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カテゴリ:ちょっと思うこと
中国のネット上で話題になったことがある「日本人の民度の高さ」についてだが・・・。
驚くべきことに、交差点で車が一台も通っていないにもかかわらず、日本人は赤信号を守り道路を渡らなかった。そしてだれも信号待ちの先頭に出ようともしないのだ・・・。やがて信号が青に変わると先を争うことも無く順番に道路を渡って行った・・・・。 赤信号でも渡れると思えば渡る中国人が、いつもの習慣で、つい信号無視をして日本の町の交差点を渡ろうとしたら、車がやってきてぶつかりそうになった。間一髪のところだったが、そのドライバーはクラクション一つ鳴らさずに止まってくれた。 これらのネット上の書き込みは、日本に旅行した中国人が日本で経験した驚きを書いたものだが、皆さんは何を感じるだろうか? 中国人の多くが、日本人の民度の高さを賞賛しているのは解るが、私にはやや耳が痛い思いもするし、実際には些細なことでもキレて暴力を振るう日本人も居て、そういう日本人に出会わなかった中国人旅行者はある意味幸運だったと言えるかもしれない・・・・。 確かに、私も今の車に替えて4年目になるが、クラクションは3回ほどしか鳴らしていないし、人が飛び出して来ても、止まれるならクラクションは鳴らさずに止まることだろうから、それは事実には違いないだろうが、車の来ない赤信号でも信号が変わるのを待ち、それまで道を渡らない日本人に疑問を感じないことも無いのだ。 尊法精神と言うかコンプライアンスとして、道路交通法を守ることが悪いとは確かに思っては居ないのだが、交通量の極少ない時間帯などに、赤信号で待つ歩行者も、車も、見渡す限りの見通しが出来る交差点で、車が来る気配さえ無い場所でも信号が青に変わるのをじっと待つことに疑問を感じないことは如何なものだろう? 私の昔の古いBlogにも書いたことがあるのだが、もしそういう状況で信号無視をした者が居たとしたら・・・、そしてそれを警察官が物陰から見ていたとしたら・・・・、何が起こるか皆さんは想像がつくでしょう。 たとえ危険が無くとも、車が来ないことを確認して安全を確認していたとしても、車の運転者がそれを行えば違法行為として見咎められ、違反切符を着られて罰金を払うことになるのです。 私は恥ずべきことだと思っていますが、日本の警察はそういう取り締まり方を、未だに普通に行っていますね。 このBlogの過去記事に書いたことだが、以下を参照してください。 20年ほど前のドイツの片田舎での話しだ。 私の仕事上の知人がレンタカーで確かデュッセルドルフの郊外を移動中、殆ど車が通っていない交差点で、赤信号で止まったそうな・・・。 そこに、たまたまおまわりさんが居て、車に近寄ってきて、赤信号にもかかわらず、発車しろと合図を送るのだ・・・??? 知人は信号を指差し、「赤だから・・・」止まらなくてはいけないと言う・・・。 おまわりさんはさらに近寄ってきて、「自分の目で安全が確認できて車も歩行者もいないのに止まっている必要は無いだろう、貴方にも眼は有るんだろう」と言ったそうな・・・・・。 これが、先進国、文化国家と言う物だろう、さすがに速度無制限のアウトバーンを維持する国だけのことはある。このドイツの片田舎の一警察官のしていることが法律と言う物の原点を物語っていると思う。 立法の精神とはそういう意味であり、重要なことなのだと思う。 何故信号機が出来て、信号に従えという法律を作ったのか?・・・それはラッシュアワーなどの交通量が多いとき、交差点が危険だから信号機を設けた訳で、交通量が激減する時間帯に、一旦停止し安全が確実であるなら、自分の判断で信号は無視しても、実害も無く、安全も確保できるなら、そこへ硬直した規則など充てないということなのだ。 日本の地方の郊外で見かける、黄色点滅や赤点滅の信号機はそういうことを自動的におこなう仕組みを持った信号機と言えるが、ドイツの田舎のおまわりさんは、たとえ信号機が赤だとしても、自分で確認して安全かどうか判断するのが本来の安全確保の基本的姿であることを教えてくれている。 