まずはこれまでのこと。
とりあえずここに書いていた以降の両親について(これまでのことについてはこちらからどうぞ)。父と母の別居は続いていましたが、結局「父が離婚調停を起こす→不成立→父が離婚裁判を起こす」ということになりました。裁判は離婚&慰謝料を望む父と離婚拒否&別居解消を望む母という形で争い、双方のやり取りを経て裁判官から「別居は継続。ただし別居中の生活費分配的な面でかなり母寄り」な和解案が提示されました。この和解案、弁護士さんから「正直これ以上お母様寄りの和解案なり判決なりは出ないと思います」と言われるようなものでした。当時母は開腹手術後ちょっと重めのアフターフォローが必要な状態だったりしたので、弁護士さんは「その辺りを裁判官が重く見てくれたんだと思います」と。なので私は「分かりました。別居解消まで望む母にとって満点のものではないと思いますが、これ以上を望んでもいいことはないだろうということは話してみます」と返して実際母にそんな感じの話をし、母は「そういうことなら」ということでこちら側としては和解案を行け入れる方向で固まりました。とはいっても、もちろんこれは「判決」ではなくあくまで「和解案」なので、受け入れなければいけないわけではありません。母寄りということは母と争っている父にとって受け入れ難易度が高いということでしょうから、父側の和解案拒否→裁判継続ということになって「まだまだ続くんだろうなぁ(面倒臭いなぁもう)」と思っていました。ところが。父側はこの和解案を承諾、両者が和解案を受け入れたということで細かいところの条件すり合わせがあって和解調書の作成に至りました。結末の形としては「これまで通り別居で。別居中の生活費についてはこういう配分でやってね」という感じです。父にとっては「離婚できず、慰謝料も取れず」、母にとっては「別居の解消には至らず、ただし生活費の面では強制力を持つ『両者が受け入れた和解調書≒判決』をもらえた分だけ安心度アップ」……といったところでしょうか。ただこの和解……なーんか変な違和感がありました。その違和感の正体と「つまりどういうことだったのか」を私が知るのはもう少し後になります。(あ、裁判官さんや弁護士さんに何か不正の気配とかそういうことではないです。裁判としては何の問題もなく真っ当に進んで真っ当に終わりました。)・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥ちなみに。この裁判では私は表立ちはしなかったものの母側で準備書面作成の参考になりそうなことを思い出したり話したり(実はこのブログも「原告(=父)がどんな人なのか知ってもらう上での参考になれば」ということでこちらの弁護士さんに提出したのですが、当然そんなつもりで書いていたブログではないのでかなり恥ずかしかったです)、父側からの訴状や答弁書を見て「はぁ!?そんなこと言ってねーし!」「だからこの人ほんと……もうほんっとそういうとこだよ……」みたいなことになったり、母と弁護士さんの打ち合わせに同席して双方の通訳をしたりとそれなりに動いて結構疲れました……離婚って結構な体力労力精神力を使うんですね……。