My Friends Forever!- あっ!トロント → LIFE
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「運命というのはね、あるのよ。私達の人生はね。最初からほとんど決まっていたのよ。」or 「運命は努力によって変えられる。ここ一歩で負ける運命を、努力して勝てる運命に変えていこう。」 この対極した言葉のどちらを信じればいいのか。運命がもし最初からほとんど決まっていたとしたら、出会いも別れもなるべくしてなるもの…そうは思いたくないのが本心です。 僕の今までの(これからの)人生、はじめから決められていてなるべくしてなるのならば、それほど惨いことはないと思います。運命はやはり自分次第で変えられるものだと思います(そう思いたい)人生の歯車はちょっとした出来事で180度変わると思います。そのようにして僕も生きてきたように思います。今までのどんなちょっとしたことでも起こらなかったら今の僕の人生は違う方向に行っていたのでしょう。昔は「ああしとけば良かった」と後悔の連続でした。これからの人生はこのような後悔がない選択をして切り開きたいと思います。やろうか、やらまいか悩んで結局やらないで後悔することがよくあります。どうせ駄目で後悔するとしても、何もやらないで後悔するよりはいいと思います。このようなことを書く時は決まって一人で飲んでます。別に公共の場でこのような事を書く必要もないのですが、何年か先笑って読めるようにここに書き留めるのもありかなと思い素直に書いてます。『日記を書くことはその人の治療上の進歩の記録になる。日記は、時間が経過するに従い傷は癒え、環境は変化するのだという証拠文書と確信を、何ヶ月も何年も経ったあとに与えてくれるのである。』(キャスリン・アダムス)『あの時こうしてたらって思うよりこれでよかったって思おうよ。いま生きているんだから。あの時こうしてたらって思うよりいま出来ることを考えようよ。チャンスはあるんだから。』(投稿)
2006年04月07日
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僕の横には席が一つ空いてました(向かい側にも一つ空いてました) 親子連れがきてお母さんが娘を僕の横の席に座らせようとしましたが、その子はお母さんといっしょに座りたいらしく拒んでました。たまたま僕はそのような雰囲気を感じたので向かい側の席に移りました。僕が席を移った後お母さんが何度も頭を下げてお礼をいってくれました。音楽を聴きながらたまにその親子を見ていたら、仲良さそうに終始笑顔で楽しそうに話しをしていました。僕が目的の駅に着いて降りようとしたら、席を譲った女の子が近づいてきて「ありがとう!」とわざわざ言いに着てくれました。笑顔を返すしか出来ませんでしたが、女の子は嬉しそうにお母さんと手を繋なぎなおしていました。あたり前のことをしたのですが、「ありがとう!」って言ってもらえてその日はなんだか気分が良かったです。お母さんといっしょに座れた女の子の嬉しそうな顔を思い出す度に僕もニヤケてしまいました。笑 「ありがとう!」って素晴らしい言葉だと思います。
2006年04月06日
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『なにをそんなに 急ぐのですかなんでそんなにあせるのですか少しの間 落ち着いてまわりをぐるっと見てごらんあなたただけでは ないでしょうあなただけでは ないんだよどの家も どの子も 皆大変でそれでも顔には表さず一生懸命やってるんだよ自分だけが大変だなんてそんなエゴなこと考えないであなたよりも幸せな人がいればあなたよりもつらい思いをしている人もいる今元気な人だってつらい時があったんだから上を見れば見るほど悲しくなることもあるけれど今生きていて笑うことができるそれだけでしあわせじゃないなんで私だけが なんて考えないで人と比べて落ち込まないでゆっくり のんびり 気長につきあっていけばいいじゃない』(「電池が切れるまで」上原久美子)
2006年04月05日
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『あなたが幸せだなぁと思っている時はきっと世界のどこかで自分は不幸だなぁと思っている人が必ずいる。だから、あなたが不幸だと思っている時は世界のどこかで誰かが必ず幸せだなぁと思っています。だから、幸せは永遠のリレーなんだ。』(引用元不明)
2006年04月04日
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『どうして本当に欲しいものは いつも目の前を通り過ぎてゆくのだろう「いてほしい」と望めば放れてゆき嫌だと思っても繰り返されるいつも期待は裏切られ幸運は長く続かなく人生はいつも思いどおりにならないそれでも幸運が不運に変わることがあるのなら不運が幸運に変わることもあるのだろうそう信じて生きてゆく』(「僕等がいた」)
2006年04月03日
『私にとって、子どもの過去なんてどうでもいい。今もどうでもいい。大事なのは、時間がかかってもいいから、誰かの助けを借りてもいいから、自分自身の意思と力で、幸せな未来を作っていること。そのためには、とにかく生きてくれさえすればいい。生きれば生きるほど、子どもたちは誰かと出会いながら、どんどん学んでくれるはずだから。』(夜回り先生、水谷修)
2006年04月02日
