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2022.06.22
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カテゴリ:世界
昔、私の車には常にラジュースとコッフェルが積んであって、コーヒーとか簡単な食事は自分でレース場の駐車場などだけでなく、林道脇でも、峠でも、どこでも作ってました。

昨今、「バーベキュー禁止」の看板が様々な場所に立っていて、「バーベキュー」ってどういう行為を指すのか?と言う疑問が生じますが?私が昔からやっていたラジュースとコッフェルで作る食事も禁止対象なのかな~?・・・・となります。

私の常識では、基本は河原の石を焼かない、流木も決して燃やさないし、落ち葉さえそのままにして、自然の中に人の痕跡は残さないことを最低限のマナーとし、自然界に何の変更も加えないことを理想とする・・・。それ故のラジュースとコッフェルなのでした。

ましてゴミなんて出さないし、出たとしても家に持ち帰るのは当たり前すぎる話で、良く言う、「残して行って良いのは足跡だけ」と言う解釈に通じます。

でも、もしかしたら・・・、今言うところのキャンプ場って、一般的には、そうしたことを学べる場所では無いのかも知れないですよね?

山に登山する人にとってのそうしたキャンプ用具と装備でするビバークさえクレームの対象になってしまうのか?・・・当然、地面に穴を掘ってトイレにすることさえ非難の対象にされる時代になって来ていますから・・・、今の時代は登山中の避けがたい生理現象故の排泄物もポリ袋等に入れて持ち帰るのが最膳の道徳的なマナーとされる時代への途上であります・・・「え!?そうなの?」とお感じの方も多いかもしれませんね?。

上高地を流れる美しく澄んだ梓川の水が長年飲用に適さないとされてきた理由を御存知ですか?上流の涸沢カール等の周辺でテントを張り、キャンプする多くの登山者が長年に亘って涸沢カール内のどこかに穴を掘って用を足していた名残りと考えられます・・・、今でもその時代に由来すると証明は出来ないものの、僅かではあっても大腸菌が夏季の梓川からは検出されるので、煮沸せずには飲用不適とされるのです。

山に登る人たちは皆成熟した道徳観を持った人格者でしょうか?残念ながらそんなことは無くて、そう思うのは錯覚ですね、普通のマナーが守れない人も沢山登っていますし、トイレの無い場所での排泄は、登山道の脇から少しそれた場所で行い、埋めて済ますという考えが今でも主流と思われ、山の動物はトイレなど使わないからと人間と野生動物を同列に言う人さえ居て、大正池迄の美しい梓川が大腸菌による汚染で飲用不適になっている理由が人糞由来であることも「知らない振り」をしているのかもしれません。自分の排泄物をポリ袋に入れて持ち帰ることに付いても「自分だけが糞便を持ち帰っても意味が無い」と言うかも知れないし、そればかりでは無く、ティッシュペーパーは融けないから良くないが糞は自然に帰るから問題は無いという人も居ます・・・・。

数人しか立てないピークで、タバコの煙を嗅がされた経験など1回や2回ではありませんし、沢の中や登山道わきに捨てられたアキカンを見つけるることだって、今でこそ減りましたが、それでもまだ偶にはあります・・・、苦しい山行を耐える山男は人間的に尊敬できるような人ばかりだと思ったら大間違いで、大きなリュックを担いで歩き、山々の連なりの美しさに感動する心を持ってはいても、その中身は普通の人なんです、当たり前ですね・・・笑。(山男が愛煙家である場合は有り得るでしょうが、空き缶や吸い殻を登山道脇にポイ捨てするとは、さすがに想像出来ません。)

翻って、様々な形のキャンプ場に集まる人たちの自然への認識や倫理観は如何でしょうね?大きな期待など出来ませんでしょう?当然ですよね・・・・・そこも社会の縮図と言えばその通りなのです。

人が自然の中で過ごす時に守るべきマナーと言うものをきちんと教えられていないのが原因でしょうか?、違いますよね?、主に親が子供に対し、社会の中で生きる為に人として持つべき礼節や、守るべき規範は何処から生まれて来るものなのか?そうした悟り知るべき文明人の心得を子供に教えないまま多くの子供達は育つのですよね?、まあ親が知らないことを子供に教えることなど不可能なのは当然です。

森や自然の中で人間が生きて行くという事は何を意味するか、自然を含み、あらゆる事へ、人はどのように振舞うべきかと言う基本的な倫理観がいまだに十分なレベルに育っていないか?思い違いをしていると言うことに起因すると言えませんか?

有史以来より、ほんの30年ほど前には、涸沢カールにはバイオ浄化システムを持つトイレなどは無く、登山者は岩やナナカマドの陰で用を足し埋めて帰ることは他に選択肢も無い故、当然悪行とはされなかったという事ですから、倫理観や常識までもが時代と共に変わって来たのは当たり前のことなのです。

その結果が現在の上高地付近の梓川の水源の土壌に記憶されているという事で誤りでは無いのでしょう、理由は大腸菌は氷点下の土中でも死滅しない為、気温の上がる夏期には増殖して川に流れ込んでいると考えられますが、梓川だけの問題ではありません、山小屋のトイレがきちんと整備されなかった場合でも、また、どこの山でも人の歩く登山道付近の川でも、夏にはそうした水質になる可能性をきちんと防ぐ手立てはほぼ導入されてはいませんから・・・調べてしまえば不愉快な数字を目にすることが想像されます。

