順調に不要になってゆく。
*じしんそうしつ。それはもう、いろんなかんじで。(感じ/漢字)*何にも熱中していない自分に、ときどき激しく嫌気がさす。いつもはどこか意識してとらわれないようにとらわれないように(それもいろんなかんじで)しているから熱中していないことに納得しているし満足しているのに。たまに、ごくたまに、ひどく深く嫌気がさす。それが、今です。送迎時、すごく話し込むママ友さんに(あくまでも片側目線の感触ですが)例えばメアドを聞いて保育所以外でも関わる。とか。仕事中、いつもバカ話が絶えない同僚さんと(あくまでも片側目線の感触ですが)仕事以外の場で相談にのってもらう。とか。家庭内、相思相愛な同居人さんたちに(あくまでも片側目線の感触ですが)もっとかまってもっとかまわれようとする。とか。他でも、何かの度あいたいと思い出す友人に(あくまでも片側目線の以下同文)具体的な約束を取り付けるまでねばってみる。とか。とかとか。とかとかとか。しない、のはいつものこと。だけどできない、と思うのは今。ほんとは、いつもも、しないんじゃなくてできないのかも。と思えてしまうのこそが今。しずんでます。へこむとかじゃなくもう、しずんでいるのです。まるごと。いまなら、なにもできない。いままでふつうにできたことも、いまからやろうとおもうことも、なにひとつできないというじしんだけが満ち溢れている。ふじょうするのを、待つのみ。(待つじしんが無いところがまた今)*凹むと豚の角煮を作る癖があります。えー、ほんとです(笑)。おたんじょうびに圧力鍋を買ってもらったので、前よりもぼけーとお鍋を見やる時間は少ないのですが。(エコだね。エコはそして、健康だね。)ゆうべごはん。・しろごはん・和風野菜コンソメスープ・豚と根菜の角煮・納豆or卵噛む力をつけるよう保育所からも言われているし、もともとナッちゃんは根菜好きなので、角煮はお肉だけで出来ることはまずありません。本日は、だいこん・にんじん・ごぼう。んま。これだけあれば、おかず要らないやー。というわけで汁ものも朝の残り。他も出すだけ。昨日は、お仕事をはんぶんで切り上げて、保育所の懇親会&面談に。いつもはわからない保育所でのばんぼし君を垣間見、いつもはほとんど会わないほかの子やママさんとお話。進級と同時に入院だの通院だのして機会を逃していた担任の先生との情報交換もできました。で、いつもより早くおうちに帰って、ばんぼし君と過ごす。ちょうどよくテレビで幼児番組が始まり、一緒にというよりわたしが彼を眺めて過ごす。おおきくなったなぁ。にんげんになってきたなぁ。そう思うと、いっぱい嬉しいののほかに、なんだかくうきょなきもちになる。順調に、要らなくなってゆくなぁ。ママ。会社でも、わたしがたくさん休むものだから、前よりも「わたしが居なくても日々が成り立つ」体制に。わたしが〆ないと終わらなかった作業は別の人に任せ、わたししか開けられなかった場所の鍵は合鍵ができた。あの人しかできない仕事はあるけれども、わたしにしかできない仕事は今のところ、ない。(いや、会社としては当然のかたちなのですけどね)相談したいことや、日々の笑えたり泣けたりなこと、たくさんあるけれどほんとうにたくさんなのだけれども、あいたい人はなかなかその都度話せる距離にいなくてその都度諦めてしまったり手近な別の人に話したりする。そのうちに、いつか、手近な別の人のほうが身近になって、最新版のわたしをより多く知るひとはその人になっていって、それは話せなくなった相手も同じ状況なのかもなって。そういうふうにして、人間関係は変わっていく?代えたくない変わりたくない替わられたくないと思っても?わたしをひつようなのは今、わたしがひつようなキミじゃない?順調に、要らなくなってゆくなぁ。わたし。それがなくちゃ、そのひとがいなきゃ、どうしても、生きていけないようにはなりたくないのだけれど。そう思えるのに、やっぱり必要性がないという現実は、ちょっとこたえるものはある。必要性がないのに、つながっていてくれるということが、キセキだ意味があるのだと喜べる日はあるけど今じゃない。そんなことをふと思って、別に全く悪い意味じゃなく考えていたはずなのに、気づけばどんどん落ちてゆくかんじ。子どもの自転車の補助輪のようなきもちw*おてんきは、ザーッと降った午前中はうそのような、晴れたいい青空の午後。だけど、湿度だけ。笑っているけど、泣きそうだって、わかるのは空気だけ。*