『気持ちや行動を変えてみる。その結果がでてくるのは、すこし、あとになってから。結果がすぐにでないと不安になる。待っているあいだ気持ちがゆれる。うまくいってない気がしてしまう。だけど、結果がすぐにわからなくても変えようと決めたときからすべてのことは変わり始めている。だから、あとは、変えようと思ったことをやりはじめたことをそのまま、つづければいいだけ。結果は、あとから、ついてくる。できることは、つづけていくこと。すぐにやめてしまわないこと。』(「決めたときから」廣瀬裕子)
2006年04月01日
色々なことがあり、色々なことを学んだ2ヶ月間でした。子供たちに対しての思いは何回か日記で書いてきたので今更書きません。でも正直子供達が僕のことをどのように思って2ヶ月過ごしたのかは正直不安でした。ただの遊びの先生、体育の先生(体育館の担当だったので)、優しいだけの人、そのようなことしか思っていないのでは…。でも大きな事件もなく無事臨時職員の任務を完了することが出来ました。職員の先生にも挨拶をして帰ろうとしたら思わぬプレゼントを頂きました。それは子供達が僕のために書いてくれた色紙です(ある先生が僕に見つからないように子供達に書いてもらってたそうです)そこに答えが書いていました、嬉しい答えが(それを読んだとき嬉しくて泣きそうになりました)本当に成長出来た(学んだ)2ヶ月間でした、みんなありがとう。*「GBどっか行っても頑張ってね。」*「いつまでもみんなのこと忘れないで。」*「GB先生いつも遊んでくれてありがとう。」*「今までありがとう。また遊びたい、遊ぼ。」*「GB先生、今までいっしょに遊んでくれてありがとう。」*「GB先生バイバイ。」*「今までありがとう。2ヶ月しかいなかったけど楽しかったよ。バイバイ、じゃあね。」*「GB先生へ サッカー選手になるよ。今までありがとう。」*「GB先生へ クラブを去ってもみんなのこと忘れないでね。」*「たった2ヶ月しかいられないの>.<違う学童でも頑張って。」*「2ヶ月ありがとうございました。学童をやめても遊びに来てください。」*「どうもありがとう。」*「今までいっしょに遊んでくれてありがとうございます。これからも元気で。」*「GB,今までありがとうネ!」*「GBバイバイ!」*「サッカーしてくれてありがとう。」*「GB先生へ(ヒゲ先生へ)たった2ヶ月だったけど楽しかったよ。ヒゲってあだ名をつけたのは遅かったけど、少しの間ヒゲ先生って呼べて良かったよ。また遊びに来てね!」『やってみせ,言ってきかせて,させてみせ,ほめてやらねば,人は動かじ。』(山本五十六)『子ども時代の精一杯って、「よく遊び、よく学べ」でいいんじゃないかなぁ。』(投稿)『子どもは一人一人違うのだということを頭に入れて、あわてないで信用し、子どもに何んでもさせる。失敗は多いほどいいのだから、失敗しても決して叱からない。「やる気を育てる」にはこれ以外の方法はない。』(吉岡たすく)『一般的に、即席の満足を与えていると、子供は弱い人間になってしまいます。』(ジョー・J・クリステンセン)『子どもを育てるとともに、自分たちみずからを進歩させないならば、親は子どもをりっぱに育てることができない。』(アラン)
2006年03月31日
はやいものです、2ヶ月勤めた児童館での臨時職員の仕事も明日で終了です。はじめてこの場に来た日は雪が積もった冬のことでした。それが今では周りを見渡すと桜が満開です。水仙やホトケノザ、オオイヌノフグリなどの花も春の訪れを教えてくれてます。たった2ヶ月の中でもいろいろな葛藤がありました。勤めたからこそ知った児童館、学童の現状もたくさんありました(それだけでもここで勤めたことに意味はあります)比べるのが目的ではありませんが、いかに自分の少年時代(環境)が恵まれていたかも改めて知ることが出来ました。幼児教育とはまた違う醍醐味も感じました。小学生、中学生といっしょんに遊んだり話したりすることで吸収することも数知れずありました。彼らの置かれている立場や、いかに大人を信用していないか、また愛情に植えているのか、そして(学校、家ではいい子ちゃんをして)児童館で素を出す子供たちを知りました。彼らにとってはストレスの発散の場所なのだと思います(そのような場を持つだけでも彼らは恵まれているのかもしれません)サッカー、ドッジボール、野球、卓球、バドミントン、鬼ごっこ、氷鬼、線鬼、ドンジャンケン、縄跳び、UNO、話し合いを通じて子供たちと日々距離を縮めることが出来ました。仲良くなったときに別れは訪れます。彼らの成長を楽しみにしながら,見届けることが出来ない悲しい現状ですが、彼らなら大きく伸び伸び成長してくれると思います…などとまとめるにはまだ早すぎます。明日が一先ず最終日です。思い出を振り返るのは明日にしようと思います。
2006年03月30日
『「人は、なぜ生きていけるか知っているか」と、昔、父に聞かれたことがある。幼い僕は、食べるからとか、心臓が動いているからとか、そんなことを答えた気がする。父は笑って、「違う違う。誰かに必要とされているから、人は生きていけるんだ」と言った。(ドラマ「今夜ひとりのベッドで」)
2006年03月29日
『深刻になりすぎると、見えるものも見えなくなってしまいます。そんなときは考えるのを止め、心が落ち着くのを待ちましょう。そうすると見えなかったものがちゃんと見えてきます。不安になったり、憂鬱や心配事で頭がいっぱいになったら、しばらく自然に接してみましょう。自然に接していれば心が癒され、本来の自分のリズムに戻ることができます。』(アン・ウイルソン・シェイフ)
2006年03月28日
