カテゴリ:勘違い系
ある言語の、みょーにマイナーなポイントに、外国人が魅せられてしまうケースの延長線上に、「日本人に見るアメリカ人的発声法」というのがあるんじゃないかと思う。小林克也の英語を、「すばらしーっ」と思ってしまう傾向、と言い換えても言い。
と言っても、私は小林克也氏の英語を、客観的に判断する立場にはないし、「すごいなー」と聞き惚れてしまうタイプでもある。が、私の知っている英語ネイティブに、小林氏の英語は、あまり評判が良くない。「わーわーウルサイだけ」と言うのだ。 小林さんレベルになると、生半可な日本人が評価するのは難しいが、ある時、オンラインのマルチメディア英語教室、みたいなのをやっているジーサンのサイトを見て、「あああ、わーわーウルサイだけ、ってこういうことか!」と腑に落ちた。 その先生は、映像を見るに70歳前後くらい。「有料会員に登録すると、オンラインでこういう授業を受けられるよ」というサンプルに、何種類かのトピックの授業のさわりを2、3分ずつ、公開している。 授業の冒頭には「Hello, everybody!」みたいな、砕けた調子の英語の挨拶が入る。その英語の流暢さに、私の友人は魅了されて入会した。ご本人の得意満面なご様子からも、「自分はバツグンに英語がウマイ」と信じ込んでいるのは、(意地悪からではなく)確かだろうと思う。ところが私には何を言っているかサッパリ分からないのだ。 日本人はリスニングがダメと言われるが、私は諸般の事情で、リスニングだけは得意という特異体質(シャレじゃなく)である。ものすごい方言でも、「音」としてだけは聞き取れる(だが意味は分からなかったりするワケである)。 そういう特異体質なので、何を言っているか分からないのは、おじいさんの英語が流暢だからでは断じて、無い。個々の音の発音が、クリアでないせいなのだ。 確かにおじーさんの発音は、アメリカ人っぽい。でもそれは、胴体をわんわん響かせる、アメリカ人男性的に大げさな発声法を忠実にまねているからではないかと思う。しかしそういう「発音」の滑稽さ、個々の音はデタラメだけど、アメリカ人的な声の響きだけは上手にまねている、そういう滑稽さは、「ネイティブ顔負けの発音」とか言われている人の、多くが背負っているもののような気がする。 小林克也さんの場合、そのジーサンのように、個々の音の発音がひどいわけではない。キチンと発音している。でも、ネイティブが聞くと、やはり若干、発音に甘いところがある。なのに、すごーくアメリカ人的な発声をしている。そのギャップが、私の知っている何人かのアメリカ人にとって、「不愉快」なものに感じられたのではないだろうか。 それは丁度、私が日本人の「さんきゅー」をカリカチュアライズして物まねするフランス人に、ある種の不快感を感じたのと、同じような感覚かもしれない。 まーそれはともかく、小林克也さんに対する評価を聞いてから、私の周囲にいる「英語がご堪能な方々」の4割くらいが、「口から出る音は甘チャンなのに、胴体だけはワンワン反響させてアメリカ人を気取る」系の人であることに気がついた。ウルサイです。ほんとーにウルサイです。 変な作り声をして大げさに喋るだけに、滑稽でもある。カラオケで、オペラ歌手みたいな歌い方で、ポップスを歌う人に遭遇したら、目が点になると思う。胴体ワンワン型は、それの英語版だ。聞いているこちらが恥ずかしくなるから、本当に止めて欲しいのであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[勘違い系] カテゴリの最新記事
|
|