例えば、目の前の交差点にタンクローリーが立ち往生している時、信号が青だからと言って、タンクローリーに突っ込んでゆく者がいるだろうか?・・・丁度その真反対のことをそのおまわりさんが示唆したのです。(注:ドイツのおまわりさんが全てこういう認識であるかは確認していない) 法律とは市民の安全・平和のためであり、法のための法ではないという解り易い例だ。 本来、法律や規則もそうでなくてはならない。「法多ければ国危うし」のことわざの通り、硬直した法治国家は危険で、決して成熟した豊かな国の姿ではないのだ。 物陰に隠れ、一時停止違反等を見とがめて違反切符を切る日本の警察の心貧しさ品の無さ、警察組織全体の心得の違いが、日本の現状レベルを投影しています。・・・・残念ながら、我が国はそうした部分では大人になっていない国なのです。 ここは世界一安全な国、日本ですが、くれぐれも信号が赤でも自分で安全を確認できるからと言って信号無視はしませんように・・・・物陰で警察官が見張っているかもしれません、違反切符を切られてから、警察官に立法の精神を説いてみますか?・・・ここは日本、自己責任の認識の高い先進国ドイツではないのですから。 いわゆるネズミ捕りという取り締まり方も同様です。ドライバーから隠れて、運転者が速度違反をしたところで捕まえて罰金を科すやり方は、交通違反などを未然に防ごうと言う行為ではなく、犯罪者を作っておいて捕まえて罰金を徴収する手法ですから我国の警察の程度はかなり低いのです。 10人ほどもの警察官を配備して、ネズミ捕り方式の一斉取締りをするなら、その10人を危険が多い場所に立たせて置いたほうが違反者を作ることなく安全が保たれるはずですが、ネズミ取りというやり方は、何処で取締りがあるか解らないようにして、常に違反をさせないようにドライバーの利害意識に訴えかけて速度違反を抑制しようとするやり方ですから、いわば恐怖を与えて違反者を減らそうと言う手法と言えるわけです。 しかも、その取締りの根拠となる制限速度が正しい設定かどうかについて運転する側に異論を唱える余地が与えられていないのです。 多くはスピードが出せる様な道路状況にしては低い制限速度が設定されていたりする場所で一斉取締りが行われる傾向が有ると感じています。 本当に事故や危険な違反行為を減らそうと言うのであれば、幾らでも他に方法があるにもかかわらず、このような取り締まり方をしている本当の理由は何でしょうか? 例えばNシステムと言う警察庁が大金をかけて設置している仕組みを応用すれば、特定の車両のある地点からある地点までの平均速度が解るから、論理的に速度違反無しで到達できない時間で2点間を通過したと言う事実を持って違反として呼び出すことも技術的には可能だし、高速道路では入り口と出口の通過時間と距離との演算でも同様に違反の有無が解る訳だから、その部分の法整備だけで、実際に速度違反などはほぼ根絶できてしまう可能性が高い。 今日の技術レベルでは、自動車のシステムマネジメントコンピューターのメモリの中に、速度情報記録メモリエリアをシェアするだけでも、後で読み出して速度違反があったかどうかを簡単に調べられる仕組みも構築できるのは殆ど誰にでも解るはずだ。 それなのに、そういう確実な方法を採らずに、高速道路などに配備する大量のパトカーや覆面パトカー、オービス等への設備投資やネズミ捕りに必要な人員の人件費に莫大な費用をかける取り締まり方を続ける意味は何処にあるのでしょうか?税金の無駄遣いを罰金で補おうとでも言うのでしょうか? それとも、違反者を沢山検挙し、罰金を多く取り上げて国庫に収めるノルマでも存在するのでしょうか? 一般道はともかく、全国の高速道路の制限速度は殆どが低すぎる設定だと思うのです。 低い制限速度を設定していれば違反者が相対的に増えるから、取り締まって速度違反者を作りやすく、罰金を科しやすい訳です。 その2へ続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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