そこであえてあきらめ悪くあがいてみる。
「吐き出す」ことより「伝える」こと。【オオカミの遠吠え通信さま】私は、思ったこと、感じたことのどれぐらいを文章化できているのだろう。1/10?、1/20?いや、もっと小さいような気がする。もやもやっとした感覚のみで、何に一つ言葉にできずに消え去っていったもの、断片的な言葉は出てきても到底形にはならずに終わったもの、珍しく、「書けそう」などとと思って書き出してみたものの、結局途中でしぼんでそこで止まってしまったもの、そうやって捨ててしまったものがいったいどれくらいあるのだろう…。そのたびに、劣等感と自己否定をまたひとつ、積み上げてしまっているような気がしてならない。とりあえず、ひとまずは書きかけのまま寝かせておいて、再度日の目をくるときを待とうともするのだけど、そのまま冬眠状態になってしまうようなことも結構多いような気がする。そのせいか、最近は、一度は捨てたものの、どうしても気になって捨てきれず、ろくに寝かしもしていないままごみ箱をあさっては拾い出して、書き直す…なんてことも増えてきた。ようは悪あがきである。もしかしたら、あえて未練を断ち切って、その時が来るまでいつまででも寝かせておいた方がもっと伝わりやすい形になったのかもしれない。かといって、一度無理にでも吐き出してしまった以上、再度寝かしなおすなんてことはできないのだけど、どうしても未練を断ち切れないのなら、あえてあきらめ悪くあがいてみるのもそう悪くもないいんじゃないかな…と思っている。日ごろ、何かを伝えたいと強く思うことがあまりないような私だから、そう感じるのかもしれないけれど。