|
テーマ:徒然日記(23486)
カテゴリ:極楽人生
今年は兄の17回忌にあたるそうだ。実家の菩提寺からの葉書で知らされた。
本当なら母と二人、尾道の寺で法要をしなければならないのだが、なにせ母は認知症で神奈川の施設に暮らしている身。私は私で千葉の田舎で2歳児と0歳児を抱えて身動きとれぬ。 さて、本家やお寺に相談してお経だけあげてもらうようにお願いしようか。 そういえば、父と祖母の忌日もどうなってたっけ・・・。 などとつらつら考えていた。 ふと、そういえば今年は阪神淡路大震災から12年目、いわゆる13回忌にあたる筈だ、と思い至った。 阪神間のお寺は忙しいだろうなぁ・・・。 当時のことを色々と思い出す。 親友のお父さんが亡くなり、そのお葬式に行った知人から聞いた話。 遺体を火葬できる焼却場が無いので、ヘリコプターで遺体を近隣県の火葬場に運び、お骨になって戻って来るのだが、あまりにお骨の数がありすぎて、一応番号がついているものの、それが本当にお父さんの骨かどうかわからないよ、もしかすると他の人のかもね、と家族が話していたそうだ。 お茶の先生が昔の同僚だった幼稚園の先生から聞いた話。 そこの幼稚園でも通っていた園児が亡くなった、そのお母さんに会った時聞かされた話。 お母さんが幼稚園児の娘と赤ん坊と一緒に寝ていて、そのまま生き埋めになり身動きがとれなくなった。 娘の手を握り、「大丈夫よ、すぐに助けが来るからね」と励ましていたところ、最初は「痛いよう」と泣いていた娘の泣き声がだんだん小さくなり、手から力が抜けて冷たくなっていくのを必死の思いで握り締めて娘の名前を呼び続けたが、娘は助からなかった。 「下の子がいるので生きていかなければならないけれど、先生、私はあの時娘と一緒に死んでしまいたかった」と泣かれたそうだ。 近隣で唯一電話回線が生きていた公衆電話に並んでいた時のこと。 当時まだ珍しかった携帯電話を借りて、20歳位の女の子が泣きながら話していた。 「お父さんもお母さんも妹もみんな家の下敷きになってしまって・・・私だけが助かったんです、私だけが。近所の人に助けてもらって・・・私どうしたらいいでしょう・・・」 電話待ちの人たちみんなが痛ましげな顔で泣き崩れる彼女を見ていたが、私の後ろでおじいさんが「私の妻も今家の下敷きになってるんですが、この行列ではいつ救急車に電話できるかわからないですね」と言い出し、前後の人たちに「今救急車は電話ではつかまりませんよ、みんな消防署に直接言いに行っていますよ、そうした方がいいですよ」と勧められ、「そうですか、ありがとうございます、そうします」と列を離れていった。 水の流れない水洗トイレほど恐ろしいものは無い。 避難所のトイレで実感した。 人はせっぱつまると排泄せざるを得ない。 で、前の人の残したモノの上に積み重なって・・・私も仕方なく、山づくりに加担してしまったが(汗)。翌日には使用禁止になってました。 公共施設の水道が復活した時、地元の市会議員の奥さんは、その恐ろしい地獄の糞便の山を割り箸で崩しながら流して掃除したそうだ。 本当に、政治家の妻は大変だと思いましたよ。 関西では、特集番組が放送されているのだろうか。関東にいるとすっかり無かった出来事にように思える。 私は運良く家族も仕事も失わなかったが、それでも先輩や知人が亡くなったり、さまざまな体験をした。 震災にあわなければもう少し人生が違っていたと思う。 だのに、あんまり教訓を生かしていないなぁ・・・。 せめて心の中で黙祷をささげよう、あの日に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.01.17 03:40:19
コメント(0) | コメントを書く
[極楽人生] カテゴリの最新記事
|