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テーマ:ニュース(100221)
カテゴリ:極楽人生
昨日に続いて阪神淡路大震災についてです。
私の住んでいた古い団地の前の路地は、両側を倒壊した建物がふさいでいたので、様子がわからない暗いうちはどこへもいけず、近所の人たちと集まってただ夜が明けるのを待っていました。 月も無い真っ暗な中、冷たいアスファルトの路上にパジャマ姿で裸足で立ちながら、西の方の空が赤く染まり、消防車や救急車のサイレンが鳴り響くのを聞いていました。 明るくなって近所を歩いてみると、爪楊枝のように根元から折れている電柱や、2階部分が転げ落ちた家、あちこちで古い木造アパートが崩れて道をふさぐどころか、道自体が全く無くなってしまっている有様で、まさに町が消滅してしまっていました。 思わず知らず、おかしくなって大声で笑ってしまった。 あまりに信じられない、想像外の事態に出くわして、ショックのあまり出てしまった笑い声でした。 しかし、人口に対して死者の比率が最も高かった町に住んでいながら、幸い私は怪我もせず、家族や親しい友人も無事でした。 けれども、尊敬していた高校時代の先輩が亡くなられました。 ピアニストとしてこれからどんどん活躍するはずの人でした。 高校時代からすごい演奏をする人で、女性なのに背筋力の強さが運動部の男子を抜いて学年一。 あまりに激しく鍵盤を叩いて、爪が割れてしまいピアノが血に染まったという逸話の持ち主でした。 ご本人の性格は気丈ながらも、気さくで親切で、後輩には大変優しく接して下さいました。 一度だけ、先輩にピアノの指導を受ける友人に付き添って自宅にお邪魔したことがありましたが、まさに豪邸のお嬢様、庭先でテントがはれるほどの広い芝生。 妙に緊張したのを覚えています。 先輩の死を知った時には本当にショックでした。 どうして私のような中途半端な者が生き残り、先輩のように希望と才能にあふれた人が世を去ることになってしまったのか。 答えの出ない問いを何度も何度も繰り返し考えました。 暖かい人柄だった先輩をしのんで、1年後、音楽仲間の方々が追悼コンサートを開かれ、聞きに行きました。 そこで覚えた曲、グラナドスのスペイン舞曲集のオリエンタル。 哀愁をたたえたメロディは、それからしばらくの間、私の頭の中でこだましていました。 今生きていることには何かの意味があるはず。 そう思ってきました。 当時は建材業界で事務をやっており、自分が働くことでわずかでも復興の役に立っているような気がしていました。 今は息子と娘二人を産み、彼らを育てることに自分の存在意義があると思っています。 普段から不平不満の多い私ですが、毎年1月17日には自分の越し方を振り返って反省しています。 失われたたくさんの価値ある命に向き合う勇気を持つために。 輝く星のように明るかった先輩の名前は、猪木聡子さん。ここに記しておきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.01.18 02:27:35
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