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カテゴリ:闘魂
操作ミスで書いた記事消えた。時間がないので、リンクだけ貼っておきます。動画:菊池英博vs岩上安身(10分)。テーマをつけるとすれば、「デフレと緊縮財政、検察ファッショ」。
菊池:デフレと緊縮財政(デジャブ)。当時は、張作霖爆殺事件という謀略を経て、戦争へ。 岩上:帝人事件による政党政治の終焉(検察ファッショ) どちらも現代性あり。 (引用) 帝人事件/1934(読む年表 20世紀と昭和天皇) 1月17日から「時事新報」紙に「番町会を暴く」という暴露・告発記事か掲載され始め、帝国人絹の持株売買をめぐる疑惑が取りざたされた。 帝国人絹は鈴木商店系の人絹会社で金融恐慌の際、その22万株が担保として台湾銀行に入っていた。 おりからの人絹ブームで、帝人株の値上がりが見込まれ、鈴木商店の番頭格の金子直吉らが財界グループ「番町会」の河合良成、永野譲らに買い戻しのあっせんを依頼した。そこで河合、永野らは鳩山一郎文相・黒田英雄大蔵次官に働きかけて島田茂台銀頭取を動かし1株125円で10万株の払い下げに成功。これと同時に帝人が増資を決めたため株価は150円にはね上がり、河合らは大儲けした。この際、関与した中島久万吉商相、黒田次官に帝人株や現金が渡ったというのが疑惑の内容。 さっそく検事局が捜査に乗り出し、中島商相・黒田次官ら6人が収賄、三土忠造鉄道相は偽証罪、島田台銀頭取、高木復亨帝人社長ら9人が背任・贈賄で計16人が起訴された。 斎藤内閣にも大打撃であった。起訴は免れたものの鳩山文相は他の汚職の疑惑が持たれて3月辞職。中島商相は“逆賊”足利尊氏を礼賛したと追及されて辞職(2月)。さらに荒木陸相も病気を理由にやはり辞職していた。7月、斎藤内閣は崩壊した。 ところが3年後の判決では全員無罪となった。証拠不十分ではなく、事件そのものが存在せず、単なる商取引と商習慣による謝礼と認定された。 確かに検察の取り調べは過酷であり、「検察ファッショ」という言葉も生まれた。検察を動かしたのは平沼騏一郎枢密院副議長で、平沼の枢密院議長就任を阻んだ斎藤をうらみ、倒閣のため検察に圧力をかけたともいわれる。 帝人事件は財界人の金儲けの実態とそれに結託する政界の醜さを暴露したが、政財界の浄化にはつながらず、むしろ軍部の発言力の強化を招いた。 (引用終わり) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 9, 2010 10:29:14 PM
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