『あの時こうしてたらって思うよりこれでよかったって思おうよ。いま生きているんだから。あの時こうしてたらって思うよりいま出来ることを考えようよ。チャンスはあるんだから。』(投稿)
2006年03月27日
「先生遊ぼっ!」「サッカーしよっ!」小学4年生のたっちゃんはすごく元気一杯のサッカー小僧です。よくいっしょにサッカーをします。彼は土、日曜日の開館時間には一番に遊びに来ます。休日の朝はさすがに子供の数は少なく、いつもは込み合う体育館もガランとしているので、僕はたっちゃんとよくサッカーをします。PK合戦などをよくするのですが、彼は好きなサッカー選手の名前を言いながらシュートをしてきます。そして決めた時には本当に嬉しそうにガッツポーズをします。そして彼の素晴らしい所は負けたら素直に負けを認めるとこです(もちろんその後は勝つまで勝負を挑んできます。笑)「たっちゃん、たっちゃん」と彼を慕っている同学年、低学年の子は結構います。そんな彼も僕と二人の時は甘えてきます。4年生ですがたまに抱きついてきたりもします。他の先生から聞きました、彼は母子家庭なのだと。
2006年03月26日
『寝る間も惜しむほど働く、働きづめのビジネスマンがいた。彼は、久しぶりに、数日間の休みが取れたので、南の島にバカンスに出かけた。しかし、ビーチでのんびり寝そべっていても、まったく、くつろげない。仕事一筋で生きてきた彼は、こうして休んでいることが、無駄な時間を過ごしているように思えてきてしまうのだ。島の住民たちを見ていると、ほとんど働く様子もなく、毎日毎日、ビーチで砂遊びをしていたり、海で泳いでいたりしている。彼は、次第にいらだちを募らせた。「奴らは、なんて、怠け者なんだ。 遊んでばかりいるから、貧しい暮らししかできないのだ。」彼はいたたまれなくなって、島の住民に声をかけた。「君たちはなぜ働こうとしないんだ」住民の一人が、首をかしげながら答えた。「働けば何かいいことがあるのか?」「お金が稼げるじゃないか。」「お金で、何かいいことがあるのか?」彼は、あきれ顔で言い放った。「お金があれば、私のようにこうして、南の島で、バカンスを楽しむこと だってできるじゃないか!」』
2006年03月25日
『もし今日の自分が明日の自分と同じであるならば、今日の自分は昨日の自分の奴隷にすぎない。人間の特質はそうではなくて、日々新しく創造的にきのうの自分を乗り越える、そこに人間の本質がある。』(コンドルセ)
2006年03月24日
『過去の自分は今の自分を知っていたか?過去の自分は今の自分を予知できたか?そんなコトできるワケがない。過去の自分から見れば今の自分は”ありえない”コトをしている。だからきっと、未来の自分は”ありえない”コトをしているだろう。未来が予知できるのは、ダヴィンチくらいで十分だ。』(投稿)
2006年03月23日
『人間は、どんな小さなことから運が開け、どんな短い出会いから、新しい道が見つかるかわかりません。そして、だれの一生にも、さまざまな偶然や出会いが重なり合う「時」があるのだと思います。』(「愛することも学ぶことも」秋山さと子)
2006年03月22日
『幸せだけとか、不幸だけに運命づけられている人間など誰一人としていない。人生の車輪は、向きを変えながら、ガタゴト行くのだ。』"Nobody is destined only to happiness or to pain.The wheel of life takes one up and down by turn."(カリダーサ)
2006年03月21日
『ジェットコースターに乗ってる時、勇気がいると思うかい?俺は、そうは思わない。乗るか乗らないか、決めてる時の方がよっぽど勇気いるもんだぜ。』(引用元不明)
2006年03月20日
『私たちは迷いながら自分の道を歩き続けています。それを「生きる」といいます。迷いは欲望と執着から生まれるのです。迷うことが生きる証ならば、その迷いの中に、本当に求めているものがあるのです。何をもって探すのか?それは迷いの中から「選択」することです。選択は、そこから何かを選ぶことではなく、選択は、そこから何かを捨てることです。捨てる中で、本当に自身が求めていたものが見えてくるのです。今の生き方が幸せに続く道なのか、そうでないのか…。』 (大原敬子)
2006年03月19日
『キレイな色を作ろうと思っていろんな色を混ぜてくと、だんだん汚い色になってくる。本当は原色のままが一番キレイなのに。』(引用元不明)
2006年03月18日
『嫉妬レースに、時間のムダ遣いするな。たしかに、時々はトップになれる、でも時々はビリになる。レースは長いし、ゴールまで、あなた自身とのレースなのよ。』"Don’t waste your time on jealousy.Sometimes you’re ahead,sometimes you’re behind.The race is long and,in the end,it’s only with yourself."(マリー・シュミヒ)
2006年03月17日
