GWダンナの実家で過ごしました。
古い話題で恐縮ですが。。。GWはダンナに置いていかれたので、暇になった私。なんとかお金を使わずに自宅と実家以外のとこで過ごしたかったので、東京にあるダンナの実家&実妹の家にお邪魔してきました。(エアチケットはもちろんマイレージ♪)ダンナの実家は自営業(と言っても義父のボケ防止)で、義母はヘルパーの仕事をしているのでGWといってもずっと休んでいるわけではない。お義母さんの一日はけっこうハードだ。曜日によっても違うが、6時半起床、掃除、洗濯、朝食のあと8時半出勤。夕方職場から卓球の練習。帰宅後シャワーを浴びて夕食準備。6時半夕食。この間、仕事中は楽だというが家では食事中以外座らない。見ていて感心してしまう働き者。今回は初めて「おふくろの味」と言うべき一品を教わってきた。「生落花生の味噌いため」 生の落花生(千葉県でしか手に入らない?)を油をひいた厚手の 鍋で弱火で7,8分炒める。火を止めて味噌と砂糖を同量入れ 砂糖が溶けて全体にからむまであえる。実家が千葉の義母が朝食のおかずとしてよく作っているらしい。ダンナもお気に入りとのことで、早速帰ってから作ったら大喜び。ダンナ以上に豆好きの私にはたまらない一品。一度に作るのは小ぶりの鍋に豆が重ならないくらいの量。8割は私が食べてます。義母は夕食後などに私と話をするのを楽しみにしていたらしく、今まで聞いたことのない昔の話をしてくれた。ダンナが大学生の頃まで祖父母と妹を含め6人家族だったので、義母は働きながら育ち盛りの子供達と祖父母の面倒まで見ていた。驚きだったのはとても温和(というか、かなり天然)な義父の両親、つまり義母にとっての舅姑の夫婦仲だ。祖父はとてもわがままな人で、仕事から帰宅した義母がつくる食事の時間(19時頃)は遅いので祖母に17時頃作らせていた。でも、祖母は料理の腕がいまいちだったのか、祖父は毎回味に文句をつける。散々けなされた祖母はいつも部屋にこもって泣いていたという。そんな祖母も病気で床に伏せるようになり、義母が中心となって介護をしていたがいろいろあって、入院させた。祖母がもう長くないとわかった頃、義母はわがままな祖父の相手はこれ以上無理だと思っていた。義父もこのままじゃだめだと、祖父を諭したこともあったらしいが、ここから義母のとった行動はすごい。祖父に直接「今までみたいにわがままを言われたら、私は面倒見られませんからね」と言ったというのだ。祖父はその時どう返事をしたのかは聞かなかったが、祖母の死後、彼は人が変わったようにおだやかになったという。それから約2年で祖父も亡くなり、同時に長男(ダンナ)は就職。長女もすぐに就職したので義母は働く必要がなくなり、一度退職した。だが、長年働きつづけていた体は暇な毎日を送ることを許さなかったのか体調を崩し、病院通いが続いた。結局、ヘルパーの資格を取り平日のみならず休日も頼まれれば仕事に出掛けている。義母はこんな話をほとんど恨みごとを言うことなく、聞かせてくれた。長男の嫁として自営業の義父母と同居。義父は一人っ子ではないのに、兄弟は介護を手伝うことはなくほぼ一人で負担。10年前とはいえ、さばさばと自分の経験談を聞かせてくれたことに今書いていて改めて感動しました。こういう人って、何が違うんでしょうね。その時はたしかにつらい思いをしているのでしょうが。。。私の流産、不妊についても彼女自身5ヶ月で流産という経験がある為か、一度だけ「聞いてもいいかしら?」と遠慮がちに現在の状況を聞いて、私が不妊治療について説明した後は触れることはありません。さすがに私の2度目の流産はダンナと実家の母以外知らないのですが知っていたとしてもなんら変わることはないと思っています。心配かけたくないので、言うつもりはありませんが。彼女も今年で60歳。還暦祝いは何にしようかな。。。