カテゴリ:勘違い系
先日の、昼メロの話に戻るが、私が「あの器量って、ブスってことだよね」と勘違いしたのは、この人である。
この紹介図を見る限り、まあ「天性の美貌に恵まれ」というところは、おいおい、と思うにしろ、決して不器量な女の子ではない。が世相を現すような、ひどく昔風のベッタリした化粧をすると、素材の形の悪さがモロに現れてしまうのだ。 つまり、今のようなメイクが発達していない時代の、白塗り、べたっと口紅、という化粧で美人に見えるには、顔の造作が整っていることが必須。現在のような「個性的な美人」は、当時にあっては一種、二律背反と言えるのかもしれない。 私が「抜群のプロポーションと美貌でうんぬん」という雑誌の煽り文句でのけぞったのは、ファッションモデルの冨永愛だ。 プロポーションの方は認めるが、び、びぼう? ウソだろう、最近はこういう顔を美貌と言うのか???? でも、彼女が若くしてできちゃった婚をするんだか、したんだか、というニュースが出たとき、とある記事にホッとした。そこには「抜群のプロポーションと個性的なフェイス」とあったのだ。よ、良かった。彼女を美人と思わないのは、私だけでは無いらしい。 米田万里さんの、吉永小百合醜女説ではないが、私もかなり、世間一般から非難を受けるであろうような醜女説を唱えている。オードリー・ヘップバーンだ。 若い頃の彼女はとてもキュートで、魅力的であることは認める。バレエで鍛えた身のこなしや姿勢の美しさも、とっても素敵だ。が、どうにもこうにも、私には彼女は美人に見えないのだった。 オードリー、オードリーと未だにもてはやしているのは、どうも日本人だけ、というような話も聞いたことがある。私も日本の常識から、ちょっとズレているということなのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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