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カテゴリ:息抜き
何も書くことがない。
正確に言えば、この場で主張すべきことを持ち合わせていない。 敗戦以来の無責任体制は辟易しているし、89年以降の東西冷戦終了後の政治情勢も興味がない。 興味がないというのは違うかもしれない。レーガンとゴルバチョフの関係は過去のものだ。日本のバブルに関して主張すべきことももちあわせていない。 バブル崩壊後のデフレ20年についてもいうことはない。 翁邦雄「日本銀行」(ちくま新書)は一向に読み進まないし、津野田興一「世界史読書案内」(岩波ジュニア新書)は面白いけど、読み終えるまでに、TOEIC受験が3回優先的にエネルギーを割かねばならないし、そもそも、家の中は、本で埋まっていて、整理がついていない。 もし、自分に何かあったときは、これらは、ヤフオクやアマゾンで処分することになるのだろうか。自炊をして、いつでも取り出せる状態にしたいが、そんな経済的な余裕はないし、ましてや時間的余裕もない。 読んだ本は5冊に1冊という感じの積読で、ここまで来てしまった。 映画の本、映画評論を書くための文芸評論の本、記号論の本、そして、現代思想の本、法律の本、経済の本、陰謀論の本、歴史、小説、エッセイ、ノンフィクションなどなど。 一体、どうしてこんなことになっているのかわからない。サラリーマンに過ぎない風情で、学者気取りをもったいぶっているのかも知れない。鎧と甲冑は、会社に行くのに必要な道具だ。ICレコーダーとスマホをしのばせて、会議や話し合いに臨む。それは弁護士の友人に勧められたことだ。 証拠を保全する。そのために身にまとう鎧と甲冑。 司法試験を受験していたのが10年前。転勤を食らって、中断。制度も廃止された。しかし、制度は復活。あとは自分の気持だが、脳がやられて、使い物にならない。老眼と記憶力の著しい低下はどうしようもない。 したがって、守りにはいって、子供たちが巣立つまでのあと9年は会社にしがみつくことにした。働く理由はある。あとは活躍する場がない。いまなにをやっているのか。 それは言えない。 つまらない仕事だ。どうでもいい仕事だ。理系に混じって、ロジックを前に呆然とするばかり。彼らは楽天主義合理主義に憑かれていて、まるで口からついて出てくるのは、お経のように聴こえるのは不思議だ。 自分には真似ができない芸当である。 なぜ、マーケッタ出身なのに、いまの仕事をしているのか、まったく不明だ。英語と法律を武器にして、それらで世の中を渡って行くのなら、まだわかるが、今の仕事では無理。 TPPや原発はどうにもならないし、なにが東京オリンピックなんだか、まったくお笑い草だ。属国日本の親分は左前だし、G20で話がまとまるとも思えない。多極化の趨勢で、地元のシャッター通りは悲しいものがある。 百貨店の前のシャッター通りって、もっと大学など誘致できるはずだろう。 京大はだめなのか。母校京大がこちらに来れば、いや来るべきだろう。ここ南大阪、泉州の地に。車を買って、子供たちを学校にやらせて、家内が働いて、家に居場所がなくなって、今日は、連休の谷間で、誰も居ない家で、こうして駄文を書く。 どうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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