「はぁー?うるせぇーよ。黙れっ。」...この子と知り合った時呆れたし、悲しく思いました。小学生3年生のこの子はいつも下の学年の子を自分の意のままに扱っていました、昔で言うガキ大将です。低学年の子は誰一人として彼には逆らわないし、言われたままに事をする。注意も何度もしましたが、いつも上のような汚い言葉を使ってつっかかってきました。ひどい時は、ただすれ違っただけでケンカ腰で挑発してきました。(でも彼は言うだけいって、こっちが本気で怒る態度をするそっぽを向いて走って逃げるのですが。笑)でもここ2,3日で彼の僕に対する態度がほんとに急に変わりました。そのキッカケが野球でした。僕が野球をしていることを知ると急に態度や言動が丸くなったのです。始めは野球の質問を色々としてきました。それを全部答えると今度は「いっしょにやって。」と言ってきました。そこでちゃんとしたプレーをみしてやると彼は急に変わりました。まずは「おいっ。」って呼んでたのが「先生!」に変わりました。児童館に来て「おいっ。GB野球しようぜ。」とタメ口で誘うようになりました。その時「人に何か頼む時はちゃんとした言葉使いじゃないとなぁ。」と言うと「じゃあ(仕方なく)、先生やってくださいぃー(イヤミっぽく)」と頼めるようになりました。そして何度も「GB先生いっしょ野球しよっ!」と誘ってくれるようになりました。友達のピッチャーがストライクが入らない時は僕に投げてと頼むようにもなりました。今日は彼が投げてはならない物を(硬い物)壁に向かって投げていたから「それは壁を傷めるし、友達にあたったら危ないから投げないでね。投げるならボールを投げな!」と注意したら、5秒ほど動きが止まりました。注意されることを極端に嫌う彼なので(どの先生に対しても同じ態度をとります)突っ掛かってくると思いましたが、「おっしゃーみんな野球しようぜ。」といって言うことを聞いてくれました。素直に嬉しかったです。野球をとおして距離が縮まったのがさらに嬉しかったです。そういえば彼は学校から児童館に帰ってくるといつも仲間を従えて野球をしていました。しかも始めはみんなを整列させてから始めるのです。そしてプレー中もみんなに掛け声をかけさすのです。「よろしくお願いします。」「ピッチャービビッてるー!」「○○ヒット一発!」「さぁーこい!」など常に自分も声を出していました。自分のチームが攻撃の時は低学年の子といっしょに応援歌を歌うのが特に可愛いです。確かに口は悪いのですが(「お前下手だからあっちのチーム!」「おめぇー何やってんだよ。最後まで走れ馬鹿っ。」「ふざけんなぁ。セーフだろ、バ馬鹿っ。」など。)いっしょに野球をしていて『彼は本当に野球が大好き。』だと感じました。ちなみに彼はリトルリーグでピッチャーをしてるそうです。土曜日が試合だそうです、晴れることを願ってます。子供と(大人もですが)コミュニケーションをとる時は、何か一つでも彼・彼女の好きな物、得意なこと、興味があることを見抜いてやることが大切だと再確認しました。「うるせぇ。馬鹿っ。死ねっ。」と言う言葉を浴びせてきた子供が、ある一つの切っ掛けで180度変わった現実を見て、子供への教育に対しての希望が沸きました。『Children Learn What They Live』 ドロシー・ロー・ノルト子供たちはこうして生き方を学びます批判ばかり受けて育った子は 非難ばかりしますひやかしを受けて育った子は はにかみ屋になります心が寛大な人の中で育った子は がまん強くなります敵意にみちた中で育った子は だれとでも戦いますねたみを受けて育った子は いつも悪い事をしているような気持ちになりますほめられる中で育った子は いつも感謝することを知ります思いやりのある中で育った子は 信仰心を持ちます仲間の愛の中で育った子は 世界に愛を見つけますはげましを受けて育った子は 自信を持ちます公明正大な中で育った子は 正義心を持ちます人に認めてもらえる中で育った子は 自分を大事にします
2006年03月16日
『「負けました」といって頭を下げるのが正しい投了の仕方。つらい瞬間です。でも「負けました」とはっきり言える人はプロでも強くなる。これをいいかげんにしている人は上にいけません。』(谷川浩司)
2006年03月15日
『おそらく、多くの人々は、人生の価値を生活の安定に求めているのだろう。「先が見えない不安」とは、人々の口癖である。そんなのは今に始まったことではない。人は、生まれた限り、死ぬものであり、その間にいろんな目に遭う。それが人生というものである。そうでしょう?』(「41歳からの哲学」池田晶子)
2006年03月14日
最近読んだ本にこんなことが書いていました。『「てめー」とか「死んじまえ」とか「バカヤロー」、「クソッタレー」とか、そういう汚い言葉を平気で使う人というのはね、そういう人生を歩むのよ。だからきれいな言葉を使いなさい。』『絶対に人の悪口を言っちゃダメよ、絶対ダメ。それに、人を怒ってもツキは逃げて行っちゃうわ。怒れば怒るほど、あなたがせっかく積み重ねたツキがどんどんなくなっていくのよ。だからネガティブな言葉は使っちゃあダメ。分かった?どんな言葉にもね、魂があるの。本当よ。だから、ねっ。きれいな言葉だけ使いましょ。』言霊(ことだま)=言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた。言葉って素晴らしい道具であるけども、それだけに怖いものでもあると思います。心無い一言で多いに人を傷つけることがあります。肉体に対する暴力は時が経つと治ることが多いですが、心に受けた言葉の暴力は一生消えない場合が多いです(もちろん両方の暴力も決してしてはいけないことですが、比較した場合言葉の暴力=精神への暴力の方がより傷つけると思います)今の子供はどうやら自分の思っていることを言葉で上手く表現することが出来ないようです。だからまず手がでるそうです。例えば、子供とサッカーをしていて僕がゴールを決めた時、子供は「ムカツク」と言います。この場合は「ムカツク」ではなく「悔しい」だと思います。