|
カテゴリ:ちょっと思うこと
黒田福美さんの述べた事に思う・・・。
女優でエッセイストでもある黒田福美さんは、かつての韓国のバレーボールチームのエースに一目ぼれして以来、韓国語も勉強し、たびたび韓国へも訪れて、韓国との親善に努力して来た経歴を持つため、韓国人の友人も非常に多く、日本人として彼らの心情を正しく理解している人の一人である。という事で良いと思うが、Webのコラムで以下のように書いていた。 日本の政治家が、韓国政府に向かって「遺憾である」と表現し、そのような「遺憾」という言葉を新聞やニュースで韓国の人々が知った時、韓国にも漢字語の「遺憾」という言葉が現在も使われているが、日本人の政治家が使う「遺憾」という言葉の重さは伝わらないのだそうだ。 彼ら韓国人にとっての「遺憾」と言う言葉は若い女性たちも日ごろ、普通に使う言葉で、軽い表現であるそうで、日本人の特定の大人が使うような堅苦しく重い表現ではないと書かれていました。 つまり「遺憾」と言う言葉に「残念に思う」という意味があるのはほぼ同じなのだが、日本人が使うときの重み、重大さが伝わらないという事なのである。 日本語で言う所の「遺憾」は、不満を伝えるレベルで言うなら大ボリウムに近い怒りの値を静かに伝えるための言葉であり、かなり怒っている状態を意味するのであるが、韓国人にとっては「ちょっと残念ですね~」と言うぐらい軽いものであるらしく、怒りの故の言葉とは全く思わないのだろう・・・という事です。 更に黒田福美氏は、韓国のTVのバラエティー番組は主に芸能人の話題ばかりで、良し悪しは別として、日本のように政治経済、事件事故を扱うようなワイドショーがないと言い、日韓間に起こっている問題がほとんど報道されていないので、一般庶民は知らないし、関心の持ちようもないのが現実で、多くの人は日本との政治の問題等にはあまり知識も興味もないのが現実らしいのです。 そして彼女の韓国人についての分析では、 日本人の道徳観は「善悪」が基本ですが、韓国人は「損得」が大切なのだそうです。 韓国人は「ゴールポストを動かす」といわれますが、おそらくそんな意識はないのだと思います。 言葉の重みが日本人と違うからで、言葉は韓国人にとって相手を自分の思う通りに動かす手段なので、自分の発した言葉に責任があるという意識が薄い。 と彼女は言っています。参照:https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00023/030700004/ (これって、「言ったことを翻し、約束を破っている自分自身に気づかない」という事に思えるのは私だけなのだろうか?) 私は、これまで少し謎であった部分がこの黒田福美氏の言葉でだいぶ解った気がしました。 彼らと日本人の最大の違いは、人としての道徳観や倫理観の違いであり、彼らは善悪と言う観念に基づいた行動規範などは殆ど持ち合わせては居ず、自分にとって損か得かが思考の根底にあるから、自分が有利になろうと無条件に反応するため、発言は場当たり的で、しかも都合の良さそうな作り話も躊躇なく言い、論点をずらして追及から逃れたり、他人に責任転嫁するようなことも厭わない。という事なのだろう・・・。 私の解釈は拡大解釈になるかもしれないが、様々な韓国人による慰安婦や徴用工問題での反日発言や文喜相韓国国会議長の稚拙な発言、2転3転と臆面もなく変化した韓国軍によるレーダー照射の言い訳等も、そう言うことを前提にしてみれば、正にそういう事なのかと納得し易くなって来る・・・・。 これは恐らく、普通の日本人には選び得ないような、恥ずかしい行為でも、彼らには自然に、なんでもなく出来るという事なのかもしれませんね・・・。 多くの日本人が求めるような、嘘のない清廉な心を理想として尊ぶ美意識は彼らの精神文化には無縁なのかもしれないね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.03.21 16:35:24
コメント(0) | コメントを書く
[ちょっと思うこと] カテゴリの最新記事
|