sandglass
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日常の延長ではない分岐点は確かにある。そういう分岐点に直面すると視野が狭くなり、どちらの道に進むべきか、もしくは進んでしまったか、殊更重要に思う。そのことは自然のことと思うし、その時は、視野にあるフォーカス位置に集中したほうが良いように思う。しかし、しばらく経ったら、あたりを少し見回してみよう。左の道も、右の道も複雑に入り組んで交錯している。決して、一本道ではない。真偽はともかく、そう思うほうが楽しいと思う。
2007/12/27
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わからない問題があるらしく、少し見たところ、わりあい早く理解できたようだ。まだ役にたって良かった。
2007/10/31
週末不意に思い立って昔撮ったビデオの整理をした。ヨチヨチ歩きの無邪気な顔が画面いっぱいに映し出される。本人はしばらく笑ってみていたが、やがて宿題をしに部屋に戻っていった。こちらは引き続きみながら、丈夫で無事であるのが一番!と長い夏休みもあと少し、体調をこわさないことを願うばかり
2007/08/22
ゴア元副大統領の「不都合な真実」のDVDを買いました。屋外の熱気に負けてついついクーラーが効いた部屋で、そのメッセージに耳を傾けていました。イケナイですね。こどものほうが純粋で、汗をたらたら流しながら、無風の部屋でがんばっています。
2007/08/16
合格体験記に書いてある勉強時間を目安にして勉強しているみたい。○時間くらいが平均でしょ?と聞くと、載ってた中では平均○.○時間だったとの答えが返ってきた。そんなことは覚えなくてもいいのに。。。
2007/08/13
朝からの行事と帰ってからの出来事とから子供の成長を実感した一日でした。
2007/08/04
昨日、学校で授業参観があった。課目は体育、グラウンドに親子ともども集合した。先生が「試合をするため、親御さんも参加して欲しい。」と有志を募る。わりあい多くの参加者が集まった。わが家は夫婦で参戦、試合が始まると本気モード突入である。思いがけず真剣にプレイをしてしまい、授業終了時には体力を使い果たした。そんな両親を横目でみて元気良く出かけていったわが子。この後夕方まで勉強するのだからたいしたもんだとつぶやきながら、身体は深くソファーに沈んでいくのだった。
2007/06/17
忙しいだろうが、そんなことはお構いなく、自由研究の題材をあれこれ考えているわが子である。このように誘導したのは自分であるため、あからさまに「今年は手を抜いたら」ということもできず、ニコニコ笑って話を聞いている。何かいい考えはないかというので、「忘却曲線に関して調べてみたら?」という提案をした。「覚えた次の日、1週間後と復習するしないで、どれだけ差がでるか?年表、地図、なんでも試してみたら?」というと、わが子は結構乗り気である。「じゃあ、家族全員と、おばあちゃんと・・・」早くも被験者のリストアップに取り掛かった模様。いや、そういうことではなくて、自分一人でやるのであって、他人を巻き込むのではないよ・・・といいたかったが、もはや手遅れである。年齢別かなにかのグラフで、一際成績の悪い自分のデータが目に浮かぶようだ。
2007/05/29
スポーツ、音楽の練習において雑な練習はかえってマイナスになる、感じたことがある。実際に試したわけではないが、目的意識を持たず練習メニューをこなすだけなら、練習をしないほうが、まだましということもあるかもしれない。わが子の学習をみていて、こなすだけの雑な学習になっていないか、少々心配になっている。慣れもあるのかもしれないけれど・・・
2007/05/07
ピクニックといっても屋外で食事をするだけ。食事もたいした準備もせず、おにぎりやサンドウィッチなどありあわせのものを持参するだけ。場所も自転車で20分くらいのところ。一昨日、天気が良いので久しぶりに出かけてみた。最初は面倒な顔をしていた子どもも、少しはしゃいでいる。GW、わが家のちょっとしたイベントであった。・・・実は長い間、ピクニック=遠出と勘違いしていた私
2007/05/01
実は、ブログなどに子どもにお勧めの本が書いてあったりすると、ついつい注文してしまうのだが、届くと子どもに先んじて片っ端から読んでいるのは親であったりする、今日この頃である。
2007/04/25
「悲観主義は感情に属し、楽観主義は意思に属す」アランの言葉であるが、たまたまそんな話を聞く機会があった。楽観主義と、向こう見ず、非現実的な考えとは違う。良い言葉だな、と思う。以前、仕事で世話になった同僚がくれたメールの文末に必ず、Enjoy!と記されてあったのを思い出した。