言葉を間違って使っている子がたくさんいます。なるべく直すようにしていますが、これらはやはり一番身近にいる両親が教えるべきではないでしょうか?僕が子供の頃、よく言葉使いで両親に注意されました。例えば挨拶することや、いただきます、ご馳走様、ありがとう、さようなら...など。その当時は「いちいちうるさいなぁ。」と思っていましたが、今当たり前のように言えるのは子供の頃に習慣ついていたからだと思います。何か親切してもらったら「ありがとう」というのが当たり前という教育を受けていたから言えるのだと思います。子供の頃は口うるさくてウンザリする両親の言葉=教育=シツケのありがたさがようやくわかる年になりました。両親は僕ら肉親には言葉使いや行動に注意をしますが、他の子には(そこまで)注意などはしません。当たり前のことですが、自分の子供だから注意をするのでしょう、つまり子供のことを考えているから注意してくれるのです。僕の今までの人生において、両親の他にも何人か注意などをしてくれた先生や先輩、友達などがいました。その人が注意してくれたのは、やはり僕のことを思ってだと思います(恥ずかしながら、青二才の僕は注意してくれた人にカッとなって言いあったこともあります。)もし、僕が子供たちのことを本当に考えているのなら、(今は注意して嫌われても)彼らが悪いこと、相応しくない言葉使いをした時は、ちゃんと注意してあげるべきなのだと思います。それは子供だけに対してではなく、本当に大切な人にも、嫌われる覚悟で言うべき時は言わないといけないと思います。誠意を持って言えば理解してくれると思います。僕はタバコを吸う人はあまり好きではありません。もちろん吸うにとってはストレス発散の手段の一つともわかっているので何も言いません。でも彼女に対しては吸わないように言います。「キスがタバコ臭かったら嫌じゃん!」という風に冗談めいて言ったりしますが(あまり挑発的=強い言い方で言われると人は聞きたくならないものなので)、本心はやはり大切な人の体を気遣ったらやめてほしいと思うものです。明日からは勇気を持って、子供のことを考える気持ちを持って、また違う接し方をしていこうと思います。
2006年03月13日
『心がちゃんと温もりを感じているときは、占いなんて信じない。噂なんて信じない。どーでも良いことは気にしない。心理テストなんてやらない。だけど、心が温もりを求めて寂しいときは、占いに傷つき、噂に流され、どーでも良いことがどーでもよくなくなり、心理テストで自分を試したくなるんだ。』(引用元不明)
2006年03月12日
『人間は、何のために生きるのかって考えてみると、苦難を乗り越えていくために生きるんだと思う。何もしないで、生きて行こうなんて生き方はダメよ。』(「魂のことば」フジコ・へミング)
2006年03月11日
『どうして本当に欲しいものは いつも目の前を通り過ぎてゆくのだろう「いてほしい」と望めば放れてゆき嫌だと思っても繰り返されるいつも期待は裏切られ幸運は長く続かなく人生はいつも思いどおりにならないそれでも幸運が不運に変わることがあるのなら不運が幸運に変わることもあるのだろうそう信じて生きてゆく』(漫画「僕等がいた」)
2006年03月10日
『ほんとうに幸せなのは、どんなに苦しくても、どんなに辛くても、よし、僕にはやれる、私ならできる、絶対負けない! そう思えることだ。なんとかなるさ、じゃなくて、なんとかしよう、ぜったいなんとかしてみせる、そう思うこと。大丈夫、失敗したって、きっと君はそのぶん優しくなれる。僕はそう信じている。ここに一本の道がある。この道こそ、君が選び、愛した道だ。君がこの道を進む時、君に笑顔がやってくる。そんな君が僕は好きだし、そんな君でいてほしい。』(投稿)
2006年03月09日
『人が何かを始める時、かならず戸惑いがある。初めての教室に入る時、初めて車で道に出る時、初めてバイトをする時、初めて誰かに好きだという時。人生の中に「初めて」は、たくさんある。人には「たかが、そんな事で」と言われる「初めて」もあるでしょう。でも忘れないで小さな「初めて」を乗り越える事に、あなたは成長している事を』(引用元不明)
2006年03月08日
『恨み、憎しみ、低俗な思いが心に浮かび、心がハイジャックされそうになったら、もっと面白いこと、熱中できること、楽しいことを探したらいい。お金は少しくらいかかってもいい。罪を犯したり、ムダな時間が増えるよりもましだから…そもそも、私たちには、ひらめきや思いつきが多いから、そんな方法を準備しておかなければ、自分の人生の時間をムダ遣いする心の中の悪魔を防ぎようがない。』(投稿)
2006年03月07日
自分の一番やりたいことは何だっただろう?スポーツ選手、芸術関係、先生...子供の頃は夢は無限大でした。何でも叶うとも思っていました。でも大人に近づくにつれて現実というもの、何かを求めるならば何かを犠牲(諦める)にしなければいけないことに気づき始めました。物を作ることは得意だし大好きでした(絵を描いたり、彫刻刀を使った作品を作ったり)でも「上手い人はいくらでもいる。上手さ+運もなければやっていけない。」という現実的な考えのうえ諦めました(趣味にしました)そして進路として決めたのは第2希望の子供関係=幼児教育でした。ただ純粋に「子供が大好き」、そしてその時期にやりたいことはそれしかなかったというのが理由です。保育のシステムが進んでいるカナダで(苦手な英語を克服しながら)幼児教育を学ぶために大学で勉強しました。