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芒洋の日々 

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December 30, 2006
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カテゴリ:65 Arden Road
一年の始まりについては既に書いたが、一年の終わりについてはまだ書いていなかった。

2006年12月30日は、Eid ul-Adhaというイスラム教の犠牲祭の日だった。断食月の最後のEid ul-Fitrと並ぶ二大祭典の一つで、羊・山羊・牛・ラクダなどを殺して、家族や貧しい人たちに振る舞うパーティーが行われる。ちなみに、山羊・羊の場合は一人一匹、牛は6・7人で一匹、ラクダは11人で一匹程度、神に捧げる義務があるそうだ。ただイギリスでは、勝手に動物を屠殺することは許されていないので、Eid ul-Fitrの日と同様に、早朝にモスクに行った後は家族と団らんしたり友人宅などを訪問したりして終わる。

この日、ガニー氏だけは別のモスクに行くことになり、それ以外の家の男4人(インド人二人・パキスタン人一人・私)で早朝8時にモスクに向かった。イスラムでは本来、人種やエスニシティでの区別をしないことになっているのだが、イマームの説教の言語やお祈りの仕方はモスクによって異なる。そのため実際には、例えばマレーシア人は東南アジア系の、パキスタン人は南アジア系のモスクに通っているのだ。また、南アジア系のほとんどのモスクには男性しか入れないのに対して、東南アジア系は礼拝の場所が別れているだけで男女とも受け入れていることが多い。

以前にも何度か書いているが、私たちが向かう先は、近所にある「サダム・フセイン・モスク」というところである。このモスクの説教はウルドゥー語で行われ、圧倒的にパキスタン人とインド人が多い。先のイラク戦争の時に名称は変っているのだが、モスクの玄関には「In the name of Allah, Most Gracious, Most Merciful」の言葉と共にサダムの名前が掲げられ、人々も未だサダム・モスクと呼んでいる。

そして、ご存じの通り12月30日は、偶然にもフセインが絞首刑にされた日だった。もっとも、Eidの日に死ぬのはムスリムにとって望ましいことらしいので、この日が選ばれたという事情もあったのだろう。礼拝前のイマームの説教は、私には理解できなかったが、帰ってからラシードに話を聞いた。この日イマームが言っていたのは、「サダムが何か悪いことをしたとしても、それは神と彼との間の問題だ。それよりも、彼が私たちにしてくれたことに感謝し、今日は彼の死のために祈りを捧げよう」というようなことだったらしい。元々サダムの寄付によって建てられたこのモスクを一般化することはできないが、家の人たちの話を聞く限りでも、この絞首刑に対し快く思ったムスリムはほとんどいないだろう。

期せずして私は、サダムが死んだ日に、サダム・モスクで、サダムの死を悼みながら礼拝をするという奇妙な経験をすることになったのだった。


サダム・モスクでの早朝礼拝は、45分ほどで終わった。モスクにはもう何度も来ているので、礼拝の仕方に戸惑うことはなかったが、逆に言えば新鮮みが薄れてきており、イマームの説教中襲ってくる眠気に打ち勝つのに苦労した。この手慣れた私の様子を見て、家の人たちは冗談交じりに、"almost converted"(ほとんど改宗した)だと言っていた。断食終了時には"half converted"と言われていたから、大きな進歩である。もっとも、Islamはその語義からして“神に全てを引き渡す(surrender to God)”というような「絶対帰依」の宗教だから、halfとかalmostだとかいう信仰は基本的にはあり得ないはずだが・・・。

この話は冗談だが、"almost converted"という表現は面白いものであると思う。いつか詳しく書くかも知れないが、6年前イギリスに滞在していた時と現在の自分の大きな違いは、サイードの言うところの“常に流動するアイデンティティ”というようなあり方を理解するようになったことだ。12月のゼミ合宿中にベルリンのモスクを訪れた時、ゼミ生の一人が少し頭のおかしいムスリムに改宗を迫られるということがあった(ちなみに、イスラムの教えでは宗教を他者に強要することを禁止しており、通常はこのようなことは起こりえない)。「アッラーの他に神はない、ムハンマドはアッラーの使徒である」という、改宗する時に言うことになっている一節を口にしろというのである。そのゼミ生はおののきつつ拒否していたところ、ゼミの先生の仲介が入り事無きを得たのだった。この話を聞いた時、私は「あっ、言っちゃえば良かったのに」と、なぜか自然にそう思った。

第一に、その文句を言ったところで何かなるわけでもない、ということを経験から知っていたというのもあるが、ムスリムになるならなっちゃえばいいじゃん、とやや無責任に考えたのだ。勿論アッラーの存在を信じることは難しいから、それは形の上でしかないが、仮にムスリムと非ムスリム(西洋世界)の間に“文明の衝突”が起こりうるような大きな壁があるのなら、"an almost converted Muslim"にでもなることはその枠組を超えるための一つの可能性ではないだろうか。少なくとも、その中途半端な混淆した立ち位置(そんな立ち位置が許されるのか知らないが)から眺めることは、この事象への理解を深めるはずである。


さて、やや脱線し過ぎたが、話は30日の午後に戻る。





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Last updated  January 17, 2007 06:53:44 AM
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