらず幅を利かせている。国際政治経済の動きを伝えるメディアはほとんどない。パソコンにいつも張り付いているわけにもいかないので、ディープなポータルがあれば、ぜひ知りたい。陰謀論も最近は下火になってきた。謀略はいまでも世界のどこかで行われているのかも知れないが、日本人も謀略に対して強くなれるよう、体制を整えなければならない。政府機関、大学や研究所で、きちんと扱うべきだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 12, 2009 05:57:08 PM
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