この時に「もう幼児教育の仕事をして生活していく(いかねば)」と決めつけていました。日本に帰国してからの就職活動では日本で生活することの現実をまざまざと知らされました(日本では日本での資格しか使えないこと)それでも諦め切れなくて(カナダで苦労して資格をとったので)、あくまで幼児教育の職を探し、面接を受け続けました。話し合いの時は面接官も興味を持って話し合いも盛り上がるのですが、いつも決まって最後に聞かれる言葉「ところで日本の資格は持ってるの?...そうかぁやはり日本の資格がないと無理だね。」そしてようやく決まった会社でもトラブルがありました。その会社は教育という名を語るだけでお金儲けしか考えてない裏事情を知り、泣く泣くやめました。http://plaza.rakuten.co.jp/goodbasis/3009そして今、児童館で臨時職員として働いていますが、また色々考えることが出てきてます。そして自分に問いかけていることは「自分が今一番したいことは何なのか?」です(もちろん将来のことも含めてです。でも将来のことを考えすぎるのもやめにしました。だって僕が生きているのは現在(いま)なので)今のところ僕がカナダで学んだこと表立っては大きくは生かしきれていないと思いますが、絶対無駄ではなかったと確信してます。幼児教育という枠だけにとらわれずにもっと広い視野を持って、自分の行動に自信を持って進んで行こうと思います。その過程の中で必ずカナダでの経験が生かされる時が来ると思ってます。『やらずに悔やむよりも、やって悔やむ』この言葉を肝に銘じてこれからのことを考えたいと思ってます。今は児童館の職員という与えられた仕事をこなすのが社会人としての責任だと思います。
2006年03月06日
『まだ起きてもいない事柄のために、マイナスの思考をするのは完全に間違っています。原因なくして 何ごとも起きませんが、その原因は突然予期せぬ方向からやってくるのではなく、人間の心が造り出したものにほかなりません。…あなたが解決を望み、その実現を心から信じるとき、潜在意識は思いもかけない方法論で答えを与えてくれるのです。悩んだり、不安になったりしているときには、どうしても考え方が消極的になってしまうものですが、努めて積極的になることによって悩みの解決方法が見えてきます。自分のうちなる潜在意識の力を信じ、不安を捨て去ることによってすばらしい現実が起こります。すべてはあなたの心にかかっているのです。不安はいつも正当の理由があるように見えるものです。しかし、同じように安心にも正当な理由があるのです。不安のほうが勝って見えるのは、単にこれまでの習慣にすぎません。』『マーフィー愛の名言集』より
2006年03月05日
『人生は足し算だと思っていました。学校へ行って新しいことを勉強し、できなかったことができるようになる。友達をつくる。知識や技術を身につける。働いてお金をもうける。服を買う、車を買う、家を建てる。足りないものは足していく。知識、学歴、資格、お金、持ち物、人間関係、なんでも多ければ多いほどいいと思っていました。人生は足し算でした。うつ病になって、なにもできない惨めさを知りました。仕事はおろか、起き上がることもできません。電話に出るのも、人に会うのも苦痛になりました。今までできたことが、できなくなりました。やりたくてもできないこと、どんなにしたくても、やってはいけないことも増えました。それから人生は引き算になりました。たくさんあることの中から、ほんとうにしなければならないことだけを残す引き算です。大切なことと、どうでもいいこと、どうしても私がしなければならないことと、ほかの人に代わってもらってもいいこと、時間をかけてしたほうがいいことと、手を抜いてもいいこと、少しずつ見分ける知恵がついてきました。わたしにしかできない、ひとにぎりのことを心をこめてする。引き算の人生も、悪くないと思います。』(「傷つきやすいあなたへ」木村藍)
2006年03月04日
Friday Nightと言えば、忙しない平日(仕事日)が終わり、明日から休日(土、日曜日)と言うことでみんな各々に楽しむ日です。クラブに行き朝まで踊る人、友達とカラオケに行く人、飲みに行き語り合う人。僕にももちろんそんな日がありました。毎週金曜の夜が来るのが楽しみでした。仲の良い友達と飲み明かしたり、パーティーに行ったりと。最近の僕の金曜日は仕事が終わって家に直行して、風呂に入って食事をとり、ビールを飲みながら物事にふけったり、思い出を振り返ったり。一番印象に残っている思い出はFriday Nightにある人に会うためにナイアガラに行ったことです。最終のバスで行ったこともあれば、大雪が降り予定より1時間ほど遅れて着いたこともあります。そんな時でもいつもその人は僕のことを待っていてくれました。カナダでの学生時代は本当に辛い日々でした。毎日学校に行くのが辛い日が続きました。でもFriday Nightにその人に会えることが楽しみで、嬉しくて、頑張れたことが何度もありました。ナイアガラで滝を見て、お喋りしながらブラブラ歩くだけで楽しかった(幸せだった)です。会って、いっしょに過ごすことは楽しくてしょうがないのですが、その分いつも別れは悲しいものでした。二人でいれたこと、(気軽に)ナイアガラに行けたこと...当たり前のことが当たり前でなくなる日はいつかきます(必ずではありませんが)「何でもないようなことが幸せだったと思う」、そんなどこかで聴いたことのある歌詞が心にシミジミと沁みます。Friday Nightと言えば、僕は今でもナイアガラを思い出します。『人は、不幸の時はささいな時にも不幸って思う。でも、ささいな幸運に時はあまり気づかない。』 (投稿)
