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カテゴリ:思い出話
権造の日本での生活と言うものは高校卒業後半年くらいで終わっている。
なので日本に帰ると会いたいなぁ~~と思うのはここ何年かで某所を通して知り合った友の数々以外は高校生のときの友人知人となる。 高校生の頃に一番仲が良かった友人は現在世界を放浪中で、以前も日記に書いたんだが、マイアミを襲撃後現在メキシコにアパートを借りて居座っている。スペイン語を勉強中でこの後南米に移動するらしい。 この友人とずっとつるんで居たんだが、悪行の傍ら部活に励んだのか、部活の傍ら悪行に励んだのか、と言う位、高校時代は部活にハマっていた。 それぞれにチャラチャラと中学時代を過ごしたので高校生になったんだから、今までと全く違うことしてみよう、と入学してすぐに各部活を見学。1年生の教室まで2年3年が押し寄せてきて部活の勧誘もされたんだが、最終的に2人で決定したのが剣道部。 コレが思いっきり高校生活の中心になった。 入部テストってのが今思うと笑っちゃうんだが、かなーり広い運動場の端っこにある武道館に先輩達が居て、その広い運動場の反対側に入部希望者達が並ばされる。で、放課後他のクラブ活動が行われてる中、1人ずつ順番に自分の苗字を腹の底から声を絞り出して叫んで先輩達に声が届いたら赤旗、届かなかったら白旗、というものであった。 あ、今思い出してみたら、ありゃー入部テストじゃなかったな。とにかく赤旗が上がるのが見えるまでひたすら叫び続けるってものだった。 1年生の夏休み。初の合宿である。 以前某所にも書いたんだが、この合宿では権造は人生初の骨折を経験した。 午前中のトレーニングで腕立てだかなんだったかをしてたときに、ゴキっとかウニュっとかとにかく痛みを伴う妙な音がしたんだが、なんてったって部活の華、合宿である。体育会系ど真ん中の傷み感じないモード絶好調だったゆえに、そのまま気にせず午後の練習続行。一升瓶砂入り千本素振りはさすがに痛みで振ることが出きず、砂抜き一升瓶で千本素振り。夕方になり練習が終わる頃にはいきなり気が緩んできてズキズキと痛み出した。 練習後はみんなで仲良くローカル電車に乗って銭湯へ。 キャーキャーワーワーと風呂に入ってたんだが、シャンプーしようにも腕が痛くて肩から上には全くあがらない。アツーいお湯に浸かったせいもあり、左腕はボンボンに腫上がっている。さすがに自称痛みに強い(鈍感)な権造も痛くてどうしようもなくなり、風呂上りのマミー一気飲みの後、OBの大先輩に見せると、『アカン、コレは折れとる。』と即答。 ひぃぃぃ~~と一気に青ざめる権造を車に乗せてOBの先輩は救急に連れて行ってくれた。 レントゲンを撮ってみたら、、。腕の骨の細いほうがボキっと見事にへし折れて更にはズレてとんでもないことになっていた。『疲労骨折』、すなわちチョッとアンタ、腕のキャパ以上に使いすぎですよ、って事であった。 『コラあきませんなぁ。』という救急病棟24時先生に一言いわれ、伸ばすために腕をイーーーーーーデデデと錘を付けて放置され、その後ギプスでコッチコチに固められた。 権造は入部して以来、2年上の先輩にどーーーしようも無いくらい惚れ込んでいて合宿は言わばいいトコ見せてアピールする絶好の機会であったのだ。思いっきりフシダラな下心も半分あったこの合宿デビューは初日にあっさり崩れ去り、不自由な片手でその後はバッタバタと気を失って倒れてゆく同期の友を半分羨ましく介抱した。この体育会系思考回路と言うのは非常に不思議なものであり、水をぶっ掛けたりウチワで扇いだりしながら、『いいよなぁ~~、こうやってぶっ倒れる事が出来ていいよなぁ~~。権造もアレェ~~~って見事にぶっ倒れてみたいよなぁ~~。』と、悔しくて悔しくて涙が出そうになったものだ。もしかしたらフシダラでヨコシマな下心により先輩にゴンゾウっ!大丈夫かっ!と介抱される妄想でも暑さにボーーーっとした頭でしてたのかもしれない。 念願かなって翌年2年の夏の合宿には貧血起こしてアレェ~~~ってぶっ倒れる事が出来たんだが、そのときすでに先輩は卒業後。。。。同期の男共に両手両足つかまれて隣接する柔道部の畳スペースにズルズルと引きずられてハイおしまい。 まー、いいんだが。