28歳の誕生日
今日で28歳になります。27歳も色々な経験をした年でした。正規としては働いていませんでしたが(臨時職員、嘱託員)この年はいくつかの児童館・学童クラブで働き様々な体験をしました。一番感じたのは「人間関係」だったのかもしれません。もちろん子供たちのことも、その家庭のことや教育についても大いに考えました。でもいくら子供との関係がうまくいっていたとしても、職員同士の関係や父兄との関係も多くのウェートをしめてくるのも身にしみて感じました。この社会で生きている限りどこにいっても人間関係のイザコザはついてくるものでしょう、それが(それこそが)生きているということなのかもしれません。僕に必要なのは「聞き流す」という単純な作業です。「あの人はこういう性格だから気にするなよ!いちいち気にしていたら身がもたないよ!」と言うアドバイスを何度かもらいました。わかっていてもそれを実行出来なかったので随分、自分で自分を痛めつけたような気がします。それが原因で挫けそうになったこともあります。生きていたら自分とは合わない人も数多く出てきます。もう生理的に無理という人もいるでしょう。でも仕事をしていたら、社会人として、それを割り切ってこなすのがプロ=大人なのだと思います。仕事は仕事、プライベートはプライベートとして線を引く(難しい。)落ち着いて考えてみると(そうじゃなくても!笑)、僕も他の人から見たら変な奴と思われているのでしょう(僕は「あの人とは合わないわ=理解できないわ」と思うように)大体の人は自分を中心に第三者を評価します、いわゆる自転です。自分の尺度を中心にして「あの人はああだ。この人はこうだ」と決めます。自分の意見もしっかり持ちつつ、他の人の意見にも耳を傾けれるような人になりたいです(もし自分の意見が間違っていると気づいたなら『謝れる勇気』を、そして『素直に認めれる心』を持ちたいです)『あなたは、生まれた時からお母さんに(お父さんに)一生分の幸せもらってる』こうして生をもらったことに対して両親にも感謝を述べたいです。いつまでも進路を決めかねている僕をいつも心配しています(特に母。父は口に出さないだけ?!)児童館のような特殊な環境にいると色々な問題を抱えている家庭を見ることがあります。先にも述べましたが、何が正しいなんていえませんが、それでも僕は両親の教育=しつけ、そして少年期から青年期を過ごした(与えてもらった)環境にとても感謝しています。そのおかげで最低限のモラルを身につけることも出来たと思ってます。今日まで28年間生きてこれたことを本当に感謝したいと思います、ありがとうございます。28歳は自分の進路を(いよいよ)決定して、それに向かって進んで行こうと思います。『良の基盤にして、その天性を完うせしむべし』『誕生日ってみんなにお祝いしてもらう日だと思っていたけれど、違うって分かったの。誕生日っていうのは、1年間無事過ごさせていただいたことを、お世話になった家族や仲間などみんなに感謝をする日だってわかったの』(引用元不明)