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カテゴリ:世界
猫ひろしのオリンピック出場権・・・・・??。
常識で考えれば言うまでも無いことだろ・・・・・・あほらしい。 そう5月の半ばに書いたが、その直後の18日に「国際陸上競技連盟が参加資格を満たしていないと判断した。」と言う結論が出てで参加不能が確定した。 私は、猫ひろしというランナーは芸人として・・・という括りでなく優れた人材であり、素晴らしい努力家ではないかと考えているし、この騒動が起きる前から、彼が私の住む千葉県市原市の出身であることもあって、彼が走るたびに応援していたのです。 元はといえば2010年12月にアンコールワット国際ハーフマラソンで3位に入賞したのをきっかけにカンボジア側からのオリンピック代表への打診があり、カンボジアオリンピック委員会の方からの働きかけで今回の一連の事件となった訳だから、猫ひろしを短絡的に責めたりするのはおかしい。 私の常識は、オリンピックへの参加が国を代表する選手によって行われ、しかも国際標準記録を満たさないような選手が簡単に出場できない仕組みがある中で、今回のように外国から声がかかってくることが先ず問題があったと考えています。 カンボジア側にどんな事情があったかは良く解らないものの、北京オリンピックのカンボジア代表だったヘム・ブンティン選手とカンボジアオリンピック委員会と対立しているとの情報もあり、猫ひろし選手がカンボジア国籍を取得できれば、猫ひろしを代表とすることでカンボジアオリンピック委員会側としては対立する者を選ばなくても良いという事になるから、ただそれだけで良かったのかもしれない。 その部分を見ればそんなお家騒動のようなことに猫ひろしは利用され翻弄されたということになる。 カンボジアオリンピック委員会の提案で話が猫ひろしに届いた時、猫ひろしにしても、きっと戸惑ったはずだし、自分で良いのかという葛藤も経験したにちがいない。 しかし、カンボジアの正式な機関から打診されたとなれば、本当に出られるなら出てみたいという気持ちにさせられるということもあるから、一概に猫ひろしのした判断も責められないと思う。 そこで彼の周りの人は猫にどんなアドバイスをしたのかな?と思ったりもした。身近な人の中に「辞退すべき」と言う言葉をかけた人は居なかったのだろうか? 著名なランナーである有森裕子などは、疑問を投げかけていたが、同じアスリートでも国際社会では国籍を替えてオリンピックに出場するということは普通に行われているから、気にしないでやればよいという意見を語る人も居た。 私が常識で考えれば言うまでも無いと書いた、常識とはなんだろう? それは、世界には色々な国があり、スポーツに充分な資金を投入できずに選手の育成もままなら無い国も沢山あるけれど、そうした国へ国籍を替えて代表権を得ようとする行為は、たとえ合法的であったとしても、褒められないことだと言うことにある。 ほかの国へ行きそこに住みたくなって国籍を取得する。或いは、亡命せざるを得ない国際情勢などで国を出た人などが、たまたまスポーツに長けていてオリンピック選手になれる能力があった。 そういう場合であれば赦されるのが、国籍を取得して出場できるという規則の原点にあるのではないだろうか? 本当の母国からオリンピックに出るにはライバルが多すぎてほぼ不可能でも、XXX国には優秀な選手が育っていないから、自分が国籍をその国に移せばオリンピックに出られる・・・・ただオリンピックに出られるというだけでなく、オリンピックに出られれば様々な特典や利点が出るので自分にはその後の将来を含め大きな利益になる。そうした可能性を許すための規則では無いのです。そういう行為は私利私欲の類なのです。 規則を上手く活用すると言えば聞こえが良いが、逆手に取っているという言い方も出来るし悪用しているとも言えるかもしれない。 猫ひろしさん、貴方にはそうしたアドバイスをしてくれる人が身近に居なかったのでしょうか? 私は同郷人として・・・・それが残念です。 そして、オリンピックではそういう人も沢山居るから構わないという考えの人へ、沢山居るからいいんじゃないかという考え方は正しくありません、そういう選択肢を持っている人は世界には大勢居ても実際にそれを実行して国籍を移す人はかなり少ないのです。つまり多くの人が道義的な見地からもそうしないのです。前例もあり何人もの人がしているから自分もしても良いというのは大きな間違いであり、問題の本質を見ない行為で、主体性が無さ過ぎます。そのことに気付いてください。 赤信号みんなで渡れば怖くない・・・・これでは民度の低いことで有名な某国と同じです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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