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カテゴリ:闘魂
佐伯啓思「経済学の犯罪」(講談社現代新書)読了。面白かった。経済学がイデオロギーにまみれていること、そして、難しい、金融工学がどういう働きをして来たか、を日本人の立場で、総括していた。
結局、ユダヤ的な浮遊と大地に根ざした政経の違いが、金融の行き詰まりに投影されている。1980年代以降、2010年代まで、これがどういう意味を持っていたのかが明確に、バタイユやレヴィ・ストロースまでを動員して、論証されてある。 貨幣とはメディアであって、ケインズと新自由主義の断裂は、アダム・スミスをめぐる解釈というより、当時のイギリスがアダム・スミスの出現を要請した現実(リアル)、労働力を重視したマルクスはもちろん、慣習を重んじた経済のあり方に由来していた。 1%の富裕層と99%の貧困層の対立はもちろん、現実の日本の異次元日銀金融緩和がなにをもたらすか、それはそれは示唆に富んでいた。 中間層の出現と失業の問題とインフレがもたらす問題、ケインズがバカではなかった話、要するに、当時の英国の国益に沿って、政策に関与していた話など、そして、フリードマンなど新自由主義者がいかに現実をうがった見方をしているかがよくわかった。 貨幣論の裁き方もあざやかで、ポトラッチの意味するところを解説しながら、その解説を現代の経済学に適用する手法もあざやか。学問の世界でも京大は半端ではないことを世に知らしめた書籍だ。 なぜ、経済のどこをどう触るとこういうことになるのか、残念ながら大竹文雄先輩には、描きえないだろう、そして、あの浅田彰がなしえなかったことがここに結実している。で、われわれは一体どうするしかないのだろうか。 詳しくは本書で確認してください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 30, 2013 09:17:12 AM
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