テーマ:ただ思うこと・・・(560)
カテゴリ:こころ
先週末、父方の祖母が入院先のベットから転落し
亡くなったという知らせを母から受けました。 3月に91歳を迎えたおばあちゃん。 15年前に相方のおじいちゃんを亡くし しばらくは一人で暮らしていましたが その後10数年間は老人ホームで暮らしていました。 亡くなるつい3日ほど前に 病院へ移ったばかりでした。 実家へ帰るときには、いつもおばあちゃんのホームを訪ねたり なかなか帰れないときには写真入りの手紙を送ったりしていました。 今年に入って、なんとなく、もう永くはないような気がして 3月のお誕生日にも手紙を送ったところでした。 遠く離れて暮らしている私にできることは、これくらいしかない。 でも、あのとき手紙を送ってよかった。 送らずにいたら今、後悔しているかもしれない。 母から、ホームのベッドを片付けに行ったら 私の写真が飾ってあったと聞いた。 おばあちゃんの生い立ちや人生について 私はほとんど何も知らなかった。 亡くなってから、母に話を聞いた。 小田原出身だということ 戦時中、日本が勝っている頃に満州へ移住したこと そこで夫となる男性と知り合い、結婚し、子どもを2人もうけたこと その子達は残念ながら、戦中まだ幼いときに亡くなったこと 戦後、夫の実家である淡路島へ引き上げ 2男1女を授かったこと その長男の嫁である、私の母とはウマが合わなかったこと 長男の第1子である私のことはとても大事にしてくれたこと 夫が亡くなってからは、嫁に甘えてわがままばかりだったこと・・・ そんなおばあちゃんがベッドから転落し 意識をなくして心臓だけがなんとか動いている状態で 母が病院に駆けつけた。 家族を呼びに帰ろうとすると、 医師に引き止められ「呼びに行く時間はない」と告げられた。 病室には祖母と母の二人。 祖母は涙を流しながら静かに息をひきとった。 その顔はとても綺麗だったと母は私に言った。 祖母と母は仲がよくなかった。 けれど、最後の時、祖母は母にこれまでのことを感謝したのだと思う。 実際、おじいちゃんが死んでから おばあちゃんの相手を母は文句を言いながらもずっと一人でしてきた。 母はすっきりした表情で 「おばあちゃん、最後に悪かったなあと思ったんやろうか」と言った。 おばあちゃんは、周りに親戚も兄弟もいない地で 夫だけを頼りに生きてきた。 その夫が亡くなったあとは、長男家族に頼るしかなかっただろう。 そして、母もまた、両親を結婚前になくしていたので 頼りは夫と、舅姑だけだった。 (母の場合は、近くに姉がいるけれど。) 私は、自らの意思ではあるけれど 周りに誰も知り合いのいない土地に暮らし 家族で力を合わせてやっていくしかない環境に身を置いた。 流産したのも、おばあちゃんがなくした子ども達の悲しみを魂が受け継ぎ 違った形で表現したのではないだろうか。 魂は家系の中に隠されている悲しみや憎しみをも すべてを包み込もうとし愛するという。 自分の人生を生まれてから死ぬまでではなく もっともっと永い目で見たとき この人生で起きていることは、 偶然ではなく必然であることが実はほとんどではないだろうか。 そして、私はつい1~2年前までは母のことが嫌いだったけれど 今は結構好きだと感じている。 でしゃばりで、余計なお世話ばっかりだけど ここまでのおせっかいおばさんはなかなかいない。 いつの間にか、実家に帰ることに負担も感じなくなったし 喧嘩もせず普通に会話できるようになった。 子どもの頃からずっと「お母さんみたいになりたくない」と思って生きてきた。 母の言動にいちいち腹を立てていた。 でも今は「お母さんみたいなのも結構いいじゃないか」と思える。 なぜかは分からないけれど 母との葛藤はこの1年間でもうほとんど解消された。 母も私も一緒に少しずつ変化していったのだろうか。 祖母の死から1週間、 こんなことをあれこれぼんやり想っていた。 おばあちゃんの形見として母からもらったものは お宮参りのときに写真屋さんで撮ってもらった、 綺麗な着物に包まれた1ヶ月の赤ちゃんの私が おばあちゃんに抱っこしてもらっている写真。 おじいちゃんに似ていると言われてきた私だけど おばあちゃんにも似てるかも、とその写真を見て感じた。 でも、最近鏡を見るたびに思うのは、母に似てきたなあ~ということ。 今日の日記にお父さんが全然出てこなかった。 存在感が薄い父・・・ 母との葛藤を卒業し、今後向き合うのは父のようですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.06.01 21:43:53
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