どうですか?あの美しく輝くような川の流れが人糞由来の大腸菌に汚染されていて、現在でも、澄み切った雪解け水由来の沢の流れさえ、夏には飲用不適になってしまう清流が有り得るのです。

少し脱線しますが、ここで糞便性大腸菌の濃度について少し触れておきます。

梓川を例にとって生水を飲用とすることは避けるべきと言う判断は、「大腸菌が検出されないことが飲用水の条件となる」ことで言われるのですが、海や川、湖、プールで泳いだとすると、その水を誤って飲んでしまう事は普通にあり得るし、唇に着いたプールの水を全く飲みこまないでいる方が難しいのはどなたでも解ると思います。

では、海水浴場やプールの水質は水道水と同じで、糞便性大腸菌が検出され無いことを条件としているでしょうか?管理されたプールでは塩素殺菌などの基準に従っているはずですから「大腸菌が検出されないこと」が条件になってはいますが・・・・。

環境庁の海水浴場等の水質格付けでは最高位の「AA」は平均値として大腸菌の数は2個未満/100ccと定められているが、「A」では100個以下/100ccであり、「AA」及び「A」は「適」と言う表現で発表されます。

次に、「B」の大腸菌数は400個以下/100ccと定められており、「C」では1000個以下/100ccと定められて居るそうで、共に遊泳「可」と位置付けているのだそうです。

上高地の梓川の澄んだ水には夏では1~2個/100ccの大腸菌が検出されているので飲用不向きとされますが、海水浴などで誤って飲み込む場合と同様に考えれば環境庁の水質では「AA」となるので、実際にはほぼ無害に等しい量であると言えます。

実際には私の住む千葉県を含む関東地方の海水浴場の水質は2019年度で見ると「A」若しくは「B」以内であり、最悪の場合大腸菌は400個以下/100ccですから、顔や唇に着いた水滴が口に入ってしまうとすれば数10個の大腸菌を飲み込んでしまう事は止むを得ない範囲となって、さほどの危険はないと言っているようなものなのです。

これは私観ですが、遊泳「可」の地域においては「誤って飲むこと不可」と但し書きが本来必要だと感じますが、事実上それはほぼ無理な要求となります・・・・。

つまり、上高地付近の梓川の水をコップに取って180cc程飲む行為と、海水浴場の水中でシュノーケルダイビングして少量の海水を知らず知らず飲み込んでしまう事を比べてみたとしても、概ね上高地で梓川の水を飲用として利用することの方がずっと危険は少ないと言える筈なのです・・・。

してみると、腰下滅菌層が有る学校のプール管理程度の滅菌手順が厳しく確認されないような民間のプールの安全性ってどうなのだろうと感じるから、水流噴射洗浄器付き便座が一般化する以前を考えるとかなり恐ろしいものがあったのだなあ~・・・と。

まあ、脱線はここまでにして、登山道脇で排泄することの是非に対しては、今後持ち帰るように世論が成熟して行くことになった上で一般的な水洗式トイレに流すなどが推奨されるのだろうと感じますが、現在はそこに完全に到達した訳ではありませんが、「雉打ち」などと揶揄された野糞がほぼ無くなって、涸沢カールには大規模なバイオトイレが設置された為か?梓川の大腸菌の量も徐々に減って来て、塩素の投入が無いにも拘らず水泳プールより安全になって来ていると思えるので、やがて夏季でも大腸菌は検出されない日がやって来ることも有り得ると思っています。

上高地の河童橋の脇でも堂々と梓川の水を飲料水として補給することが出来る日がやって来ることを期待したいと思います。

直接的関係は薄いかもしれないけれど、人間が登山を楽しみ、登山道の脇に排泄物を埋めて済ますという行為は、やはり自分勝手な安易な行為と言われても仕方無い物であろうから、流域の水質を汚染しない努力や自然界に人の痕跡を残すまいとする姿勢は、登山者が少ない場合なら無視できるレベルかも知れないが、多くの人がそこに行くようになるという現実を考えるのであれば、相応の対策を求められる事案であると認識しなくてはならず、同様に人が多く自然界に入って行くケースでは人間を優先する考えは捨てねばならないという事にも気づく必要があるのであり、そこに在る自然に対し足跡さえ残さないと言う配慮が人間には必要だと心に留めるべきであると感じるわけです。

地球世界では人間が特権を持っているかのような振舞をせずに、総ての生物に対して敬意を払い共に生きる世界にして行くことが理想であろう、しかし、少し考えて見れば両立させられない生物がいる事にも気づくから、完全にすべての生物が天寿を全うできる日は決して来ないかもしれないが、人間だけでなく全ての生物は生きたいのであり、生きるためにここまで進化を遂げて来ていることにも目を向けなくてはならないだろう・・・。

地球の生物は他の生物を犠牲にしないで生きて行ける種など殆ど居ないのだと言う事もきちんと理解しなくてはならないのだと思う・・・、そして、殺しまくって人間だけに都合の良い解釈をしながら生き続ける道と、出来るだけ他を殺さずに人が生きる道が有ると思うから、なるべく早く後者の道を選べる人類になることを期待したいと思う。

ただ、人類全てがビーガンになれば良いとは微塵も思ってはいないので、どうか勘違いされませんようお願いします。

そういう事では無いのです・・・。

自分の気持ちの問題とは違うのです。





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最終更新日  2022.06.22 21:03:28
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