「白バラ通信 パンドラの箱」をリンクして置く。このサイトは記事が長すぎるのが難だが、いいことを述べている。
宗教(カルト)やマフィアには関わりたくない。しかし、人間として「道」を示す意味で、触れざるを得ない場合もある。
そんなとき以外に本ブログのタイトルに冠した「闘魂」という言葉に意味を見出せることはあり得るだろうか。
ネット上には多様な意見があって、たとえば、それは「放射能の身体への害悪」をめぐる評価の違いに端的に表れている。同じことが以下の話にも当てはまる。
真実はひとつである。だが、それに至る道は幾通りもあって、僕を含め、フツウのひとは混乱するのだ。
(引用はじめ)
カルト集団に特徴的な現象として、その集団に知識人・弁護士・学者・医師などが多くいても、心理学者や哲学者がいない、ということが言われますが、このオウム教はそれがそのままあてはまります。
創価学会は1996年にフランスの議会で、エホバの証人などとともにカルト集団と認定されたとのことですが、これはその教義だけでなく・勧誘の仕方・財務の方法・脱退のあり方等様々な基準でなされたのであって、単なる西洋の東洋的思想の不理解によるものとはいえないと思います。
哲学はさまざまな考えの客観的な考証を機軸にするがゆえカルトに組しないのだと思います。
フランスは中等教育の段階で哲学を必修にしている唯一の国で、高校卒業時の哲学の試験で「『生命』と『生るもの』との違いは何か?」というようなテーマで4時間で自分の考えを述べさせるそうです。
なによりも客観的な思考方法が重要視されているのです。
(引用終わり)
また、見るべき動画を見つけた。既述のブログで紹介のあった動画で、三井環氏や天木直人氏の講演である。
No.1:
http://www.ustream.tv/recorded/12946888
No.2:
http://www.ustream.tv/recorded/12949008