2006年03月03日
『傷ついたって言うくせに、自分が同じことしてる。嫌だっていってるくせに、自分が同じことしてる。そんなこと思いながら、また同じことしてる。みんな同じことしてる。矛盾だらけの自分、矛盾だらけの他人、でも世の中、捨てたモンじゃないと思えるから毎日毎日過ごしていけるのかもね。』(引用元不明)
2006年03月02日
一人で暮らしていると今まで本当に自分が恵まれていたということがわかります。お金のことも食事のことも進路のことも、両親に頼って生きていたことを実感させられます。お金に執着心がないと思っていましたが、それはただたんに今まで両親の援助を受けて生きてきたから感じなかっただけだったんだと思います(本当に感謝です)収入が少ない今は本当に今までの貯金が減っていくだけです。進路も決めきれず、お金もどんどん無くなっていきます。そんな生活をしているともちろん贅沢など出来ないです(いかにいままで無駄使いをしてきたか)今まで気軽に飲みに行ったりもしていましたがもちろんそんなことも出来ません。CDも買っていません。ここ最近欲しいものなど買ってないな(欲しいものなど買わなくても困りはしないというのも感じます。)今は本当に自分がしたいこと、やるべきことが(まだ)見つけれていない状態ですが、絶対に「これだっ」と言うものを必ず見つけ出したいと思います。両親は今でもずっと僕のことをハラハラしながら陰で見守ってくれていると思います。もちろん自分のためでもありますが、両親を早く安心させてあげたいです。3月の始まりです...。
2006年03月01日
『人間ってもんは結構いい加減でやりたい事なんかこれから沢山出てくるし、変わってくるから、今すぐ焦って決めなくてもいいんだよ。色んな物から刺激を受けてゆっくり決めていけばいいんだよ。』(投稿)
2006年02月28日
トリノオリンピックが閉会しました。特に熱中して応援したわけではありませんでしたが、胸が熱くなる場面が何度かありました。このような華やかな舞台で活躍している人達こそ、影で様々な努力と苦労をしてきているのだと思います。世の中には人より才能が秀でている人は沢山いると思います。でも才能だけで勝者になれるのはある一定の年代と地域だけだと思います。才能に練習=努力をして、さらに運が加わった時に初めて結果が出て、すべてが報われるのだと思います。スポーツ選手にとっての舞台は、オリンピック、世界選手権、国体、ワールドカップだったりしますが、舞台は人によってそれぞれ違うと思います。それぞれの人生の舞台で自分が輝ける瞬間を持つことが出来たら素晴らしいと思います。もし仮に輝くことが出来なかったとしても、輝こうとして努力や苦労はその人の内面に輝きを与えてくれると思います。結果が出れば最高ですが、何も結果だけがすべてではないのだと思います。結果を求めるために頑張った過程こそを大切に思える気持ちをもちたいと思います。いつか自分が家庭を持った時に、この気持ちを妻や子供達に持ってあげれるような人でいれたらいいなと思います。*今の自分は結果が欲しいです。
2006年02月27日
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去年の今頃はナイアガラにいたんだなぁ...。日記って過去に戻れる道具のようなものだと思う。書いているその瞬間はただの日記であるけども、何年後かに振り返った見た時にはその時の状況などが鮮明に思い出される。まだただの1年前のことであるけども、僕の環境はあまりにも変化してしまいました。それは良い意味でか?というと明らかに悪い方に進んだと思う。トロントで辛い大学生活の、しばしの休息の春休み、本当に楽しかったです。その瞬間よりも、その時を無くした今はさらに強く思えます。健康を害した時に、健康のありがたさに気づくように、両親を亡くした時に本当に強くありがたさと、感謝の念を持つように。トロントにいたから当たり前のように行けていたナイアガラも、日本にいたら行くのは困難な場所です。すべての出来事には意味があるというのなら、このようになった現在(いま)には何の意味があるのだろう?でもただ一つ確実に言えることは、「現在のこの状況を作ったのはまぎれもなく僕自身」だと言うことです。そしてこの状況を打破して打ち破れるのも僕しかいないと言うことです。あの日、あのような素敵で可愛いくて良い子と、最高の日々を過ごすことが出来たのは、辛い辛いと嘆いていた大学生活を自分なりに精一杯に生活していたからなのかもしれません。「ありがとう」なんて照れくさいことは面と向かって素直には言えませんが、感謝の気持ちで一杯です。*ようやくインフルエンザも回復して久しぶりに飲んだら案の定酔ってしまいました。素直じゃない僕が一番素直に慣れる時は、一人で飲んでいる時だと思います。『人生の中で起こってくる問題というのは、必ずといっていいほど自分の弱点を突いてきます。弱点に気づかせ、チャンスをくれているのですから、感謝するべきものなのです。』(江原啓之のスピリチュアル人生相談室)
2006年02月26日
『いいとこばかりは見せられない。カッコよくない時もある。それは僕らが生きてる証。人形なんかじゃない証。』(ちびギャラ ごっ、ボンボヤージュ)
2006年02月25日
『長い人生にはなあどんなに避けようとしてもどうしても通らなければならぬ道というものがあるんだなそういうときはその道をだまって歩くことだな愚痴や弱音は吐かないでな黙って歩くんだよ ただ黙って』(相田みつを)
