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カテゴリ:転職
さて、カテゴリーのひとつである転職活動についても、書いていくこととする。 私は転職について語る資格があると思っている。プロフィールを見れば当然だが、転職歴が多い。単にジョブホッパーとお思いの方もいるかもしれないが、そんなことはない(と自分では思っている)。 悩んだり、相談したり、本を読んだり、いろいろもがいた。 このブログは私個人の記録をとどめることが最大の目的ではあるが、同じような境遇の方も多いだろう。悩める諸君は参考にしてくれると幸いだ。自分の社会人人生の回顧録に近い内容となるであろう。 数回のシリーズものになるが、長期にわたり書いていくつもりである。現在のところ時系列にこれまでの社会人人生を振り返って書き、都度得た教訓や経験ごとを書くこととしよう。 まずは学生時代の話から・・・。
私は大学在籍中に、アメリカのミルウォーキーという田舎都市(人口60万程度のミシガン湖沿岸に属する都市。ビールの産地やハーレーダビッドソンの本社がある)に約1年弱留学していた。当初5ヶ月程度はESL(大学付属の語学履修コース)で学び、残り5ヶ月弱は学部に編入し、単位をとった。ウイスコンシン州立大学ミルウォーキー校だ。卒業生に、アルベルト・フジモリ元ペルー大統領、アーノルド・シュワルツネッガーカリフォルニア州知事、そして元アイドル歌手のデビー・ギブソンらがいるそうな(一部マジソン校もいる)。ミルウォーキー校はいわゆるフツーの州立大学といっていいだろう。 そこで、美しいミシガン湖を眺めていても仕方ないので、ヨットクラブに入ることとした。ここで、ベッカーというユダヤ系の会計士と出会い、彼が大学院で勉強し、卒業後コンサルタントになりたいといっていたのを聞いたのがコンサルタントという職業を知った経緯だ。アメリカには経営者の補助として企業の経営方針などを助言する役割を担う職業があると聞き、大変興味を持った。 帰国後(90年1月ごろ帰国。直後に湾岸戦争が勃発した)、就職活動となった。私は3年生終了後、1年休学をしたのだ。 当時はバブル絶頂期で、大学生は「引く手あまた」の状態であった。信じられない大企業・優良企業に例年実績の倍以上の数で就職者が出現した。また、我々の世代は、偏差値世代の走りで、かつ、優良企業=高収入=安定、3高(学歴、収入、身長)、3K(きつい、汚い、厳しい)など、社会をなめたような就職観もあった。事実、企業の「格」や内定の数を学生同士で競い合う風潮が私の周りでは多かった。 1年間休学したので、同級生たちはすでに就職することとなり、いろいろアドバイスを受けたりもした。当時は就職はそのまま退職まで勤め上げるという風潮が一般的であった。もちろん、転職もちらほら話題になった。AERAでソニーの中途入社式の模様が記事になっていたことがあったが、ソニーの人事の話では「同期入社組みの中で、トップレベルだと思われるぐらいの基準」で選抜していたらしく、日本興業銀行から転職した人が記事になっていた。つまり、当時は中途といえど潜在能力採用で、現在の第二新卒か30歳未満程度ぐらいのポテンシャル重視の転職がまだまだ一般的であったといえるだろう。 私は、「アルク 」 という留学系の雑誌などを読んだり、留学帰国生などの話を聞いていたりしたので、転職というものを積極的に利用する人たちをすでに知っていた。したがって、不肖にも就職活動時点から、「転職も将来ありうる」 というイメージがすでにあった。 また、ベッカーのいう「コンサルタント」という職業に漫然とあこがれていた。したがって今はなきアンダーセンなどの就職情報や「アルク」でコンサルタントの人のプロフィールなどを調査したところ、超一流の大学、MBAなどの卒業生ばかりが並んでいてびっくりすると同時に気が引けてしまった。 こんな感じだ「東京大学大学院卒業後入社」 とか 「一橋大学経済学部卒業、XXX入社、社内選抜でアイビーリーグMBA取得後XXX退社、マッキンゼー入社」といった具合だ。 一応、アメリカ人や留学経験者からは 「コンサルタントになるのなら、まずは一般企業に入って実務を身につけた方がいい。コンサルティング会社(当時は外資系しか知らなかった)はいつでも転職可能だが、日本の企業は転職で入社できず、今しかチャンスはない。」 そこで考えた。MBAを取得しやすい企業、コンサルティング会社に近い職業に就職しようと。以下続く。
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Last updated
2007/01/08 10:31:38 PM
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