2007/04/11
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を読みたいというので買ったら夢中になっているらしい。読む時間をひねり出しているようだ。
2007/03/30
解く糸口が簡単に見つかって、後は一本道という場合は良いが、そうでない場合の対処方法を身に着けてもらいたいと思っている。算数も国語も同じことかもしれないが、少しずつポイントを絞り込み、見通しを立てて解いていくことが、どれだけ重要なことか。問題がとけるかどうかより重要かもしれない。
2007/03/27
子供の算数のテストに、こんな問題があった。「直方体の面の面積が全てわかっている。そのときの各辺の長さを求めよ。」という内容。子供の解答をみると、真っ先に、面積の値(この問題の場合整数)の素因数分解を行っている。単元は整数であったし、結局解けていたが、ちょっと気になったので話をした。解が整数であることに着眼して素因数分解によって見当をつける場合も多いが、この問題は辺が整数という保証はない。そんな話をしたが、わかっただろうか。比に着目した後、結局、素因数分解をつかうのだが・・・・
2007/02/22
今年頂いた年賀状に、東井義雄先生の言葉があった 自分は 自分の主人公 世界でただひとりの 自分をつくっていく 責任者この年になってみて、心にしみる言葉主人公のまわりに、登場する人々との出会い、別れ考えてみると不思議なものだ。登場人物といえば、子どもの慕っていた先生が転勤になった。短い時間だったがお世話になったようだ。新しい先生はどんな先生だろう?
2007/02/07
連休中に放映された白虎隊のドラマの中で「ならぬものはならぬ」の教えが紹介されていたが、それを見ていた大人たちの間で、子どもたちに対しては今年はこれで行こうということで一致。
2007/01/09
社会科のテスト結果が思わしくない回が続いたので、問題を繰り返して行うのではなくテキストのすみからすみまで音読を繰り返し、内容を頭に入れることを薦めてみた。結果に本人も納得の様子。自分が学生の頃、定期テスト対策は結局教科書を読み込むことにつきるな、と思っていたのでそうアドバイスしたのだが結果が良くてよかった。
2006/12/04
じーっとテキストを見つめ続ける、手で書いて覚える、声に出して覚える、歩きながら覚える、などなど、自分にあった記憶方法はそれぞれあるようだ。記憶定着までの最適な繰り返し周期も個人差があるように思う。そのスタイルを少しづつ確立していってくれるといいな、と思う。目前のこともあるが、身に着けておくとこれから役に立つこともあるだろう。
2006/11/29
週末姪甥たちが遊びにきてくれて、子供たちは楽しく過ごしたようだ。親のほうもすっかりリラックスして食事を楽しむことができた。食事中、話題になったのが子供が生まれたばかりの頃の話。酔いも手伝ってか「心配した話」も「失敗した話」も子供の前で披露する。そのころの写真も話題をひろげるのに一助となる。子供たちも面白がって聞いている。伝えたいものは何だろう、残したいものは何だろう、あらためて考えてみる。あれこれ考えたけど、やっぱり健康な身体かな。最近睡眠不足のようなので心配だ。
2006/11/20
風雨を止めることはできないかもしれない、少数でも本気で支える。守るのではない、価値ある存在であると徹底的にメッセージを伝え、周囲に認めさせる。このことは、わが子が海外で一部生徒から差別的な扱いや侮蔑を受けた際に、担任が実践してくれた事柄である。わが子だけでなく、元々どの子に対しても、本人が自信を持ち、周囲からRespectされるように様々な仕掛けや工夫がなされているのだが、それも効果的だったように思う。帰国前に生徒がミュージカルを演じた。Respect & Responsibility 2つのキーワードが印象に残った。終わった後、クラスメートと一緒にいたわが子の笑顔があった。今でも感謝している。----余談であるが、そのときの担任に褒められて算数が好きになって今に至る。
2006/11/14
色々なタイプのテストを受けていると、出題タイプと得点率との間にある程度相関があることがわかる。換言すると、出題タイプが違えば得点率は異なるということ。出題仕方によって選別もある程度かわってくるのだろうと思う。万能型もいるのだろうが、残念ながら、わが子はそうでもないみたい。たいへんだ。
2006/10/03
