カテゴリ:勘違い系
教育実習をやっている間に、実習生は色々な役割を持っている先生方に、その仕事に関するお話をうかがう機会が設けられた。進路指導の先生の話とか、生活指導の先生の話とか、だ。
その中で、誰だったか忘れたが、一人の先生は話が乗ってくると、つい口を滑らせた。「先生はね」 私たちは教育実習生であり、その人の生徒ではない。かなり年下ではあるが、一応は大人を捕まえて、自分で自分を「先生はね」と言っちゃうその神経に、私たち教育実習生はかなり白けた。実習生控え室に戻ってから、「だからセンセーってイヤなんだよ」と不謹慎なことを言ったヤツもいるし(だったら教職とるなよー)、「ああいう先生にだけはなりたくない」と前向き(?)に決意を固めたヒトもいた。 生徒に対してでも、「先生は」「先生が」「先生の」と、何かの活用みたいだけど、そんな風に言うって、どこかヘンじゃないのだろうか。 と思いつつも、日本の文化は「先生は」とか「お母さんが」とか、大人が子どもに対して、そういう風に接する姿勢が減ってきたために、ちょっとおかしい方向に行きつつあるのかも、というような気もする。 「言い訳があるんだったら、お母さんに言ってみなさい!」なんてお小言は、しょっちゅう頂戴した覚えがあるけど、自分の子どもを「彼」だの「彼女」だのと呼ぶおかーさんたちは、子どもに向かって話すとき、「私」と言っているような気がしないでもない(実際はどうなんだかしらないけど)。 それはともかく、国旗掲揚癖のあるその学校は、その他の点でも実にヘンだった。音楽の先生が、他の先生方を仕切っていたのだ。 普通、学校内で(暗黙のうちに)力を持っているのは、主要教科の先生だろうと思う。そして年功序列とか、教師としての力量とか、熱意とか言ったものによって、最終的な序列が決まる、というような、そんな感じでは無いだろうか。特に、場合によっては非常勤の場合もあり得る音楽の先生が、自分よりはるかにベテランで、力のある先生たちまでをも、あごで使うような雰囲気は、絶対にどこかおかしい。 実は私に「スパイかと思った」と言った先生が、その仕切り屋の音楽教師だったのだ。何で彼が、あんなにも厳然とした力を持ち、校長や教頭までもが遠慮していたのか、その理由は分からない。が、今にして思うと、ハタを上げ下げして、直立不動で君が代を聴く、というルールは、彼が作ったのかも知れない、という気がしているのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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