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カテゴリ:ちょっと思うこと
皆さん、如何考えますか?
仲間由紀恵さんの主演する、学園ドラマ「ごくせん3」に対する批判ではないのだが、視聴率の高さからも現代日本人の志向する特徴が現れていると言う感じがするので、いつかこのことを書いてみようと思っていた。 ドラマであり、内容は非常に誇張されていて漫画チックに構成されているので、これを現実と混同される方も居ないと思うが、このようなドラマが視聴率で1位になると言うのはやはり異常なことだと感じるのです。 主人公「やんくみ」の親と出身は詳しく説明はされないが、「極道な組」と言うことになるだろうか?そして、自分はその跡取り娘であるが、極道を継承しようとは思っていない若い独身女性と言う設定。 そして、「やんくみ」が素手で、木刀などを持つ男子の若者10数人を数十秒で倒せる武術の達人であると言うありえない設定。 そして、そういう彼女の武力に生徒達は一目を置くという面と、彼女が天真爛漫で且つ一途に子供達を信じて、生徒の誤った行いを信念を以って「しかる」ことで信望を得ると言う物語の構造。 荒唐無稽な勧善懲悪ドラマと捉えるのであったとしても、やはり、このドラマが受け入れられるという世相が、私には「危うい日本人の心」投影しているのだと感じずには居られないのです。 何故極道の娘と言う設定が意味を持つのか、考えていただきたいと思うし、女性教師が武力で理不尽な暴力に立ち向かうだけでなく、完全に勝利してしまうという非現実的前提が無ければ、このドラマの成立しないので、現実とは全く乖離してしまっている事をどう捉えるのだろう・・・?また、敵役として登場する他校の生徒も同じく病んだ学生であり、完全な悪役を演じさせてしまうことで生じる物語の主題への矛盾には救いようは無いのだろうか?「やんくみ」はそれらの敵役には、人としての教えを行わず、何故切り捨てられるのか・・・そうした整合性の疑問もあると思うが、視聴者はそこを見逃してしまうのか?見ないようにしているのだろうか・・・・? 心の中にある何かへの鬱憤や不満を解消してくれるようなスーパーマンの出現を期待し、現実には自分達には出来ないことを誰かに依存して綺麗に片付けてくれると期待するような心情が日本人の心には在って、政治や、法律に期待できないと言った一種の不信感がその根底にあり、暗に法律に則らない何らかの正義によって問題を解決することを期待してしまっている。と言う図式をあらわしている様に思われるのです。 この背景は、警察が逮捕し裁判にまで持ち込んでも、証拠不十分で無罪になってしまう意外な事件や、逆に警察による冤罪などが多く発生していて、司法に対する信頼感の喪失という現実を反映しているだろうことは想像に難くないことです。 当然学校の教師に対する身勝手で無責任極まりない潜在的理想像が描かれているとも言えるのでしょう。 いざとなれば自分の危険をも顧みない勇敢さで子供を体を張って守ろうと言う教師への絶望的な憧れ、法治国家でありながら実際問題としては暴力に屈してしまう弱い市民を、警察は事件になっていないと出て行けませんと言って守ってくれないと言う現実へのいきどうり。 それらの不満と言うか、怒りというか、その辺を補完してくれる存在として「やんくみ」という痩身の女教師がコントラストを最高に生かして登場するのです。 日本人がそこに求めているものは、実は得られない事と絶望した事柄であることと、虚構の中でもやってくれている痛快さに拍手を送っていると言う、自国への批判が存在するのだと思うのですが、これを見て溜飲を下していていいものでしょうかね?。 私は・・・それは哀しく危険なことだと気付かねばならないと思うのです。自分は何もしないで、そういう都合の良いものに託してしまうと言う気質や虚構で我慢している姿を見ると、やはりそうした意識というものは政治的な意識の未成熟な結果として現れ易く、心無い政治家もどきに騙され易い日本人を象徴的にあらわしているように思えるのです。 決して現実には期待できないことと諦めてしまっていることが根底にあって、それは自分自身は決してやろうとしていないと言う身勝手さにあると、自分で気付いていないだろうと言うことは、危ういし、こうした矛盾した作り事のTVドラマが人気が一番高いと言うことが私には哀しいことなのです。 5/13日一部訂正・一部加筆 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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