光の屈折「物質への入射角と屈折角との関係」に関してきわめて味気ない教え方をした後で、気づいた。光は最小の時間となるように進む、水の中は空気中より光の進む速さが遅い、この2点を「考える切り口」としてあたえて教えたほうが良かった、そう思い直し再度説明しなおした。どうか無機質な暗記科目にしないで欲しいと願っているが、自ら間違った方向に・・・反省
2006/09/26
こどもの勉強とはいえ、こちらも為になっているな、と思うときがある。社会や理科の話にちょっとコメントする前に、「正確な知識」かどうか気になって調べることがある。そうすると、初めて知ることも少なくない。もちろん、算数も楽しい。コンスタントにつきあっていけば頭の老化が幾分防げるかもしれないが、こちらも気まぐれなので効果はあがらないだろう。世代交代も、もうすぐなのかもしれない。
2006/09/21
わが子を見てうなる場面が2つ。ひとしきり感心した直後に、もろさを見せつけられる。読めない。
2006/09/19
小学生の間の勉強の目標、本を読むことが好きになること、自分の考えを言葉でつたえられること、そして算数でもパズルでも良いのだが、考える楽しみを覚えること、当初はそう決めていたはずだ。また、海外生活を通して、失敗に目をむけるより良いところを伸ばす先生の姿勢に感銘を受けていたはずだ。それなのに、わが子のちょっとした失敗に目がいってしまう。理想として考えていることと実際との間にギャップがあると反省している。
2006/09/14
兄弟喧嘩をしていたのだが、捨て台詞で終わるのではなく、説得力ある説明をするように仕向けてみた。面白かった。
2006/09/11
「老婆心ながら言っておくと・・・」と言いながら、ふと子どもが意味を知っているか確認したくて聞いてみた。「老婆心の意味わかる?」子どもが答えた。「大人が子どもにあれこれと多くのことをやらせようとすること。」文脈から類推したのだろうが、思わず大笑いしてしまった。大人のいうことはそれなりに正しいことも多い。でも過不足や誤りもある。大いなる批判精神をもって自分の頭で考えて取り入れてね。
2006/09/04
ここのところ、良いこと続きで機嫌のいいわが子。機嫌が良いのは何よりです。ずいぶん前のことになるけど、買ってきた問題集が難しく量も多くて、やっていけそうになかった。見るに見かねて、止めたら?と声をかけた。ところが、「1問づつでも続けたい。」という。終わるまで、どれだけかかるのかわからない量だったが、まかせることにした。あれからどれくらい経っただろう・・・・「やっと終わりそうだ。」そう聞いた。真っ黒になっていた。
2006/08/18
ゲド戦記に夢中のわが子。親の目を盗んで12時過ぎまで読んでいたものだから、朝起きて来たその顔は、ぱんぱんにはれていた。体調管理の面からいうともう少し早く寝てもらいたいと思う。そんなことをぼやいていたら、子どもがこういった。「分身の術を使えたらなあ・・・。ひとりは今の生活(要は勉強もある損な役回り)、もう一人はプールと遊び、最後のひとりはたっぷり本を読む。」そうか・・・わかったよ。ダレン・シャン、ナルニアと続いてゲド戦記か。好きな本は読むスピードが違うな。買い与えた本は、ローテーションの合間を埋める存在になっているな。
2006/08/06
朝顔が8株。つるは青空に向かってするすると伸びて、色とりどりの花を咲かせている。夏休み中、子供と花の色の数を数えることにした。今日はプールに花火にと夏休みらしい一日。勉強のほうは復習に専念。
2006/08/04
物事の達成の鍵はいくつかあると思われるが、やはり意志とか想いといった類の要素が占める割合が大きいと感じている。スキルの伝授は出来そうな気がするが、意志を育てるにも方法があったりするものだろうか。1年前になるだろうか。長年会っていなかった「いとこ」と再会した。仕事について、訥々と、しかし力強く輝いた眼で話してくれた。傍らで遊んでいた我が子が、数ヵ月後、口にした。「なりたい職業」は「いとこ」のそれだった。ちょっとした驚きを覚えた。こういう切欠・遭遇から始まるもので、仕立て上げたり、方法論を考えたり等といった悪巧みが通用する話でないのかもしれない。
2006/07/19
こどもの理科のテスト問題をみていた。植物の屈光性のしくみに関する問題でオーキシンの濃度分布に言及している。なかなか高度だと思って、こどもに聞いてみたら、あまり深く考えず正答を受け入れている。ここから、いろいろと発想したり考える機会にしたいと思っている。
2006/06/26
