物議を醸し出しそうなタッチーな話題をあえて選ぶ。
とりあえず女子マラソンが終わったが、男子にメダルをほとんど期待していない現状、事実上、日本人のオリンピック マラソン競技は終わったと言ってもいいのではないか?
野口選手が怪我で出場辞退し、補欠選手の登録がなく2名で走るという前代未聞の事態となってしまった今回の女子マラソン。1万メートルで出場予定だった渋井さんあたりだとひょっとしてコンディションが間に合ったかもしれなかったなあ、と思ったのは私だけ?(7月には補欠なしを決めてしまったそうだが)。
しかし、野口選手は今となっては「勇気ある辞退」と言えるだろう。私は元々辞退賛成派だった。ベストコンディションでないと確信できない限り出場すべきでないと思っていた。まあ、江川引退肯定派といった感じ。特にマラソンは一回途中棄権するとなかなかその心理的な回復が難しいようで、その後の選手生命にも影響を及ぼす。彼女も30歳なので明日があるかわからないし、一番出場したかっただろうが、マラソンはそんな半端じゃないと思っていた。よく勇気を持って辞退を決断できたと思う(か、実際はよっぽどひどい怪我かもしれない)
多分前回金メダリストは前回のメダルが実力だってことを今回でさらに証明したいという気持ちも強かったと思う。今後の奮起を期待するしかない。
これと正反対なのは土佐選手。外反母趾の痛み止めを飲んでいたなど「そんなことあったのか」という事実も発覚。しかし、マラソンはそんなに甘くはなく最悪の事態となってしまった。あんな姿を国民に見せて感動とおもったら少し違うのではないか?
(粘りの土佐と言う以外、情報量も少なめだったが)レース前の有森さんとの談話でも少し痛むような話があったらしいし、もし、レース前から痛みがわかっていたのなら、最悪を考えて、「こういう事態になったら棄権する」というラインを事前にコーチと協議する、といった相談があってもよかった。「粘りが信条」と言われていただけに棄権しづらかったのかもしれない。しかし、ちょっと簡単には同情できない。
また、補欠登録を見送る前に各選手のコンディションを陸連は十分な確認をしていたら、渋井さんか他の選手にも出番があったはず。
選手には本番前の大事なトレーニングでよもやの怪我というのは、よほどでない限り外部からは責めにくいような気がする。特に前向きな行動の中での怪我の場合。
しかし、野口選手の場合は直前いきなり肉離れで補欠も間に合わなかったかもしれないが、土佐選手の場合は持病だというのだから、再発の可能性はあったはず。それに備えていなかったのは陸連はリスク管理上甘いと言わざるを得ない。
本人はラスト・ランを決めていたようなので、納得のいく最後 という気持ちや支援してもらった人への恩返しなどと言った気持ちを否定する気はないが、本人の納得感だけでオリンピックの出場を決めていいのかという非常に難しい問題にぶつかる。強化費用などは各競技の協会や一部国の支援もある。したがって、本人の意思だけでも通らないところもある(談話などから「野口選手の分まで」、と言うことはなかったようだ)。
ベストの状態で戦う、というのと、ぼろぼろになっても戦うという哲学の違いもあるかもしれない。個人の競技であると同時に国民的な支援(金銭だったり、気持ちだったり)を受けて成立する競技である、と言う前提に立った準備をして欲しい(これは今回無様なバレーボール男子や野球、柔道男子にも当てはまる)。
個人の才能と努力がなければ何も始まらないが、選手も協会もマスコミも透明性のある状況を正確に伝えることも重要ではないか。
とりあえず、土佐選手はこれで納得がいったのなら、お疲れさんと言ってあげるしかない。もし仮に納得できなかったら、出場しても辞退しても納得できなかったことになり、苦しむことになってしまう。気持ちの整理には時間がかかるかもしれないが乗り越えるしかないという困難なことになってしまう。普通に考えればオリンピックで5位、世界選手権で銅メダルだから立派なマラソン人生だと思えるが・・・。
中村選手が13位と前回アテネの全員入賞+金メダルから天と地の差が出てしまった。中村選手は持ち前のふてぶてしさはオリンピックの重圧に消されてしまい、勝負できなかった。しかし、彼女はまあ、順当な結果だったのかもしれない。
土佐選手の怪我が足そのものだったので比較対象にならないが、3月の名古屋国際の高橋尚子選手、ロス五輪の瀬古利彦選手あたりもコンディション不良がレース後発覚したが、完走していた(ちなみに瀬古選手はソウル五輪の選考会だったが「足が痛いから」と言う理由でやはり無理しなかった。しかしこれは大いに物議を醸し出した)。
また、バルセロナ五輪の谷口浩美選手は給水所で後ろのランナーに突き飛ばされて転倒した。一気に先頭集団から脱落したがその後奮起して8位入賞を果たした。
そういう例もあるので、完走ぐらいできるのではという気持ちがあったかもしれないが、いまさらながら彼らが偉大だったのかもしれない。マラソン競技はベストでないとまず勝負が出来ない過酷な競技であることは今回さらに証明された。