だってその時にはその先輩と付き合っていたのだから。グフフ。 あれだけ、1年間追い掛け回したら普通のオトコなら人生諦めてくれるであろう、と言うほど校内限定で正統派ストーキングしたのだ。 ちなみに正統派ストーキングとは、壁からじっと覗いたりとか執拗に後をドロドロ追い掛け回したり、というようなネガティブなものではない。 朝ほとんど時間ギリギリにケッタ通学(=チャリ通学)してくる先輩が丁度権造の教室の外を走って自分の教室に向かうので、毎日毎日『あーーセンパイやっ!!』と大騒ぎしながら見ていたり、バレンタインには最も苦手とする菓子作りと格闘しチョコを渡したり、剣道やってる人というのは椎間板ヘルニアになる人が多いので、腰が冷えたらイカンと受験前の先輩に剣道部内の定番であった腹巻編んでプレゼントしたり。 先輩の卒業式なんてのは、涙涙涙涙涙であった。 もーーーー定番すぎるんだが(ってか今でもそんな風習は残ってるんだろうか、とふと思う)、第2ボタンがどうしても欲しく、卒業証書を持って歩いてくる先輩を恒例の校内ストーキングで待ち伏せし、『第2ボタンください。』と、断ったらヤバイぜよオーラ全開にお願いし、ブチっとちぎって権造の手に乗せてもらい、ああコレで権造の高校生活は終わってしまったようなもんだと友人の前で号泣した。 まー、いいんだが。だってその後その先輩と付き合うことになるんだから。グフフ。 えー。剣道の話から激しくズレてしまったようである。 今からは信じられないような、可愛いよなオレと自分でも思うような高校生時代であった。 そして話を戻すとして。 冬の部活の華の部としては寒稽古と言うものがある。 朝授業前に練習するわけだから乗る電車は始発。 ガタガタ震えながら悪意としか思えない心臓破りの階段を登り校内に辿り着いた後、部室で道着に着替える。不思議とこの道着に着替えると言う行動が一般脳から体育会系脳へと脳がつかさどる感覚をチェンジするのに非常に重要な行動であるようだ。 先輩のようにケッタ通学していた現在世界放浪中の友人は副キャプテンであり学校周辺の土地勘があるので、この友人のナビでクソ寒い中を『ファイトファイトファイトー、ファイトー、オー!!』とか叫びながら何キロも走ってみたり、雪の中を裸足で走ってみたり。すでに体育会系脳にチェンジされてるので不思議と走ってる最中は足には冷たさを感じないんだが、あったりまえの話、雪ん中を裸足で走っちゃったりするものだから、霜焼けになったりする。寒稽古終了後、授業に向かうんだが始発で来ているので授業中は睡魔と闘う事になる。 権造にしても友人にしても教室内窓側最後尾指定席的なポジションだったので普段はややクール寄りのスタンスを保っていたのだが、この襲ってくる睡魔には勝てずに『アイハフツーゴー』とかへったくそな発音の英語のセンセの授業を受けながら机に突っ伏すことになる。 爆睡というよりは気を失うという感じで、教室内窓側最後尾指定席組にはあるまじき行為であるが、結果制服のスカートなんかにダラ~~~リとヨダレが落下するという事態が多発。権造的には作造にウ○コしてるのが見つかってしまったのと同じレベルに等しい事態である。 隣に座っていたとってもおとなしいが心優しき男子生徒が『権造さん、起きて。ヨダレ出てるで。起きて~。みんなに見られるで~~~。』と小声で起こしてくれるのがこの寒稽古中の日課となった。 卒業して渡米してからも最初の数年は必ず夏に帰ると今度はOBとして合宿見物に行ったりしてたんだが。 仕事をするようになってからはゴールデンウィーク辺りに帰国する習慣になり、今はチビの学校の都合でやはりこの時期には帰れない。 久々に行ってみたいよな~と今この日記を書いていてすごく思った。 なんで急に高校時代をこれほど思い出しているかと言うと、今日のネットのニュースに必ず出てくるコレである。 『阪神呪いのカーネル人形救出』 お!!!今タイトルチェックに画面を戻ったら『カーネル人形の下半身発見』!!!! 懐かしいよな。阪神優勝の年。 カーネルが胴上げされてた映像はよく覚えている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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