決定力というのを科学的に表現したらどうなるのだろうと、考えていた。ゴール・相手との位置関係、受け取ったときの姿勢、高さ、動きなどパラメータはいくつかある。確率が他のチームと比べて落ちるのはどういう条件なのだろう。良い条件でミスをした選手はいつも責められるけれど、良い条件の頻度はどうなのかということも気になる。
2006/06/22
暗算をしないように、できるだけ図や表に書くように、というのは受験指導では時々耳にする言葉で、実際にそれは間違いを少なくするために必要なこと。しかし、脳を鍛える観点からいうと、いちいち思考過程をビジュアル化しながら進めるより、あえて頭の中だけでやってみるのも効果があるのではないかと思う今日この頃。
2006/06/10
「国土の( )が森林」 → 1/2, 2/3, 3/4 , 4/5 選択肢に2/3,3/4両方あったら迷うかもね「国土の( )が山地」 → 3/4「国土の( )が森林」 → 2/3
2006/06/04
ドラッガーの有名なたとえ話石切工が「あなたは何をしていますか。」と尋ねられます。第一の男は何を当たり前のことを聞くのだろうといぶかりながら「仕事だよ。仕事。俺はこれで飯食っているのだ。」と答えました。第二の男は金槌をふりながら「私は国で一番良い石切工の仕事をしています。」と誇らしげに答えます。第三の男は幻想的な面持ちで、「私はここに素晴らしい寺院を建てているのです」と答えました。子供たちに・・・石切工としての修行は大切だが「何を建てるのか」考えることはもっと大切だということにやがて気付くだろう。
2006/05/19
W杯日本チームのメンバーが発表された。当落悲喜こもごもだが、年齢的にぎりぎりの選手で落選しているのをみると、その心情を慮ってしまう。仕方がないことと理性ではわかっていても、張り裂けそうな気持ちであろう。思うようにならない分かれ道がある。引き返せない道がある。それでも結果を受け止めてまた歩きだす。
2006/05/16
算数のノートを見ると、こどもがどんな状況で勉強しているのかわかる気がする。ずいぶん前のことだが、本格的に算数の勉強を始めるにあたって次のようなノートをつくらないように話をしたことがある。・計算式だけが乱雑に書かれている・答え合わせの○×だけが書かれている・余白が少なく消しゴムを多用している・消しゴムで乱雑に消してあるところが最近ちょっとそういう頁が続いていた。難しい問題はそれなりに考えた跡が読み取れるが、ちょっと基本的な問題は途中がすっ飛ばしてある。ときには思考もすっ飛ばしているのではないかと思われるくらい雑である。基本問題を疎かにしているのだろうか?問題量が多すぎるのだろうか?勉強が作業になっていないだろうか?
2006/05/13
年下のいとこが遊びに来ていて、このところリラックスしっぱなしの我が子。今日も朝早くからみんなで公園に遊びにいってしまった。
2006/05/05
最近理科が大変らしい。あっというまに範囲が増え、うっとうしいくらいのボリュームになっているようだ。個人的には、しなくても良いと思っているが、そうはいかない。今日、星座・月の動きや、凹面鏡の話をしていた。聞いていると、いまひとつ深く考えていないように思えてしまう。理解しているのだろうし、たくさんあってそれどころじゃないのだろうけど、物足りない。
2006/04/27
考えに考えた問題がやっととけたときの喜び。努力が報われたときの喜び。先生からほめられたときの喜び。いつもと違うレベルの達成感・満足感は、めったに味わうものではない。(しょっちゅうだったら色あせてしまう。)そういう感覚を味わう機会に少しでも恵まれるといいな、そう思っている。今日、ささやかだけどそんな喜びを味わう機会に恵まれたらしい。悪いときもあるでしょうが、こういう喜びが残ってくれるといいと思う。気持ちをこめて声をかけた。
2006/04/17
大きく心が揺さぶられる試合だった。余計な言葉は不要だろう。中心選手はもとより、控えの選手、スタッフの皆さんに感謝したい。試合が終わって、子供が元気よく部屋に戻っていった。
2006/03/23
問題集をやる行為はアウトプットであり、模範解答や解説を見ながら考える行為はインプットである。子供の勉強をみると意外とインプットを大事にしていないことがわかる。適当に丸をつけて終わったらだめ。正解の問題の解説だって、自分にはなかったアイディアはないか良く読んでほしい。ひとつの問題を考えに考えた挙句ピンとくる、そういう経験が本当の力になっていくことに気づいてほしい。
2006/03/18