2006年02月24日
『満足しうる目標、 生活を維持できるだけの仕事、 遊ぶ時と休む時を知る常識、衣食住を満たすだけの富、多くの人を好きになり、数人の人を愛せるだけの愛情、自分を愛せる自尊心、困っている人に与えられる慈愛、 困難にぶつかっていけるだけの勇気、 問題を解決しうる創造力、自由に笑えるだけのユーモア、楽しい明日を期待できる希望、自分が持っているものに対する感謝、 人生を思う存分楽しめるだけの健康。』(『今日が楽しくなる魔法の言葉』アーニー・J・ゼリンスキー)
2006年02月23日
僕は産まれてからこれまで幸いにも特に大きな病気にかかったことがありません。それゆえ薬というものを医師が出す以外はとったことがありません。「自然治癒力」と「病は気から」と言うのを重視しているので薬というものを余り取りたがらないし信用してきませんでした。しいて「これはすごい!効くなぁ」と思ったものは風邪の時使った座薬、ニキビが出た時に飲んだチョコラBBと飲み過ぎの時にとるウコンぐらいでした。今回インフルエンザの時に医師から頂いた薬の効果には驚きです。特にタミフル。噂には聞いていましたが予想以上に効果がありました。(まぁなるべくならばこれからも薬の世話にはなりたくないですけど)でも所詮薬の力で一時的に抑えているだけなので、熱は下がっても体のダルさなどは残ったままです。今週一杯はドクターストップがかかっているので家でゆっくりと休みたいと思います。臨時職員として意気揚々として働き始めた矢先の出来事。この先どうなることやら、ちょっと心配。
2006年02月22日
今朝も39.5度の熱がありました。昨晩はうなされて本当に一睡も出来ませんでした。鼻水が詰まって息が出来ないし、セキをしすぎて喉が痛いし、いくら厚着をしても寒気がしてイッパイイッパイでした。今朝も歩いたらフラフラするしさすがにやばいと思い病院に行って来ました。案の定インフルエンザでした。インフルエンザ症状を軽減するウイルス感染の治療薬タミフル、痰を出しやすくする薬、痛みや炎症を抑える薬、熱を下げる薬、気管支を拡げる薬などの大量の薬をもらいました。もちろん児童館の仕事も今週一杯ドクターストップです。ゆっくり療養します。いつどこで感染するかわからないのがインフルエンザです(現に僕は毎回家に帰ると手洗いウガイはかかさずやってきたし、部屋も乾燥しないように気遣かっていたのにかかりました)みなさんもどうか体調管理には十分気をつけてください。
2006年02月21日
久しぶりに風邪をひきました。外から家に帰る度に手洗いウガイを欠かしていないのにかかってしまいました。風邪と言えばトロント時代の実習を思い出します。あの頃も何度か風邪をひき苦しみました。普段は風邪などひかないのですが、子供と接することをしているとひいてしまいます。38度3分の熱が昨日から出ています。今朝には治ると思って児童館の方にも連絡しなかったのですが、ノドも痛いし歩いてもフラフラするので今日は休ませてもらいました。こういう時一人身はたいへんです。そして介護してくれた人のことをありがたく思います。小学生の時、風邪をひいて休んだ時の母の優しかったこと。クラスのもみんなも授業のノートをとってきて届けにきてくれました。彼女がいた時は優しく介護してくれました。明日には回復して働きに行きたいと思います。*鼻をかみすぎてヒリヒリします。
2006年02月20日
『自分に心の栄養を与えていますか。自分を優しく養育していますか。自分に栄養を与え、育てていくことは、利己的でも自分本位 なことでもありません。わがままなことでも、道楽でもありません。自分を真に愛することができると、他人のことも本当に愛することができるようになることを忘れないようにしましょう。病気になったりけがをしたときには周囲の人に助けてもらい、栄養を与えてもらいます。心の傷も同じように、まわりの人に栄養をもらって癒していきます。安全な、信頼できる人に助けてもらって、栄養をもらいましょう。自分もお返しができる時がきますから、重荷になるのを心配せず、癒しに専念しましょう。 疲れたときはおふろに入ったり、睡眠を充分にとったり、寂しくなったら仲間と話したり、自分の好きな本を読んだり、静かに音楽を聴き、混乱したらセルフ・ヘルプのテープを聴いたり、セラピストに相談しましょう。何の理由がなくても、自分に何かプレゼントをしてみましょう。欲しかったCDや花束の贈り物はどうでしょうか。自分に心の栄養を与えると、スピリットが育ちます。自分のエッセンスが発揮できます。』(「心の傷を癒すカウンセリング365日」より 西尾和美{心理療法士})
2006年02月19日
『しあわせな冒険やしあわせな経験というのが、現実にあるわけではない。しあわせとは、こころの持ち方。自分をみじめにするのも、しあわせにするのも、強くするのも、 全部自分次第。』(フランチェスカ・リーグラー)
2006年02月18日
『私は過去を悔やみ、未来を恐れていた。突然神がささやいた、「私の名前はI am(今)である」、さらに「そこに私はいない。私の名はI Was(過去)ではないのだから。あなたが苦難と不安を抱きながらこれから先を生きるのであれば、未来はけわしくなる。私はそこにはいない。私の名前はI Will be(未来)ではないのだから。あなたがこの瞬間を生きるのであれば「今」はもはや辛くはない。私はそこにいる。私の名前はI am(今)である」。』 (『百の門』より ヘレン・メリコスト)
2006年02月17日