カテゴリ:虚言癖系
授業中に白目を剥いて倒れた彼女は、翌日も学校を休んだ。もうだいぶ具合が良いが、今日は大事をとって休む。明日から学校に来るそうだと、急場の役には立たないことを露呈して、子どもたちの信頼感をちょっぴりそこなった担任が言った。
お昼休みになると、あまり親しくないYちゃんという女の子が、私のところにやって来た。彼女も私も、おもちゃ屋の彼女の家から、通り一本ずれたところに住むご近所さんだから、帰りにお見舞いに行かないか、というのだ。 お見舞いと言ったって、病気の人のところに押し掛けるのは、迷惑なんじゃないか、と言ったが、Yちゃんは平気そうだった。「だって、もう具合は良いって、先生だって言ってたじゃない。それに、昨日と今日やったところのノートを貸してあげたら、Kちゃん(おもちゃ屋の娘の名前)も喜ぶと思うな」 ははー、それで声をかけたのか。私のノートが必要だという訳だ。 別に私が優等生だったとか、ノートがきちっと整理されていた、というのではない。小学校では、各教科ごとにノートを用意するよう、強くつよ~く推奨されていたにもかかわらず、ずぼらな私はルーズリーフのノートを使っていた。だから、全教科のノートがバインダーに挟み込こまれたままの状態で、常にランドセルの中にあった。「ノートを見せてあげる」という名目には、ピッタリの人材だったのだ。 Yちゃんは学校が終わるまでに、クラスの中から「Kちゃんの近所に住む女の子」3人に声をかけ、親切心なり好奇心なりを刺激して、お見舞いグループに入ることを承諾させた。我々総勢5人は、そんなわけで放課後、「おもちゃ屋」さんに向かった。 間口の広いKちゃんの家に着いて呼び鈴を押すと、驚いたことに、出てきたのは元気そうなKちゃんだった。まだ小さな妹が、片手に着せ替え人形を持ち、もう一方の手でKちゃんのワンピースの裾を握って、後ろからのぞいていた。「今、妹と遊んでたの」 Kちゃんは、聞きもしないのにそう言うと、サンダルを履いて私たちを外に押し戻した。玄関の板の間の向こうに、赤茶けて毛羽立った畳の部屋があり、段ボール箱がたくさん積んであるのが見えた。 その後、私たちは広場のような家の前の駐車スペースに、ビニールシートを敷いて、当時はやっていた大粒のおはじきで遊んだ。おはじきはもちろん、Kちゃんの家のものだ。だが、コンクリートはごつごつして、座り心地が悪かったから、何となく落ち着かない雰囲気だった。 Yちゃんは、妙にしつこくグズグズしていたが、他の3人はたぶん、夏とは言え、お尻が冷えたのだろう。30分もすると、帰りたいそぶりを見せ始めた。私は尻こそかなり丈夫だが、おはじきにはあまり興味がなかったので(下手とも言う)それに同調した。「Kちゃんを疲れさせちゃ、悪い」とか何とか、言った気がする。 我々が立ち上がると、Kちゃんもほっとしたようだった。心優しいお友達による、病後の表敬訪問は、なんとなくしらけた感じで終了した。結局、ノートも見せず終いだった。 じゃあね、ばいばい、と言って散らばったあと、私はしばらくYちゃんと一緒に歩いた。「な~に、あれ。お見舞いに来たのよ、友達が。普通、家にあがれって言わない?」とYちゃん。「うん、まあ、そうだね」と私。「お母さんだって、顔ひとつ出さないし」「仕事中だったんじゃないの?」「それにしたってさあ、友達がお見舞いに来たのよ。ジュースくらい出すもんよ」 更にYちゃんは、お見舞いのお礼に、塗り絵の一冊もくれるべきだ、と憤慨した。ああ、そうか。そういうネライだったのか。ふ~ん。 でしゃばりなYちゃんのことを、ついつい思い出してしまったが、Kちゃんに話を戻すと、彼女はそれからもしばしば、白目を剥き「う~ん」とうなっては良く倒れた。「テンカンなんじゃ?」という噂が出始めたころ、間口の広い「お屋敷」の一家は、また、引っ越してしまったから、真相は分からない。 ただ、後年、テンカン持ちの友達に、二度も目の前で倒れられた経験から言うのだが、テンカンの発作は、「うーん」とうなって倒れる程度のものではない。痙攣するし、うなり声も発する。白目の剥き方だって、もっと強烈だ。 Kちゃんのアレは、たぶん、人の注目を集めるための演技だったのではないだろうか。好意的に解釈しても、ヒステリーから来る発作的症状、というのがせいぜいで、何かの持病があったとは思えない。それ以前にも、虚言癖のあるクラスメートは何人かいたが、最も印象に残っている最初の体験が、Kちゃんの失神であることは間違いない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年05月30日 21時06分28秒
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