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カテゴリ:闘魂
晴耕雨読というブログがある。マイケル・ハドソン氏の所説を引用している。それがあまりに素晴らしいので、一部を再引用する。目から鱗が落ちるような言説である。晴耕雨読にはこうした記事が満載だ。
(引用はじめ) …しかし、実世界で行われているのは、「いかに無償で利益を得るか」ということに集約される。 政治内部に入り込むということは結局、何かを無償で獲得するための政治プロセスに加わることによって、社会からただで恩恵を受ける仕組みを作る立場に立つことなのだ。 無償の恩恵は、市場が耐えうる価格を設定することが可能になる「独占権」という形で与えられることもある。 これこそ、イギリスの内部事情に詳しい者たちが17世紀から19世紀にかけて裕福になった理由であり、第三世界のエリートたちが20世紀に自らを富ませるために使った手法である。 公費を使い労せずして利益を得ることこそ、最も熟練した経済の勝者が行っていることの本質である。 土地や独占権、その他の資産を実際の価値よりも安い価格で購入すること、しかも自分の存在を可能な限り隠してそれを行うことは、裕福になるための最も確実な方法である。 その目的は自分自身ではリスクを負わず、社会や政府、あるいは国税当局やビジネス・パートナーにそのリスクを押し付けることにある。 歴史を一瞥すれば、経済のゲームは決まって何かを無償で勝ち取るためであったことがすぐに理解できるだろう。 米国で最古の富豪の財産が築かれたのは、独立戦争勃発の1775年から1789年に憲法が発布されるまでの十数年間、共和国誕生のどさくさに紛れて行われた土地の横領に端を発している。 無節操な土地の横領、およびマンハッタンの南端部にあるトリニティ教会の不動産にまつわるニューヨーク市の腐敗によって、その後2世紀を左右する権力基盤が築かれたのである。 同様に、それより7世紀前に行われたイギリスの土地横領では、征服王と呼ばれたウィリアム1世が1066年に英軍を破り、ノルマン人の仲間たちと土地を分割した。 それがその後のイギリスの歴史を形成し、また英国議会上院の有権者を決定することになった。 軍事力を背景にした土地の強奪は、いわゆる「原始的蓄積」であり、それは常に貰い得であった。 無償で何かを得るということは、無料で富を手にすることである。 時にそれは、実際には発生しないリスクに対する代償という形をとる場合もある。 リスクがあるように見えるが、実際には存在しないリスクを冒すことに対して高収益が与えられる。 例えば1980年代半ば、米国の大口預金者は、最も腐敗の激しい S&L(貯蓄貸付組合)に預金することで割り増し金利を稼げることを知った。 預金者がS&Lの商売が合法的ではないことを承知で預金していたため、S&Lはその高リスクに対し高金利で報いなければならなかったからだ。 しかもS&Lが倒産すると、米国政府はFSLIC(連邦貯蓄金融公社)を通じて預金を保証したのである。 もう一つのリスクのない割り増しボーナスを手にしたのは不動産投資家である。 彼らは銀行を抱き込んで不動産への融資を求め、自己資金はほとんどゼロで不動産を購入した。 その融資に対して、不動産投資家は賃貸収入全額を担保に入れた。 投資家が狙ったのは賃貸収入ではなく、不動産が値上りした時に得られるキャピタルゲインであった。 もし価格が下がれば、ただ退散すれば良かった。 1990年以降、日本の不動産投機家が行ってきたのはこれである。 貧乏くじを引いた銀行が不良債権を抱えて苦境に立たされると、政府は公的資金を使って銀行を救済した。 不動産投機家の責任を追及して、過去に博打で儲けた売却益で債務を返済させることはしなかった。 それどころか、仲間の不動産投資家や完全な詐欺師、無責任な投機家に融資を行い不良債権を作った銀行や株主に責任をとらせることもしなかった… (引用終わり) 僕はこうした所説を論評する術を持たない。しかしながら史実が一定のパースペクティブの元に編まれ直されている。同じ史実もこうして編まれ直されると燦然と輝き始めるのだ。 マイケル・ハドソン氏の寄って立つ立場がどのようなものであるかは知らない。しかし、その所説には何がしかの真実が表現されているような気がしてならない。 72年に出版禁止となったという彼の著作を入手できればぜひ読んでみたいものである。表題は「Super Imperialism:Economic Strategy of American Empire」というものらしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 8, 2011 03:50:39 PM
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