インフルエンザのシーズンが終わりに近づいたと思ったら、花粉症真っ盛りである。免疫作用についても、入力に対する反応・効果の個人差は大きそうである。ストレス耐性や環境適応力の話をしていたら、免疫作用の話になった。こころについて、負荷によってプラスに作用する場合とマイナスに作用する場合とあるのだろうか?という類の話である。専門家ではないので意図して負荷をかけるなど危険きわまりない話は実行しないとしても、意図しない負荷がどの程度かかっているかどう見極めてどう対応したら良いか、これは考えておかないといけない。そして栄養を生み出す安全な場所の確保をしなくてはならない。ワクチンなどの身体の反応と同次元で話をするのは、いかにも乱暴なことなのであろうが、こころの場合も個人差をどう扱ったらよいのだろう。内部的な変化がほとんど全て外部に現れるなら問題ない。しかし、花粉症もそうであるが前兆から閾値を越えるまで外部の変化はリニアではない。
2006/03/13
3分間スピーチの準備をしてくる、というのが週末の宿題だった。新聞から記事を自分で選び、要約と感想を発表するというものである。なかなかよい試みだと思う。もう既に何回か順番が回ってきているようだ。どんな記事をえらぶのかどんな感想をもっているのか、親としても興味深い。先ほど発表原稿を見せてもらったが、要約のほうは、鍛えられていることもあって、まずまずの出来栄えだ。感想のほうは、まだまだ難しいのだろう。主題とだいぶずれた話にひっかかっていたり、表面的な考察にとどまっていたりしている。
2006/03/05
高学年になると勉強の質・量が変わってくるのを感じる。それにしても最初のうちは懐かしさもあって算数に夢中になったが、最近は国語が面白い。教科によって教える難しさや面白さがだいぶ違うのだろう。自分が学生のときに明確に意識できていなかった考え方が書いてあったりして勉強になる。
2006/03/02
こどもの学習をみていて考えたことがある。中途半端にいい加減に学習するなら学習しないほうがマシということもあるのかもしれない、と。これは脳生理学上正しいかどうかはわからないけれど、なんとなく一旦中途半端に形成された神経回路の混線をほどいて正しくつなぎかえるのは容易でないような気がするのである。以前、なんとなくできてはいたが習熟度が中途半端だったので、しばらく立ち止まってしっかりと学習するようにしてみたら、その後がずいぶんと楽だったことがある。今回もちょっと気になっている。
2006/02/27
今日中にやろうと思っていたことが終わらなくて子供がべそをかいている。つい最近、勉強の練習にと思い大判のカレンダーを買ってあげたばかりである。そのカレンダーに幼い字で1週間の予定が書き込まれている。まだまだ幼いのと、始めたばかりであることもあって悠長に構えていたが、子供のほうはそうではなかったらしい。くやしかったのだろう。それにしても、この姿をみて考えてしまった。目標をもって取り組んでほしいが、強迫観念で行動してほしくない。声かけの言葉も気をつけなければ。
2006/02/26
NHK BS放送 プロフェッショナル 仕事の流儀「バントはするな、ホームランをねらえ~科学者・古澤明」をみた。「ナイス・トライ!」確かに、アメリカにいたときに良く聞いた言葉である。失敗を恐れずに挑戦し失敗から学ぶ、そんな風土が確かにあった気がする。その一方でトライしない、参加しない者に対しては厳しい言葉が投げかけられる。留学中に「参加しないのは存在しないのと同じだ」といわれた体験を話されていたが、同様の経験が自分にもある。結果が全てという考え方もあるが、どうだろう。結果には自分自身がコントロールできない不確定要素が必ず伴う。最善はつくすとしても時に及ばないときもある。結果を主に考えると、自分がコントロールできないことに心が振り回される場合もある。また、これは許される場合とそうでない場合があるが、失敗も知恵がひとつ増えたと考えることもできる。論理ゲームでいう消去される条件がひとつ増えたことと同じだからである。科学実験における失敗がこれに相当する。こうして考えてみると、結果が全てというのは言い過ぎではないかと思えてくる。あまりに結果(成功)主義だと少し反発したい気分になってくる。自分としては、トライしたことの価値を認め、それを称えるようにしたいとあらためてそう思った。今までのプロセスを肯定的に受け止めて、次へのステップに生きるよう本人と共に納得して歩んでいきたい。不確定要素や他人の評価ばかりを気にするよりも、精神衛生上も良い気がする。「モチベーションをきちんと与えて、思い切って振って来いと送り出せば、若い人は素晴らしい仕事をする。捨てたものじゃない。」その先生の言葉が耳に残った。次の言葉が重い。「結果への責任は送り出した者がおえば良い。」というのだ。上に立つ者の力量が問われるのだろう。言うは易く行うは難し、か。
2006/02/20