テーマ:小説書きさん!!(610)
カテゴリ:創作メモ
メルマガで配信しています「創作時代小説:とはずかたり」は、二条の日記「とはすかたり」から拝借した創作物語です。
彼女の出自は父方が源家の惣領。 母方は藤原家四条流という、中級から上級に近い貴族の家柄です。 父の源雅忠の家は、二代前の久我通親と父通光の時に頂点を極めました。 通親は鎌倉初期に源頼朝と結び、政敵九條兼実を追い落とし、権力を掌握。 養女の承明門院在子は、後鳥羽院に嫁ぎました。 通親は後鳥羽院の舅となり、在子に土御門院(後鳥羽男)が生まれるにいったって、外祖父の地位につきます。 また、順徳院(後鳥羽男)の春宮傅ともなり、源博陸(博陸とは摂関の異名)と呼ばれるまでになりました。 その子通光も、父の跡を継ぎ、承久の乱までは順風満帆。 しかし、後鳥羽院の失脚とともに一旦勢力は衰えます。 皇系が後堀河から四条に移り、婚家の九條家にも光がさしたかのように見えましたが、四条帝が幼くして事故死したため、土御門院の皇子後嵯峨におはちが回ってきました。この事でまた久我家一族は勢いをとりもどすことになります。 こうした時代背景の中で、二条は「国母も出した久我家の娘」としてのプライドを育てていったわけです。 そこここの女房連中とは一緒にしてくれるな!ということでしょう。 禁色(身分の高い者にしか許されない衣装の色)の衣を身に纏い、席次も最上級の女房です。 加えて、美しかったということで、皆の注目を集めていたのでしょう。 さて、こういう父方だけでなく、母方にもいろいろと面白いところがあります。 二条母は、中流貴族の四条隆親の娘です。 この家は、身分的にはたいしたことはないのですが、院の近臣という近しい関係と、受領上がりの金満家で、また見た目もたいそう整っていたらしいのです。 つまり二条の美しさも、この四条家の要素が強い。 加えて、隆親の姉妹に貞子という女性がいて、彼女が西園寺家の室となり、後嵯峨院の妻大宮院・後深草院の妻東二条院という女性を出産したことで、貞子は「今林准后」「常磐井准后」と呼ばれる、とても身分の高い存在になったのです。 ※准后とは、中宮や皇后に準ずる地位と言う意味 彼女は長命で、100を越えて生きながらえたということです。 その威勢は、関東申次の要職にある西園寺家の柱として敬意を表され、一族の中でも大きな存在でした。 その貞子の養女分として、二条の母「大納言典侍」は後深草院に近侍。閨の事をお教えするという役割も担ったようです。 つまり二条は、この時代の中心的存在の西園寺家と久我家の間にあり、院近臣として財力も持ち合わせていた四条家の後援もあったわけです。 女房としては、ダントツのトップクラス。 「久我家の女は宮仕えはしない(院に近侍するなら女御で、という意味でしょう)」というプライドの高さの証明です。 そういう彼女が、あえて女房身分で仕えたのは、母が早く亡くなり後深草院が特に目をかけていたからです。 特例という感じですね。 つまり、二条には現在の後深草院の女院である東二条院には及ばないものの、身分的にはそれほど変わらないという自負があったのだと思います。 だからこそ、この日記の中に綴られる男女の関係が、高貴な最上級の貴族や皇族ばかりなのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.10.20 22:35:17
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