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こんな世界のはしっこで・・・

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Aug 4, 2006
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カテゴリ:ネット・サイト
閉鎖Blog向上委員会さま】

ブログを書くため、続けるために巡回し、ネタを探すという、手段の目的化みたいな意識は、結構前から私も感じている。


反応系ブログなんてものをやっているせいか、ネットで誰かの記事を読む度に、反応できそうか、そうでないかをついつい考えてしまっている自分がいることがある。
純粋に記事を読むことができない部分があることに嫌悪感を覚えることもある。

時間の使い方にしてもなんにしても、ブログが、かなり生活の中心に近い部分に位置しているんじゃないだろうか…。ネットとの距離感が近すぎるとも感じたため、距離感の見直しを図ろうとしているが、距離感の見直しを図らなければならないのは、実はブログの方なのかもしれない。


最も、逆にブログとの距離感がそれだけ近いからこそ、ものぐさな私が一年以上もブログを続けてこられたという部分はあると思う。いつも、心にのどこかにブログのことがあるからこそ、一時的に何らかの事情で更新期間が開くことがあっても、閉鎖ということにはならなかったのかもしれない。


あるいは、ブログやサイトを持っていることで、ネット上に一種の「束縛」のようなものをどこかに感じてさせてしまう部分があるのかもしれない。更新期間がある程度開くと、何故か「そろそろ更新を考えないと…」などという、一種の義務感が生じてしまったりするのはのは、そのせいかもしれない。


長く物事を続けていれは、気持ちや状況に変化が生じるというはあると思う。ブログが生活の中心から離れるときも出てくるだろう。それは単に興味や心境の変化かもしれないし、必要に迫られてかもしれない。あるいは、生活環境の変化によってそれが起こることもあると思う。そういったときにブログとの付き合い方をどうするかが、、ブログがその後も続いていくかどうかに関わってくる部分はあると思う。


楽しみが義務や苦痛などに変わってしまったら、続ける意義は失われてしまうのかもしれない。そして、意義を失いつつも、ブログがあることによって、まだそこに束縛や未練のようなものを感じてしまうのなら、それを断ち切るために閉鎖(とログの消去)という選択肢が必要なこともあるだろう。



とはいえ、本音を言えば、ログは消さないで欲しい。閉鎖ということ自体も、正直ショックなんだけど、いろいろ考えた上での決断でしょうから、そのことは受け入れようと思っています。

別れの言葉はあえて言いません。新しくブログを作られるようなので、どこかでまた会えると信じたいから。


最後に一言、ありがとうございました。





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Last updated  Aug 5, 2006 01:58:01 AM
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