仕事では、昼休みというものは、有って無いようなものだが、
その分、込み合う時間をはずして飯を食いに行けることが、救いといえるかもしれない。
今日は、仕事場から歩いて10分程度の、蕎麦屋に行くこととする。
その店は、オフィス街からほど遠くない場所にある老舗だが、
着流しの旦那衆が、昼から、焼海苔やら柱わさびとかを肴に、
熱燗で一杯やっているような粋な店だ。
やせ我慢で言うわけではないが、本当に旨い物を食いに行くときは、ひとりで行くに限る。
人とつるんで行くと、時間やら相手のペースなどに気遣いをせねばならぬときもあり、
大げさに言えば、味覚に神経を集中させることができない。
ただ、今は、誰に気兼ねすることなく、運ばれてきた蕎麦の香りを、ひとり堪能する。
大勢の会食や気の置けない仲間と過ごす楽しさはもちろんあるが、ひとりならではの楽しみもある。
男に生まれたせいもあるが、ひとりで飯を食い、酒を飲むといった修行は
好むと好まざるとにかかわらず、経験をつんできた気がする。
なので、今、自分が感じているこの風情は、些細ではあるが、
これまで、自分が勝ち取ってきた、風韻のようなものかもしれない。
それは、風のように、実態の無いものに過ぎないが、
今は、しばらく、蕎麦屋の喧騒の中で、ひとり、その感覚にひたることにする。
まだ、人生などというものを語る段階では無いが、
何が、その人にとっての楽しみや幸いとなるかは、わからないものだと思う。